第33話 ショコラと密談

…………何だろうこの気持ち。

神殿を後にし、切なすぎる気分でふらふら歩いていたところ、向こうから来た馬車が手前で止まった。

何かと思いきや、聞き覚えのある声が中から降ってくる。


「ああ丁度良かった、お乗り下さい。色々話しておきたいこともありますし」


そう宣った黒髪男は、それこそ猫の子でも拾い上げるようにこちらを招いたのだった。


「ああ、お聞きになったのですね」


着いた先は、何だか煌めく空間で、即座に高級と分かる喫茶店だった。

街中の劇場に併設されている類のもので、広々とした空間には絶えず音楽が流れている。

集う人々も上品に着飾って世間話に花を咲かせているようだ。

成る程これなら密談に支障はないだろう。

神殿で得た情報について水を向けると、黒髪男はあっさりとそう返した。


「私自身、伝聞のみで大したことは知りませんが……

その件以来、ドミニク伯爵家と神殿の関係も悪化の一途を辿っているようですね。

殊に、今は長老となっておられる先代様は、御自ら神殿に乗り込み大立ち回りなさったとか」


他所に散々迷惑をかけて顧みない神殿の浅慮と拝金主義を、かの長老(当時は伯爵)は罵倒の限りを尽くして咎めたという。

言葉のみならず、飾られていた壺やら何やら投げつけて暴れ、終いには棒を振り回しながら追い立てたらしい。


神殿に振り回され堪忍袋の緒が切れたというのには、正直共感しかない。

特に大立ち回りの件では、内心拍手喝采を送りたくなった。

だが、今後のことを思うとそうもいかない。


「ヴェスパータでのように、民衆を扇動するという手は使えないでしょう。

ここは国境から大分離れていますから、戦争の危機感もヴェスパータほど強くはありませんし。

何より、そもそもの気質が違います。過去の経緯以前の問題です」


やはりと言うか、先日の成り行きは筒抜けらしい。

言われなくても派手な真似など、恐ろしくてできるものではない。

あの道端に倒れ伏した姿を見てしまっては。

過激なことをして刺激など与えて、何かあったらどうするのか。

それを抜きにしても、妙なことをして更に神殿の印象が低下すればあの神官はますます窮地に陥ることだろう。


「……では、どういった手法をお考えであられますか?」


ヘリアンサス自身はまだ考えが纏まりきらない。

なので取り敢えず黒髪男の考えを聞いてみたくなった。

それに黒髪男は、考え込むようにやや目を伏せる。


「……あの長老は、根は決して悪人ではありません。

昔気質の、頑固ですが気丈で篤実な方です。

陰険な、或いは回りくどい方法は逆効果でしょうね」

「…………」


つまり、本人にぶつかるしかないということか。

あれほど嫌われてどうやって。

思考が袋小路に入りそうになったところで、覚えのない甘い芳香が漂ってきた。

そわそわ落ち着かない様子で黙っていたリリウムが、ぱっと顔を上げる。

見ると、銀盆を掲げ持った給仕が近づいてきている。

そこから甘い香りがしていた。

黒髪男も気付いたようで、「ああ、来ましたか」と呟く。


「折角この街に来たのだから、一度味わって損はないでしょう。

先程頼んでおいたショコラです。どうぞご賞味下さい」

「……あ、あのショコラが、これなのですね……!」


運ばれてきたのは繊細な作りの、カップに入った飲み物だった。

掌に収まるような小さなそれに、茶色い液体が満たされている。

それを見て珍しく、リリウムが興奮気味に声を上擦らせた。


ショコラのことは、ヘリアンサスも聞いたことがある。

南の地で採れる木の実を加工したもので、非常に良い味がすると噂に聞いていた。

庶民の間では御伽噺の飲み物として知られる幻の名産品だ。

ちょっとやそっとでは手の届かない相当な高級品だが、貿易を取り纏めるドミニク家領地だけあって、色々融通が利くのだろう。


ショコラと言えば、大抵の子供が一度は憧れるのではないだろうか。

ヘリアンサスも、流石にこれはときめいた。

猫被りも剥がれそうになったが、向かいの黒髪男の存在と、年相応にはしゃぐリリウムを見て抑え込む。


「何度も見ました。これを飲むと魔法がかかって願いが叶ったり、ずっと幸せになれるまじないになったり……!」

「ええ、そうね。そんな風に語られるなんて、どんな味なのかしら。楽しみね、リリウム」


声を弾ませるリリウムに、大人しく笑いかけて取り繕った。

それでも大声を上げたりせず、周囲の空気を壊さないのだからこの子は凄い。

年下ながら、見習うところが沢山ある。


「どうぞ」と勧めた黒髪男が口をつけるのを確認して、カップを手に取る。

口元に寄せると、更に香りが強まった。

色は深い茶色で、近くで見るとややとろみがあるようだ。

そうしている間にも心を擽るような、濃く甘い香りが漂ってくる。


「……っ」

――美味しい。甘い。

ただ甘いだけではなく、体の奥まで押し寄せてくるような風味がある。

飲んだ後も香り高く余韻が残り、脳を揺さぶるような幸福感が突き抜ける。

理屈より先に体が得心する。


ああ、これは、魔物だ。


「美味しいです……!」


リリウムが、これまで見たこともないような笑顔を見せた。

二人して幸福感に浸っていると、いつの間にか辺りの雰囲気が変わっていた。

生演奏をしていた区画で、人が入れ代わり立ち代わりしている。

周囲もそこに注目し、何事か囁き合っているようだ。

こちらの戸惑いを読んだかのように、

「どうやら、珍しいものが聞けるようですよ」と黒髪男が呟く。

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