発症前後2.

前回までの記事で、まず家庭外での「私」が崩壊し始めました。

これはとうとう、家庭内にまで波及し始めました。


♦進行


文字通り、「人が変わ」りました。

常に重度のうつ状態。死のことしか考えられず、些細なことでパニックに陥る。

イライラが止まらず、常に爆発寸前の状態。味覚など、とうに忘れていました。


金曜日の勤務が終われば、「あと60時間したら仕事」という具合にしか考えられず、時限爆弾でも仕掛けられたように鼓動が早いままで、まったく休まらない。

ついには、日曜日の時点で「(「出勤前」というプレッシャーに)耐えられないから、職場の前で野宿する」と言い張ることが増え、妻が何度も決死の思いで説得していました(当時は治安の悪いエリアだったのです)。


また、しらふの状態に加え、夢遊病状態での過食や飲酒が頻発しました。

本人はまったく覚えていないのですが、夜中にうろうろと歩き回り、酒をあさり、食べ物を喰いつくし、暴れ泣きわめき、朝になると何も覚えていないのです。


後から精神科医にそう認識されたのですが、いわゆる「解離性遁走とんそう」も数回起こりました。

これも本人にはまったく記憶にないのですが、日中ふといなくなり、妻が慌てて探しに行くと、何の脈絡のない場所に佇んでいる。連れ帰っても、本人は外に出ていたことからして覚えていない。

とうの昔に、限界だったのでしょう。


笑顔がいっぱいの家庭。

それが当たり前のはずだったのに、結婚生活半年も経たずに、来る日も来る日も怒声か、未遂騒ぎ、泣き声叫び声ばかりが続く家庭になり果てていました。

これがその後確実に5年、ともすれば7年続くなど、誰が予想できたでしょう。


たまたま防音使用の物件だったから良かったものの、そうでなければ退去させられていたかもしれません。あの頃の記憶は今もうっすらとありますが、私は完全に❝化け物❞でした。


後年、妻があの頃を振り返って一度だけ心のうちを明かしてくれたことがあります。

なぜ、あの地獄の年数を耐えきってくれたのかを。


「あれは、あなたの本来の姿じゃないのは分かってた。病気のせいだって分ってたから」


幼馴染であり、誰よりも強い心を持った彼女にしか言えない言葉でした。


今も手元にだけはある某資格は、学生時代に彼女のような人を助けたいと、約束して、結婚前に10年越しに取ったものでした。


♦受診

そんな生活が1年弱続いたころでしょうか。先輩方が任期満了に伴い、異動になりました。そして幸い、新しく入った他区出身の先輩と、歳の近い新人(ただし、年齢は上)の方が、フランクで親しみやすい方たちだったのです。


私たち専門職のデスクはそれぞれ、建物の大きな支柱を挟んで並列した状態でデスクが置かれていたのですが、その垣根を乗り越えて、ちょくちょく顔を出してくれました。仕事合間の世間話、雑談の体で来られていましたが、今にして思えば、あれはこちらを心配しての、様子見だったのでしょう。もっとも、ろくに受け答えはできていなかったはずですが(過去のことなので、あまり覚えていないのです)。


そうしてお互い知り合った頃、ベテランのほうの先輩に、「最近気分が落ち込んでいて・・・・・・」と軽く相談したところ、さりげなく精神科の受診を勧められました。福祉関係の業務だったので、そういった機関の情報(リスト)も豊富だったのです。

「発症」から1年。こうして私は、久しぶりに精神科の門を叩くことになりました。


♦精神科医

現在の診断は「双極性障害1型」(確定)、そして「過集中」の特性が強い「注意欠陥優位型ADHD」(多動がほぼないタイプ)疑いです。後者については、正式に診断名をつけることも可能だということですが、今の時点でそのメリットもないということで主治医と一致しているので、正式には診断に含めていません。


現在の主治医に至るまで2か所の精神科を行ったり来たりしましたが、その診断は、紆余曲折しました。「大うつ病」、「(一過性の)解離」、「適応障害」、「気分変調症」、現在は使われていない診断基準を持ち出してきて、「未熟型パーソナリティ(人格)障害」と診断されたこともありました。


当時通っていた1か所は地元の駅近くの、昔ながらの診療所、という雰囲気のクリニックでした。もう一か所は、引っ越し、転職後に受診した、業界ではそれなりに有名な医師が院長を務めるクリニックで、そこでは院長が担当でした。

ですがまず、経過に沿ってのお話をしていこうと思います。


♦精神科1

巷でいうように、精神科というのは「相性」という言葉を加味してもなお、当たり外れが大きいです。

幸い、1軒目に扉を叩いたAクリニックでは、手厚い処置を施していただきました。


若い副院長先生が担当だったのですが、大人しいのが一目で分かる、良く言えば優しそう(実際、穏やかな方でした)、悪く言えば、頼りない。

けれど、自分自身がまさにそんなタイプだったので、むしろ親近感をもって、素直にいろいろなことを話せたように思います。精神科にしては珍しく、診察時間も長めで、飛び込み受診も可能。通算すると何年かお世話になりましたが、嫌な顔をされたことは、一度もありません。


ですが、ここが精神科の難しいところのひとつでもあるのですが、主治医が「いい人」であることと、「病状」が軟化、ないし回復するかということについては、必ずしもイコールではありません。


ここでの主な診断名は「気分障害」(うつ病や、気分変調症などの総称)関連のもので、抗うつ薬と抗精神病薬での治療が中心でした。


いったん話が逸れますが、現在の確定診断である「双極性障害」に対しては、抗うつ薬は禁忌、とまではいかないのかもしれませんが、基本的には禁止、ないしは、厳重な管理の上少量の使用、ということになっています。


その後の経過と現在までの治療経過を見るに、当時の主治医の投薬の判断は、残念ながら誤っていたように思います。

(ただ、その点に関しては、当時の主治医に対して悪く思う気持ちはありません。前述したとおり、うつ病と双極性障害の鑑別は非常に難しく、「うつ病」の診断のまま、「双極性障害」が判明するまで数年、10年単位かかったケースも少なくないといいます)


当時、主治医に勧められてつけていた日記帳があります。

数カ月前片づけをしていて偶然見つけたました。

中味は、自分への呪詛と膨大な希死念慮の塊、そして文字通り自分を呪い殺すための文句であふれかえっていました。


その同じ手で、そして言葉で、今はこうして過去や物語を綴っているのですから、この人生も不思議なものですね。


精神科医にまつわるこのお話は、次回に続きます。

次の転院先で、精神科医療の闇の部分が少しだけ、かいまみれました。




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