発症後1

じつは、昨日まで躁転しておりました・・・・・・。


数日前、突然アイデアが浮かんで、「これは絶対にいける!!」と根拠ゼロの謎の自信が沸き上がり、勝手に友人と共著の論文を書くつもりになりまして。

友人に一言送った後、本当に書き始めてしまいました。

しかも、まったくの専門外の分野で。学問自体のジャンルが違います。


今回は図書館頼みだったからよかったものの、昔でしたら破産寸前まで文献を買い込んでいたところでした(そういうことがよくあったので)。

しかも、2日ぶっ通しで書いた「論文」が、分かるようで分からない謎文書。


友人に意気揚々と送り付け、「まったく新しい視点だ!学会で発表しよう!(ちなみに、学会員ですらありません)」と意気揚々としていると、「りゆさん、それ、躁転(躁状態になる)じゃね?」。


これでも病気になって数年目。妹分(同じ有資格者)にこんこんと諭され、時間をかけて読んでみると、上のような次第。なにこの怪文書・・・・・・ってなもんです。


この数日は何だったんだという思いと、「終わった・・・・・・」という安堵でいっぱいでした。どうりで、頭が回りすぎて眠れなかったわけだ・・・・・・。


いつもと違うことが起こると、どうもトリガーになりやすいようです。

よくある話ですが、(自分の状態に)ぜんぜん気がつかなかったです。

むしろ、快適。どうやら生活面でも、様子がおかしかったようです。


はい、主治医案件ですね。次回のメンクリ、「論文」持参します・・・・・・。

ぼやで済んで、良かったです。持つべきものは、鋭い妹分ですね・・・・・・。


以上、前置きです。


♦発症後


A病院で「うつ病」の診断を受けた後、休職と復帰を繰り返しました。


相変わらず先生は人がいいのですが、処方された薬は、数種類をそれぞれ最大量飲んでも、いっこうに良くならない(というか、何も感じない)。


職場に行く回数よりも行けない回数が圧倒的に増え、行ったら行ったで少しでも分からないことがあると、近くにある大型書店に駆け込んで、大量の学術書を抱えて戻ってくる。双極性障害あるあるの、現実離れした「散財」です。


躁の時期が過ぎれば、なぜこんなものを?というものに、大金を溶かす。

双極性障害の人の自己破産率は、他の精神疾患に比べて、統計学的に見ても高いそうです。


ちなみに、その頃私の中で何が起こっていたのか。当時の頭を再現すれば、「生きる許可をもらうためには(技術的に)マシな仕事をしろ」。

これが、その頃の自分の心からのスローガンでしたから、生活なんてしてる暇があったらスキルを磨け、と、こういう理屈です。それができなければ? 

想像に難くないでしょう。


とはいえ、そんな生活も2年目を迎えると、単極性の「うつ病」に加え、「適応障害」の診断も混じるようになりました。そうなると、もう薬だけじゃ足りなくて、環境を変えるしかない。つまり、離職ですね。


職場には申し訳ないのですが、こちらも生活がかかっています。

その他どうしても辞められない事情があり、ほとんど「席だけ」になってしまいながらも、行ける日はかろうじて「出勤」はしていました。


ただ、ことはそう甘くはありませんでした。


記憶はないのですが、職場内で仕事中に自傷行為をしているのを、離れたデスクの多職種の方々が複数回目撃し、上司の耳に入ったのです。というより、もうその頃は、周囲に対してまったく隠せていなかったようです。

ただちに何度目かの休職。そして今度こそ、退職を勧められました。


悪いことは重なるもので、その頃私は3つの仕事をかけもちしていましたが、もうひとつの仕事も契約解除を通告されました。残ったのは、週に1回だけの仕事のみ。

収入は、ほぼなし。さらなる地獄が始まりました。


♦崖っぷち


2年半在籍した職場から出たときのことは、記憶にありません。実際、上司から慰労の言葉をいただいていたらしいですが、何も耳に入っていない様子だったそうです。

3か月は、失業保険でなんとか食べていける。

崖っぷちでした。


基本、冗談抜きで、息をするのがやっとの世界。それでも無理やり行った就職活動では、ことごとく不採用。アルバイトでも断られ、派遣会社に登録に行くと、「そんな顔色の悪い人は採用できない」とまで言われました。

そうして、あっという間に3か月が過ぎました。

たぶん、幽霊のほうがよっぽど生気があったと思います。


♦母


私の母は、生後すぐに高熱が出た影響で脳性麻痺を患い、下肢が動かない身体障害者1級の、車いすユーザーでした。そして母子家庭で育ち、お金でとても苦労した人でした。


母は、自分の将来のため、生まれてくるかもしれない子のために、受給した障害年金を初回からすべて貯金し、自分のためには一切使わずにいたのでした。

相当に気丈な、頭のいい人でした。ほとんどほめられた記憶はありませんが、人としての強さを多く教わりました。


バスで、スロープを出してもらって電動車いすで乗車している方を、見たことはありますか?

母は、毎週ある販売店に、バスに乗って出かけていました。


あとで妻が聞いたという話なのですが、「(スロープを出してもらっていると)毎回舌打ちされたから、悔しくて毎週乗ってた」そうです。

行為自体には賛否両論あると思いますが、曲がったことは大嫌いな、母らしいエピソードだと思いました。


そしてその母の援助で、次の仕事につくまでの、当面の暮らしは確保できたのです。


(父については、「かなり変わった人」という程度にとどめて、以後最低限の場合を除いて、言及しません。芯から悪い人ではないとは思いますが、少なくとも私にとっては、相性が悪すぎました。何をされたわけでもないのですが、今でも声を聞くのも恐いですし、たまにラインが来ただけで、その日は1日動けなくなります)


♦転居


無理心中を考えていました。迷惑極まりない話ですが、妻まで巻き込むところでした。曰く、「自分たちのような病人は世間様のお荷物になる、×のう!」。

行為に至らずに終わりましたが、そんな話は、その後も何百回と繰り返していました。当時はマンションに住んでいましたが、飛び降り未遂も起こしました。


もはや、就活どころではありません。

精神病院への強制入院の話も、陰では出ていたようです。


そうして発症から3年が過ぎた頃、母が亡くなりました。50代。がんでした。

父からは介護費用を請求され、葬儀は生前母が「それだけはしないでくれ」と言っていた形式を父が取り決め行い、「父(夫)の墓にだけは入りたくない」という、母の最期の意志だけが通りました。そして、母から私たち夫婦に対し、残していた障害年金すべてが譲渡されました。


話は変わりますが、私はこと「お金」に関しては、母から厳しく教育されてきました。今でも趣味はスーパーでの安いもの探しですし(どこのスーパーが何時に何が半額になるか、何がいつ安いか、ほぼ全部把握しています)、現在の家計簿も私が担当しています。これは後々良くも悪くも影響してくるのですが、症状が落ち着いている今となっては、良い教育を受けたと思います。


母は、貯金に手をつけないために、スーパーで「鳥のエサ」と言って、キャベツの外葉をもらってきていたそうです。この話を皆様がどう捉えられるかは分かりませんが、私には感謝しかありません。


ですが残酷なことに、双極性障害ではしばしば正常な判断力を失ってしまいます。

このときがそうでした。


求人を見ただけで、採用試験すら受けていない、履歴書も送っていない、遠く離れた他市の仕事に、「これは絶対に受かる!採用されないはずがない!(根拠なし)早くしないと採用枠がなくなる!一刻も早く転居する!!」と言い出し、疲れ切った妻と本当に転居してしまったのです。多額の費用をかけて。


「誇大妄想」による、判断力の著しい低下。もはや半分日常と化していました(その後に同じくらいかそれ以上のうつが待っているのですから、最悪です)。


けっきょくというか、当然ですがその仕事にも受からず、また絶望し、「学識がないからだ」と本を買いあさる。有料の勉強会に出かけていく。一方で、病状は悪くなるばかり。お金はあっても、家庭は崩壊している。自立支援制度はとうに使っていましたが、通院にかかる移動費が比べ物にならないくらい上がりました。


これが、一度目の転院のきっかけです。


その後、なんとか採用されたフルタイムの職場が、前に住んでいた場所の近くで、転居したがために朝5時半に出勤しなければならなくなったのは、皮肉としかいいようがありません。


このお話は、もう少し続きます。

結果的には、この後もう一度転居をして今に至っているので、この転居は悪いことづくしではなかったのですが、ここからさらに悲劇が待っていました。



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