第3話 「白鳥」と「化石」
サン‐サーンスの曲として有名な「白鳥」はこの第一三曲だ。
なぜこの曲だけよく演奏されるかというと、まず、チェロとピアノの小品として優れているからだろう(なお、原曲どおりに弾くなら、ピアノは二台必要)。そんなに難しくないし(だろうと思う。自分が楽器を弾かないからよくわからないのだけど)、演奏効果は高い。楽器を始めてそれほど経っていない生徒にも弾けるし、一方で、プロが弾くには退屈な曲というわけではぜんぜんない。
後にバレエの振り付けでこの曲が「瀕死の白鳥」という演目になって、それで知られているから、ということもあるだろう。なお、「瀕死の白鳥」の演技にしたのはバレエのオリジナルで、曲の曲想そのものには「瀕死の」というニュアンスはまったくない。
理由はそれだけでなく、サン‐サーンスが、この『動物の謝肉祭』の楽譜を自分の生きているあいだは出版禁止にした、ところが「白鳥」だけは出版を許可した、という事情がある。
だから、「白鳥」以外の曲も含む全曲が出版されたのは一九二二年で、作曲から三十年以上が経過していた。
で。
じゃあ、なぜほかの曲は出版禁止だったか。
たぶん、あまりにビミョーだったから。
いわゆる「知的財産権」問題もある。たとえば、「亀」は、「地獄のオルフェ」(「天国と地獄」)のとても有名な旋律を、亀が踊るだけあって、弦楽合奏が超スローに演奏する。普通の亀というより、巨大な陸亀が踊っているような曲だ。次の「象」も同じような曲想で、ベルリオーズやメンデルスゾーンの曲を超重低音で超スローに演奏する。原曲の知的財産権を持っている人が笑って許してくれるか、みたいな問題があった。
それと、たぶん、この「動物」には、モデルとなった人間がいる。
わりとはっきりしているのは「耳の長い動物」(「耳の長い登場人物」)で、耳障りな鳴き声をムダに繰り返すこの「動物」は、サン‐サーンスに批判的な評論家のことだと言われている。
すべてかどうかはわからないけど、ほかの「動物」にも、その曲で表現している特定の人物がいる可能性がある。
「王者ライオン」とか、「亀」、「象」などは、あまり悪意がある扱いではないので(軽くからかっているかも知れないけど)、そのパーティーに参加していただれかかも知れない。
「ピアニスト」が動物扱いされているのは「ド下手なくせにでかい音で練習をやって騒音を撒き散らすデリカシーのないピアニストなんか動物だ!」ということらしい。これは、このパーティーに参加していたピアニストが二人いるから、その二人が「わざと下手に弾く」というのをやる座興だったのだろうと思うけれど、これももしかすると当てこすりたい相手がいたのかも知れない。
ろば(批評家ではないほう)とかカンガルーとかは、パーティー会場で跳びはねて遊んでいただれかの子どもかも知れないし。
そんななかで、「白鳥」だけは当てこすり要素がまったくなく、知的財産権問題もない。だから出版したのだろう。もしかすると、その日のパーティーの参加者のなかに、「白鳥」と表現したいような、美しくて端正でものしずかなひとがいたのかも知れないけど、悪く描いているわけではないのでいいことになったのかも知れない。
その「白鳥」の一曲前に「化石」という曲が置かれている。
この曲は、一曲まるごと、パロディーとか引用とかを組み合わせてできている。
曲はサン‐サーンスの自作「死の舞踏」の印象的なフレーズ(骸骨の踊り)で始まり、同じフレーズが締めくくる。途中にも同じフレーズが出て来る。
「死の舞踏」は、夏至の前の夜(いわゆる「真夏の夜」、midsummer night)に死者の骸骨が起き出して踊る、という伝説を描いた曲で、「死の舞踏」ではその様子が不気味に描かれている。ところが、「化石」では、「骨がぶつかる音」のフレーズが、骸骨が楽しく踊っているように聞こえるコミカルな曲になっている(ところで、昔、「しのぶとう」で変換すると「しのぶ党」と変換されて、「しのぶ、って、だれ?」みたいになったことがある……って関係ないです。すみません!)。
最初と最後が「楽しい死の舞踏」で、そのあいだにいくつもの曲がはさまれているのだが、以前は私はその元ネタがよくわからなかった。「きらきら星」(というより、その原曲「ああ、ママ、教えてあげる」からの引用だろうけど)は知っていたし、フランス民謡「月夜」は小学校でリコーダーを習った最初のころに覚えたのでわかったし、『セビリャの理髪師』のロジーナのアリアもわかったけれど、ほかがよくわからなかった。
ところが、しばらく前にNHKEテレの『クラシックTV』で元ネタ曲をすべて字幕で表示してこの曲の演奏をやったことがあって、全曲、何かの引用でできていることがわかった。
曲をつぎはぎして、違和感のない一曲に仕上げる、というのは、すごい才能だと思う。
完全オリジナルの「白鳥」の前に、オリジナル部分がほぼない「化石」が配置されているというのも、意図してやったことなのだろう。
この「化石」に、「こんな曲はもう過去の遺物で、化石だ」という、批判的な、当てこすり的な意味があるかどうか、というと、よくわからない。
フランス第二帝政で国歌のように歌われた「シリアへ旅立ちながら」(もともとナポレオン一世が皇帝になる前に行った東方遠征にインスパイアされた曲らしい)がわりと長く引用されていることから、「第二帝政時代はもはや化石だ」という諷刺をこめている、とも言われるのだが、じゃあ、それに続くロッシーニの曲についても「ロッシーニのオペラなんていまの時代にはもう化石だ」という非難をこめていたか、というと、私にはよくわからない。どちらかというと、この部分は「クラリネットの見せ場」と設定されている、というほうが本質だと思う。
まして、何曲も引用されているフランス民謡に対して非難とか当てこすりとかはないと思うので、自分の旧作を引っぱり出してきて、「昔のいろいろな曲も出て来ていっしょに楽しく踊ろう」という程度のことなのではないかと私は思うのだが。
ところで、「化石」の自筆譜の表紙には恐竜または翼竜の化石の絵が描いてあるのだが、私は「これってハルキゲニア?」と思ってしまった。一八八六年にはまだハルキゲニアの化石は発見されていないので、あり得ないのだけど。
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