発症前後 1

なるべく省いて控えめに抑えようと思ったのですが、これもひとつの発信の方法かと、中くらいくらいの分量で書きました。

人によっては影響を受けて沈んでしまう内容だと思いますので、ご注意ください。


♦発症前

当時私は就職難で、専門資格を取ったのに数年間、週数日程度の非常勤の職にしか就けず、残りの時間をアルバイトに当てていました。

幼馴染だった妻と再会したのはそんなときで、お互い内心では同棲、結婚も意識しながら、交際を始めた時期でもありました。


とはいえ、障壁となったのは、私の収入の不安定さでした。その頃は非常勤の勤め先で働く時間よりもアルバイト先で過ごす時間が圧倒的に多く、時間を縫ってあちこちの就職面接に赴くのですが、ことごとく不採用という、遅すぎる就職難に見舞われていたのです。また、妻には持病があり、まとまった収入を得ることが難しかったため(そのこと自体は交際にあたって障壁になりませんでしたが)、その分を頑張らねば、という思いはありました。加えて、長い時間をかけて有資格者になったうえ、同期はどんどん現場で常勤職、あるいは非常勤でもしっかりとした職場でフルタイムで職責をまっとうしていたので、出遅れているという焦りは月日とともに募るばかりでした。


転機は突然訪れました。

ダメもとで受けた自治体のフルタイム勤務に、採用されたのです。例によって非常勤職員の扱いでしたが、週4日の自治体での勤務に加え、手持ちの(専門職の)仕事を掛け持ちして問題ないということでした。そのため、両者の給与を合算すれば、贅沢をしなければ生活には困らない、そんな額をいただける算段がついたのです。


ちなみに併せて、初めてのアルバイト先が同時に8年間、これまでで最初で最後のバイト先となりましたが、皆さんもろ手を挙げてお祝いしてくれました。店長からは何度も正社員に推薦すると言っていただき、退職の日には正社員・パートさん達から商品券の束と寄せ書きをいただいたのも、いい思い出です。


そうして妻の実家からもご支援を受けつつ、同棲生活に入ったのは、非常勤での給与で貯蓄がある程度溜まった、20代の終わりがぼんやり近づいてきたころでした。

大変だけど小さな幸せが、始まりました。

いえ、始まるはずでした。


♦発症前


ここで少し、話を戻さなければなりません。

当時私が働いていた、2か所の職場と、私の能力についてです。


プライバシーが強く関わる内容なのでこの点は書きませんが、自治体では福祉関連の課で採用され、そこに町の数区画を担当する専門職として、籍を置いておりました。

ベテランの職員さんばかりでしたが、「専門」というだけで実質新社会人の私にも礼節をもって接してくださり、上司にも恵まれていました。


ただ、2点問題がありました。


一つは、そもそもの土壌が不安定だったこと。

もう一つは、私自身の、生の現場に対する能力不足です。


一つ目の「土壌」の問題です。

一言で言えば、「同資格者の前任が盛大にやらかしたため、悪いけれど信用できない」というものでした。これはある機会に、やり手だったその方にお話をうかがって聞いた言葉で、他の方からも同じことを言われました(その後、宅飲み仲間になりましたが)。ようするに、プレッシャーが強かったんですね。


しかも、一般の職員さんの業務と違って、私の場合は職員さんから依頼があって初めて担当ケースが発生するという業務内容でした。そして、それは業務上「推奨」の内容であって「必須」ではない。そして、職員さんは皆、猛烈に忙しい(職員さんが定時に帰っている場面を、私はほぼ思い出せません)。

なので、ある程度質の高い仕事をして、人間関係的にも信頼を得ることができないと、文字通り仕事にならないわけです。


二つ目は、私自身の能力不足。

これはもう一つの職場でもかなり悩んでいたのですが、いわゆる「理論と介入」というか、『理論と現実』の間が、あまりに遠かったのです。


今になってみれば理論(と、その理解)の使い方が肩肘張りすぎて、間違っている方向に進んでいただけだと思うのですが、同期・後輩・先輩の間で『歩く図書館』と称された手持ちの知識が、ぜんぜん通用しなかったのです。


「専門職」として現場に本格的に立った私は、一気に「新米の一般人」に滑り落ちました。また、職場には同資格者の先輩が数名いたのですが、相当にお忙しく、正直なところ相性もあまり良くないタイプだったので、限度いっぱい、どうしてものときだけ助言をいただいて、その他は公的な集まりの場での接点があるくらいでした。


ここまで読んで、矛盾を感じられた方もいるのではないでしょうか?

一つ目の「土壌」の欄で、それなりに職場に適応できたようなことを書いておいて、二つ目の「能力不足」を痛感する。

これも今になって思うのですが、確かに前者については、ある程度成果が認められていたのです。


ですが、比較して考えてしまったのです。

周りの職員さんのひっきりなしの忙しさ、先輩たちに続々と集まる依頼件数、仕事の精度、なにより、給与をいただいてここにいるだけの資質が自分にあるのか? 

自分以外の人間がここに座っているべきで、だんだん自分が給与が目当てで居座っているだけの守銭奴しゅせんどのように思えてきたのです。


悪いことに、もう一つの職場でも、お世辞にもうまくいっていませんでした。

こちらはまた違った業務内容でしたし、別に苦情が出ていたわけでもないのですが、良い評判が聞こえてきたわけでもない(けっきょく、自分なりのやり方が身に着くまで5年以上かかりました)。

遠い町での夜勤の仕事だったので、翌日の自治体での仕事を併せて思いながら、引きずるようにして惰性で帰っていました。


それらのことは折を見て勉強会などでも話題にしましたが、明確に解決に結びつく言葉はほとんど得られませんでした(まあ、あの状態でどこまで説明できていたかは謎ですが・・・・・・)。


一度憑りついた悪い考えは、どんどん増殖していきました。

悪いことに、仕事の質もどんどん下がっていた、だろうと思います。


「妄想」とは、精神医学的には「訂正不可能な信念」と定義されます。

「~かもしれない」は、含まれないということですね。

そしてあの頃の私は、完全に「妄想」のただ中にいましたし、今もその名残があります。


不穏な空気が、間違いなく漏れていたはずです。心配して声をかけてくれる職員さんもいましたが、それでもやはり全体の依頼件数は減り、もう一つの仕事も「自分がやってはいけない」と思い詰め、それは完全に確証に変わり、でも生活は守らなければならない。


朝は駅で吐く、昼休みは昼食抜きで非常階段で自傷行為、帰宅して希死念慮。

いつの間にか、それが毎日の、定番のルーティンになっていました。


こうして少しずつ、正体不明の病が私をむしばんでいきました。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る