第3話 ニンゲン

 小さい頃、近所のじいちゃんから聞いた話が頭をよぎる。


 ──ニンゲンは野蛮な生き物じゃ。プラスチックの代わりに肉を食べる。ヤツらに捕まれば、ネズミなんて頭からかぶりついて、骨をかみ砕いて、しっぽも残さずにペロリと食われちまうぞ!


 恐ろしいニンゲンが、今、目の前にいる。

 ボクは悲鳴を上げそうになった。

 でも、ギリギリのところで、アルの手が口を押えてくれた。

 どうにか悲鳴を飲み込んだボクは、アルと視線を合わせる。ボクが落ち着いたタイミングで、アルはゆっくりと口元から手を離した。


「本物? 生きてる?」


 ボクはニンゲンが起きないように小声でアルに質問した。

 ボクと同じように、アルも小声で答える。


「わからん。箱に書いてあった『解凍の手順』ってやつを試しただけだから」

「中身もわからないのに試したの?」

「それ以外にこの箱の電源を落とす方法がなかったんだ。それに──」


 アルは口の端を上げてニヤリと笑う。


「ひょっとしたら、ニンゲンから色々聞けるチャンスかも、ってな」

「なっ──⁉」


 さては、中にニンゲンが入っているってわかっていて開けたな!

 アルが好奇心だけで後先考えずに動くのは、今に始まったことじゃないし、そのせいで何度も危ない目にあってきた。

 でも、今回はレベルが違う。

 だって、この世界を滅ぼした恐ろしいニンゲンを解凍しちゃったんだよ!

 もぞり。

 箱の中でニンゲンが動いた。

 ボクたちは息をひそめる。

 青緑色の冷気はいつの間にか消えていて、はっきりとニンゲンの姿が見える。

 ニンゲンは目をこすりながら上半身を起こす。身体を包んでいた毛布がすべり落ちる。何も着ていない肌は、ネズミと違って毛の一本も生えていなくてツルツル。それなのに、頭の部分だけピンクの毛がフサフサで、しかも腰近くまで伸びていた。

 長いまつ毛が、ゆっくりと持ちあがる。

 頭の毛と同じピンク色の瞳が、ボクらを見つめる。

 怖い。でも、背中を向けて逃げたら追いかけてくるかも。

 ニンゲンが、ボクたちを指さす。


「わんわん!」


 しゃ、しゃべった……!

 今度は両手を前に出して、ボクらを手招きする。


「わんわん、おいで、おいで」


 わんわんってボクたちのこと? おいでって言われても……。

 アルも相手の様子をうかがうように、じっとして動こうとしない。


「わんわん、こないのぉ。なんでぇ?」


 しびれを切らしたのか、ニンゲンは箱の縁に手をかけて外へ出ようとする。でも、足に毛布が引っかかって上手く動けない。箱の縁に体重を預けて、何度も足をバタバタとさせている。

今の内にトライシクルがあるところまで走って逃げたらよかったのに、なんだか危なっかしくて、ずっと見てしまった。


 ズルッ、ゴンッ!


 案の定、ニンゲンは手を滑らせて顔面から床に落ちた。鈍い音が店内に響く。

 ゆっくりと顔をあげるニンゲン。ぶつけたおでこが真っ赤になっている。

 ピンクの瞳に涙がじんわりとにじんでいく。

 これは、いやな予感……。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」


 孤児院の子どもなんかよりも大きな泣き声がボクたちを襲う。

 途中からキーキーと耳を刺すような甲高い音に変わって、思わず持っていたスプーンを落とす。だって、両手で耳を押さえないと耳が爆発しちゃう!

 アルが何か言っているけど、泣き声のせいでまったく聞こえない。

 でも、視線と口の動きでわかる。「お前がなんとかしろ!」って絶対に言っている。「箱を開けたのはアルでしょ⁉」ってボクも言ってみたけど、アルはもうこっちを見ていなかった。腹が立ったけど、そんなこと言っているヒマなんてない。早くしないと本当に耳が爆発しちゃう!

 勇気を出して、にじり、にじりとニンゲンに近づいていく。

 ガラス玉みたいな大粒の涙がほっぺたの上をポロポロと転がっていく。何度も肩をヒクヒクさせて、全身を使って泣いている。

 たぶん身長はボクと同じくらい。もしかして、ボクよりも年下なのかな?


「だ、大丈夫?」


 すぐに逃げられる距離から話しかけてみる。ニンゲンはまだ顔をクシャッとさせているけど、とりあえず泣き止んでくれた。

 もう少しだけ近づいてみる。

 すると、ニンゲンがボクの腕をつかんだ。驚いて離れようとしたけど、ものすごく力が強くてびくともしない。

相手が子どもだと思って油断した。このまま腕を折られてしまうかも……ボクは怖くなった。ニンゲンは、ボクの腕を引き寄せる。

 でも、ボクが想像していたような恐ろしいことにはならなかった。ニンゲンは、ボクの手のひらをピンクの頭にのせる。


「いたいのぉ、いたいのぉ、とんでけぇ……」


 びっくりした。だって、孤児院の泣いているとき、ボクがやってあげるおまじないと同じだったから。

 ボクは、真っ赤になったニンゲンのおでこをやさしくなでてあげた。


「いたいのいたいの、とんでいけ~」


 おまじないを唱えると、ニンゲンは眉を下げて、にへらぁ、と笑ってくれた。


「ふ~、耳がイカれちまうかと思ったぜ」


 ようやくアルがやってきた。さっきボクが落としたスプーンを食べている。こういうところは本当にちゃっかりしている。

 ぐぅぅぅぅ。

 モンスターの唸り声かと思ったら、ニンゲンのお腹が鳴っただけだった。スプーンを食べるアルの姿をじっと見つめて、よだれを垂らしている。


「ロニ、まだスプーンあるか?」

「あるけど、ニンゲンってプラスチックは食べないんでしょ?」

「物は試しってやつだ」


 他に食べ物は持っていなかったし、ボクはポケットからスプーンを一本取り出して、ニンゲンに差し出す。


「どうぞ」


 ニンゲンはスプーンを受け取って、もう一度アルを見る。そして、アルのマネをするように口に含んだ。


「ん~♡」


 ピンクの瞳が大きく見開いて、キラリと光を放つ。

「光を放つ」というのは、例えじゃなくて、本当に光っていた。しかも瞳だけじゃなくて、フワフワの頭の毛も光り始める。

 ニンゲンはプラスチックの味が気に入ったみたい。持ち手部分をボリボリとかみ砕いて、あっという間に完食した。

相当お腹が空いていたのか、ニンゲンはボクのポケットからスプーンを一気に三本引き抜いて口に入れる。食べている間もポケットを引っ張るもんだから、ズボンが脱げそうになる。

 ──それにしても、


「なんでこの子はプラスチックを食べられるんだろう?」


 ボクが質問すると、アルは顎に指を当てて考える。


「多分、ガスを吸って身体が変化したんだ。オレらネズミと同じで、肉が食べられなくなって、プラスチックが食べられるようになっているんだろうな」

「昔のネズミって、肉を食べていたの⁉」

「知らなかったのか?」

「だ、だって、近所のじいちゃんが『肉を食べるのは野蛮な生き物』って……」

「大人って結構テキトーなこと言うから、なんでもかんでも信じないにしないほうがいいぞ」


 ボクの中の常識がひっくり返って、ものすごく混乱した。

 ボクがショックを受けている間に、アルはニンゲンに視線を移す。


「なあお前、名前はなんて言うんだ?」


 話しかけられていることに気づいたニンゲンは、ようやくボクのズボンのポケットから手を離してくれた。あんなにたくさんあったスプーンは、あと数本しか残っていない。よっぽどお腹が空いていたみたい。


「名前、わかるか? な・ま・え」

「トコはね、トコっていうの」


 さっきまで初めてのニンゲンの姿に驚いて気づかなかったけど、舌足らずなしゃべり方を聞くと、四歳、いや、三歳くらいの子どもなのかもしれない。

 話が通じるとわかって、アルは笑顔で質問を続ける。


「よぉし、トコ。お前のことを教えてくれ。一体どこから来たんだ?」

「んーとね……あっち」


 トコは、さっきまで寝ていた箱を指さす。

 アルは額に手を当てて、うなだれる。


「いや、そうじゃなくて……ああ、オレの質問が悪かったんだな」

「ん~?」


 トコのやり取りを聞きながら、ボクは箱の中にある毛布を引っ張り出す。毛のない身体で裸のままだと風邪を引いちゃうと思ったから。

 カチャリ。何かが床に落ちる音がした。

 足下を見ると、銀色の丸いチャームがついたペンダントが落ちていた。毛布にまぎれ込んでいたのかもしれない。

 拾い上げようとしたとき、チャームの横についていたスイッチを押しちゃった。チャームは二つに割れて、中から光の線がいくつも飛び出す。


「わわわわ!」


 驚いたボクはバランスを崩して、その場で尻もちをついた。

 光の線が合わさって、空中に二人のニンゲンの姿を映し出す。

 一人はトコよりも身体が大きい。きっと大人のニンゲンだ。白色の長い頭の毛は、トコみたいに腰まで伸びている。

 もう一人はアルと同じくらいの身長だから子どもかもしれない。でも、トコと比べると顔立ちがしっかりしているから、トコより年上なのかな? 頭の毛はトコと同じ桃色だった。


「ママ!」


 トコはとびきりの笑顔で、大人のニンゲンのほうを指さした。

 この人が、トコのお母さん? 

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