第41話 神殿からの呼び出し
「…………」
これは、どういうことなのだろう。
黙々と裏庭の雑草を毟りながら、ヘリアンサスは考える。
リリウムが倒れて以来、色々なものへ一層警戒してきたつもりだ。
一応食事も薬も、リリウムの口に入るものはヘリアンサスが自分で確かめていたが、不審を感じたことはなかった(薬は馬鹿みたいに苦かったが)。
流石にショコラは、長老の眼の前で毒見するわけにもいかなっかたが、リリウムは大層喜んでいたし問題は無いのだろう。
ここに来て以来、身の危険も特に感じたことはない。
やはり、長老は敵ではないということだろうか……。
「…………ふんっ!」
一際腰の強い草と格闘しながら、頭ではあれこれ考える。
リリウムもすっかり持ち直して、今日一日は念の為休ませたがもう起き上がれると今朝言っていた。
取り敢えず、床離れしたらいの一番にお礼を言いに行くべきだろう――そう考えていた時、使用人が近づいてきた。
「聖女様……ここはもう良いですから。
それより先程神殿から言伝の者が来まして、どうやら呼び出しのようです。
ほら、文もここに」
「そうですか……?あら、本当。
では最後にこの区画だけ終えて、失礼致しますね。
申し訳ございませんが、後はお任せしても?」
「え、ええ勿論。
このようなこと、そもそも聖女様にお願いすることではないのですから……。
長老様のことについては、個人的に大変恐れ多く、また有り難く思っております」
使用人たちの態度も大分変わった。
最初は遠巻きと言うか腫れ物扱いで、言いつけを守っているだけで「聖女様がそのようなこと……!」と驚かれたり遠ざけられたりしたが、ここは前任と違うということを率先して示すのが肝要だと思った。
嫌がられることは進んで引き受け、何事もにこやかに受け答えした。
そうした甲斐もあって、今は雑談くらいなら相手をしてもらえるし相手によってはこうして親身になってくれる。
ともあれ、そんな風に手伝いを一時離脱して。
要件が何だかは知らないが、帰りにリリウムに果物でも買ってこようと街中に出ていった。
そうして赴いた神殿には、思わぬ人物が待ち受けていた。
絢爛な周りと古びた調度が不釣り合いな部屋の中、悠々と腰掛けているのは黒髪男である。
神官は丁度離席しているようで一人である。
思わず何でいるんだと突っ込みそうになった。
すると聞いてもいない内から勝手に語りだす。
こいつのこういう話運びにも、何だかもう慣れてきた自分がいる。
「こちらの神官とは、王都学院時代の同窓でして。
私も最近になって気づいたのですがね。
……私から直接呼びつけるのも、密談だと言いふらすようなもので良くないでしょう。
なので少々骨を折って貰いました」
「そ、そうですか……
確かに露骨に呼び出すよりは、神殿を介した方が自然で注意も引きませんね」
「ええ。そしてこの頃、長老のお膝元で精力的に励んでいるようですね。
城下では中々評判になっていますよ」
何だそれは、全く気づいていなかった。
何でも私が長老の館で小間使いをしていることは、尾鰭背鰭つきで広がり何故か美談になっているらしい。
聞くところに寄るとこうだ。
領主の客分として迎えられたはずの聖女が、何故か長老の館で働かされていることは、今では周知の事実らしい。
しかしその実態は然程広まっておらず、代わりに又聞きの細切れの情報に色々面白おかしい脚色が加えられていた。
長老は小間使いとして引き入れた聖女を、どうせすぐに音を上げるだろうと、あの手この手で虐げた。
しかし聖女は前の神官の所業の償いとして、この全てを聞き入れた。
ある日長老が体調を崩した日、聖女は夜を徹して献身的に看病し、ついに長老の心は動いた。
彼はそんな聖女の大いなる慈愛に心を打たれ、最近は館を出ることもなく、静かに神の教えに耳を傾けているらしい――
つらつら語った黒髪男はそのままこちらにも水を向けた。
「で、実際はどうなっているのです。
本当に長老殿は聖女様の慈善に打たれて心を」
「いや絶対違うし本人が聞いたら脳の血管破裂させそうだからやめて」
つい食い気味に否定してしまった。
長老が最近外に出ないのは、自分相手に一昔前の小姑のような絡み方をしていたからだ。
ついでにヘリアンサスが看病したのも、不調を労られたのもリリウムの方だ。
あああもうどこから突っ込めばいいか分からない。
こんなことが耳に入れば、全てが振り出しに戻りそうで考えるだけで寒気がする。
そのまま向けられた視線に、少し口籠りながら考えを述べる。
「悪い方ではない、と思うし……
寧ろ近頃は結構良くして下さるのだけれど、神殿への嫌悪が変わったわけではないと思います。
あれは何と言うか通常の善意の域を出ないし、好意とは別物でしょう。
まして私の行いに感化され心を入れ替えるなんて、きっと万に一つもない」
「そうですか。
では話題を変えて、聖女様から見て、内通に加担している可能性は?」
「……そういうことをする人種には見えないわ。
どちらかと言うとたんじゅ……一本気な方のようだから、こんな回りくどいことはしないでしょう」
「まあそうですね、同感です。
……現伯爵夫妻については、私の方から色々探りを入れましたが。
やはり不穏な素振りは今のところ見られません。
少なくともすぐに我々を排斥しようとはしていない。
であれば、アルビウス公は何のために今回のことを仕向けたのか……」
黒髪男はそう言って少し考え込んだが、すぐに顔を上げる。
「……まあ、今考えても答えは出ないでしょう。
一日も早く結果を出すことが、敵方を最も苦しめることになります。
そこでお聞きしたいのですが、長老の様子は実際どうなのです。
態度は軟化しているそうですが、国王派に与して下さる気はありそうですか?」
「……それとこれとは別でしょうね。
ここからは私の推測になるけれど、国王派の主張の根拠の一つは、陛下が神殿に認められた王であるということ。
けれど長老様の場合、それが裏目に出ているのだから……
神殿への気持ちを多少なりとも緩和させないと、国王派への参与は厳しいかも知れない。
まあ、そちらが現伯爵を落とすのなら別でしょうけれど」
それを聞いた黒髪男は少し考えるようにしていたが、やがて顔を上げる。そして、
「…………では、長老のお相手は引き続き聖女様にお願いするということで。
人間感情が高ぶればボロを出しやすくなるものです。
あの長老の口を割り、しかしくれぐれも激昂させすぎることがないように。お願いしますね?」
などと、最後に割ととんでもない無茶振りを投げかけてきたのだった。
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