第36話 伯爵家からの使者

かといって、今できることはそれほど無いのも確かだ。

急いては事を仕損じるという言葉もある。

今は、長老やその周辺が落ち着くのを待つ時だろう。


手始めに、街に出てみることにした。

街中をそぞろ歩き、気になったところへ足を伸ばして見物する。

最悪石を投げられることを覚悟していたが、意外にもそれほど邪険にはされなかった。

積極的に何かしてくる気配はなく、遠巻きに見られ近づけばそれとなく避けられる、そんな感じだ。

悪意や害意というよりは、戸惑い、警戒、そんなところのようだ。


「これは北の地方にしか咲かないお花ではなかったかしら。

カエルムで見られるとは思わなかったわ」

「私は初めて見ました。綺麗で香りが良いですね……。

……あ、ヘリアンサス様。このお魚、昨日食べたものと同じでは?」

「ええ。ここのお魚は美味しかったわね、とても新鮮で。

図鑑で見たけれど、南の海で採れるものなんですって」


そんなことを聞えよがしに話してみたりもする。

半ば自棄であるが、こちらから敵意がないことを主張するのは大切だ。

そうしている内に、相手方の緊張も緩んできたというか、こちらがいることに慣れてきたようだ。

神殿とは過去に複雑な経緯があるが、聖女に対してそれなりに好奇心もあるらしい。

特にヴェスパータでのあれこれが伝わって、人々の興味を掻き立てているようだった。

困惑や警戒に混じって、興味深そうな視線を感じることが増えていった。


その傍ら、せっせと手紙も書き送った。

街で見聞きしたことやその発展への称賛を惜しみなく綴る。

完全にさもしいご機嫌取り、もっと言えば媚売りだが、直接押しかけるよりはましだろう。

一応返事も来た。明らかに代筆と分かるような儀礼的なものだったが。


そんなある日、遂に長老の邸宅から使者が来た。

カエルムに到着してから、半月が経とうかという頃だった。


「聖女様には大変なご無礼を働いてしまいましたが、是非一度、落ち着いて席を設ける機会を持ちたいと我々は願っております。

長老様にも何とかご承諾頂けましたので、つきましては明後日にいらして頂くわけには参りませんでしょうか」

「わざわざありがとうございます。

本当に……何と御礼を申せば良いか」


この十日余りで彼らにかけた苦労を思えば、自然と頭が下がった。

自分が来たために散々迷惑をかけたというのも心得ている。

周囲の口添えもあってのこととは言え、あの状態からここまで持ってくるのは並大抵ではなかっただろう。


「いえ、最初の嵐が過ぎた後は、我々の声にも耳を傾けて下さいましたので。

伯爵様の方からも、何度も説得の文がございましたしね。

今のままの対応ではあまりに大人げない、領地の恥にもなると、現当主として説いて下さいました」

「そうですか。後々御礼をお伝えしなければなりませんね」


そう返しながらも、ヘリアンサスは何気ない言葉を吟味していた。

やはり、あの長老にとって領地の名誉は何よりも重いものなのだろう。

今回のことは、ヴェスパータの時ほど緊急ではない。

だがいつまでもここで燻っているわけにもいかない。様々な意味でだ。

ヘリアンサスとしては何としても、長老を説き伏せるための最短距離を探り出したいところだった。

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