第32話 街と神殿の確執
「こ、これは……」
「…………」
絶句するリリウムに、返事を返す気力もない。
目眩がするほどごてごてと飾り立てられていた。
信じ難い成金趣味、頭の悪さ。
この施設がヴェスパータのそれと同じ目的を持つ場所だと言っても、誰も信じないことだろう。
元々神殿では、地方での活動や伝道に関してはその地の神官長に大きな裁量が認められる。
同じ教えを掲げていても、伝道の在り方はその人柄や胸三寸によって大きく変わってしまう。
今更であるがヴェスパータの神官長は、神殿の中では比較的人格者として知られていた。
つい先日会った彼とのやり取りをつらつら思い出していると、開け放たれた馬鹿でかい扉の奥から、ふらっと人影が出てきた。
何だか幽鬼みたいだった。
「……ああ、報せは受けております。よくぞおいで下さいました、聖女様……」
この地の神殿を預かっているという彼は、苦労がありありと見た目に出ていた。
痩けて隈の浮かんだ顔が哀愁を誘う。
撫で肩に装束を落とし、まだ若いだろうに妙に老け込んで見えた。
彼はマルクと名乗った。
現在のカエルムの神殿には彼しかいないらしかった。
先導されて、奥の個室に通される。
これまたけばけばしい壁と天井と床に、その辺で拾ってきたみたいなボロ……年季の入った木机が涙が出るほど不釣り合いで、嫌な予感は強まる一方だ。
腰掛けた椅子は足の長さが不揃いなようで、ガタガタと鳴り出した。
出てきたこれまた安物っぽいグラスの水に、手を付ける気にもなれない。
正直聞きたくもないが、聞かねばならないのだろう。
背筋を蝕むような悪寒は見事に的中した。
そのままヘリアンサスは、この街と神殿の確執について知らされることになったのだった。
神官が時々詰まりながら、細い声で語った顛末はこうである。
元々彼はこの街の担当ではなく、やむを得ない事情で前任者と入れ替わるようにやって来たらしい。
事の起こりは三十年ほど前のことだ。
当時このカエルムに赴任していた前の前の神官は私腹を肥やすため、もとい神殿に上納して貢献するために小金を稼ごうと画策し、馬鹿馬鹿しいインチキ商法に走った。
願いの叶う壺、恋の実るロケット、その他諸々の馬鹿雑貨を売り出したらしい。
神殿の権威を傘にきた強引な売り込みが幸か不幸か功を奏した。
ちょっとした流行りになってそこそこ売れてしまったのだ。
それで舞い上がったそいつは借金までしてこの金のかかり過ぎたド派手神殿を建立した。
だが、そんな強引な商法が続くはずがない。流行りが過ぎて誰も買わなくなってからも、神殿は無理矢理馬鹿雑貨を売りつけて回った。
それなりの数の者が神殿に嫌悪感を持ち、とどめに海外の貿易相手に売りつけて、その後トラブルが起こったとか。
昔気質の長老はこれに堪忍袋の緒が切れたらしく、率先して前任を追い立てようとしたそうだ。
話を聞いたヘリアンサスは頭を抱えたくなったが、ここでそうするわけにもいかない。
気力を奮い起こして話を続ける。
「その神官はどうなったのでしょう。貴族や民との関係に罅を入れたのですから、相応の責任を取ったはずでは……」
それに神官は、何とも悲壮なやり切れない表情を浮かべた。
「……彼は大神官様のお一人と、縁続きの方でしたので……」
「……ああ……」
親愛なるお偉い腐れ爺どもの顔が浮かんだ。
その馬鹿は大して制裁も受けずさっさと引き上げてしまい、そして残されたのはこの悪趣味極まりない馬鹿神殿と、神殿に不信感を持った民衆という惨状だ。
それでは不快な思いをした人々の怒りも収まるはずもない。
そして事態終息のためにやって来た前任にも、関係の修復は叶わず短期間でカエルムを去った。
それら全ての尻拭いを押し付けられ……もとい後任としてやって来たこの神官の心境がどのようなものだったか。
ヘリアンサスは同情せずにいられなかった。
「それはその、何と言うか、真にお疲れ様でした……」
「聖女様にそう言って頂けますれば、この六年の苦労も報われます。
ここにあったものも粗方売り払ったのですが、建物自体を解体するとなると費用もかさみまして……
今はしばしば、この街の催事に会場などに解放したりしつつ、私はここの方々の信頼を取り戻すべく日々活動している次第でございます」
神官はそっと目元を拭う。
黙って聞いていたリリウムが堪りかねたように案じる声を掛ける。
「あの……胃に優しい薬草や良く眠れるツボなど、お教えしましょうか?
失礼ながらお顔の色が少々変ですし、良く眠れていないのではと見受けます」
「小さい方、ありがとうございます。
貴方に祝福がありますよう……
とにかく、御力になれることがあれば何なりとお申し付け下さい。
幸い部屋は有り余っておりますし、どうぞ気兼ねなく滞在して下さって構いません」
幼い少女の気遣いに、神官は感じ入ったように声を震わせる。
これはいよいよ休暇が必要な状況だろう。
これはヴェスパータでしたように、その地の神殿と裏で手を組んで働きかける、という手法も取れそうにない。
人々の感情的にも神殿側の余力的にも。
それどころか。神殿の所轄や異動は様々な利害や親族関係が絡み合う複雑なもので、ヘリアンサスが口を出せる領分ではない。
ヘリアンサスが去った後も、神殿の教えを伝える伝道者として彼はこの街に残り続けなければならない。
とにかく、この人に迷惑がかかる事態だけは起こすわけにはいかない。止まらない頭痛の中で、ヘリアンサスはそう思ったのだった。
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