第38話 虎穴に飛び込んでみせましょう!

なにはともあれ、長老の近くに行けるのならこれを逃す手はない。

或いはこれも罠かもしれないが、何でもかんでも罠と警戒していては身動き一つ取れなくなる。

そんな状態に陥るくらいなら最初から聖女に徹して祈っていろという話だ。

ヘリアンサスとしては、成果を得るために虎穴に飛び込むのも吝かではなかった。


そんなこんなでヘリアンサスが長老の館に入り、何だかんだ三日が経った。

その間何かと呼びつけられて、雑用をさせられた。

言いつけられたのは水汲みとか雑草取りとか皿洗いとか雑巾がけとか、そんなことだ。


「おい、拭き残しはないだろうな……ふん、良かろう」

「…………」


窓枠に指を走らせて埃を点検するなどいつの時代だ。

突っ込みたくなるのを堪えていると、

「ふふん、神殿の者にはさぞ屈辱であろう。

心が折れたならはよカエルムから去るが良い!」


そう言って、意気揚々と踵を返す。

何だか得意げな長老には悪いが、正直ヘリアンサスは、この程度どうということもなかった。

寧ろ拍子抜けしていた。

孤児院時代から、こうしたことには慣れている。

だが、それ以上に気にかかるのは。


(これはやはり、時間稼ぎということなのかしら……)


黒髪男も伯爵家で何かと動き回っているらしく、そちらからも日々情報が入ってくる。

無心に掃除を再開しながら、そんなことを考えた。


元々現伯爵は国王にも好意的な中立派だ。

ノックス家が与して状況が変わった以上、国王派に与するのも否やはないと言っているらしい。

しかし長老の反発が妾腹の王やそれを認めた神殿に反発しており、度重なるアルビウス公の説得にも応じなかったらしい。


(これは、どういうことなのかしらね……)


あの貴族がヘリアンサスをここに行かせようとした、その真意を考えざるを得ない。

身構えて来たものの、今のところ危険や不穏は感じないのだ。

伯爵が好意的に見せて裏では背いているのか、長老が神殿嫌いの建前の裏で敵と通じているのか。

或いはドミニク家は別に裏切りとは無関係で、親しい貴族を出汁にした、ただの時間稼ぎなのだろうか。

その間に、こことは全く別の場所で何かの策謀が動いているのなら、その辺りは黒髪男の領分だろうが……。


(あいつが裏切っているのなら、これを機に私を殺そうとするはず。

私ならそうする。

それでも私がまだ生きているというのは何かに利用したいか、或いは足を止めておきたいかのどちらかだと思うけれど……)


やはりあれは純粋に国王の臣で、貴族の団結のためにヘリアンサスを利用したがっているのだろうか。

そう考えれば筋は通る。

一抹の疑念は拭えないにしても……

そんなことを考えながらも手は動き、気付いたら廊下の掃除が終わっていた。


「次は裏庭の雑草取りね……

まだ日暮れまであるし、今日で粗方取れそうね」


「……は、はい。ヘリアンサス様……」


そんな中、それは起こったのだった。


「……リリウム?どうしたの!?」


何気なく振り返ってぎょっとした。

リリウムが顔を真っ赤にして、ぐったりと座り込んでいたのだ。

慌てて駆け寄って助け起こす。

天気の良い日だったので一瞬熱中症かと思ったが、咳き込む様子に違うと察する。


「体調が悪いの?熱っぽいわ……

そう言えば昔、季節の変わり目は風邪気味になることがあったわね」

「…………ご、ごめん、なさ……」


掠れた声でそう返される。

思い返すと朝から少し顔が赤く、ふらふらしていた気がする。

どうして気づかなかったのかと自責に駆られた。


「……無理をしないで。ここ最近色々ありすぎたし、疲れが出て当然だわ。

ごめんなさい、私の気遣いが足りなかったの。

私のことは良いから、少しでも休んでちょうだい」


ここ最近気温が変わったのもあるだろう。それに立て続けの環境の変化とか、気疲れとか、そういうこともあるだろう。

これは気配りが足りなかったとヘリアンサスは反省した。

考えていた予定を思い出す。少し迷ったが、すぐに決断した。


「とにかく、今日明日はゆっくり休んで。

ひとまずは神殿に戻りましょう。

私も傍にいるから、まず体を治すことに専念しなさい」

「……そん、な…………」


リリウムとしても、それを案じて不調を隠していたのだろう。

弱々しく反対されたが、もう決めたことだ。

この子を置いていったら、心配で何も手につきそうにない。

容態もそうだがここは暫定敵地、何があるか分からないのだ。

不在時に何か起こっては悔やんでも悔やみきれない。


「……ということですので、お屋敷の手伝いについてですが、数日ご容赦頂きたいと思うのです」


その夜会った長老にそう切り出すと、それみたことかという顔をされた。


「はんっ、とうとう音を上げおったか。

神殿の者など少し捻ればこんなものよ」

「……あの年頃の子には環境の変化は響くものです。

着いてすぐに手荒い歓迎を受けるなど、色々ありましたし」


正確にはあの時リリウムに水は掛かっていないのだが、敢えてそう言ってみる。

すると長老は「うぐっ」と唸り、言葉に詰まった様子を見せた。これは少し意外だった。

「ふん知ったことかそんなもの」とか開き直られるのを想定していた。

ともあれ、これは好機だ。

これが降伏宣言と思われては堪らないので、矢継ぎ早に言葉を続ける。


「雑用……いえ、客分の分際で、病人を置いていくわけには参りません。

邸内に流行らせるようなことになれば大事です。

ですが必ず戻って来て、お認め頂けるよう努力しますので――……」


「何を言っておる、病人を移動させるのは良くないだろう。

元々ここには医者も薬師もいるのだ、わざわざ動かす必要はあるまい」


だが返ってきたのは、思いがけない言葉だった。

一瞬意味が咀嚼できずに瞬きする。


「……はい?」

「何じゃその気の抜けた声は。

これだから若いもんは、しかも神殿は……」


そのまま止め処無い愚痴と悪態が続きそうだったので、勢いよく頭を下げて「ありがとうございますお言葉に甘えます」と言って場を打ち切った。

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