第28話 まだまだ何も終わっていない

 これで良かったけどこんなはずじゃなかった。

首の皮一枚繋がりはしたが、代わりに色々大事なものを失った気がする。

嘆くヘリアンサスに、声がかけられる。


「……ヘリアンサス殿。改めてお聞きしたいのですが、誠に神の啓示とやらを授かったのですか?」

「そんなの方便に決まってるでしょうが!!告解で知ったのよ!!

いきなり降って湧いた小娘の言葉なんか誰も信じないし、そこを補おうとどうにか……ああああもう嫌やってらんないっ、聖女なんて辞めてやる!

このままどこかに雲隠れしてやる!

貴族なんか貴族なんか二度と関わるもんですか!!」


 蹲ったままの体勢で、涼しい顔の黒髪男をぎっと睨み上げる。

そうだ、元々こいつらが不甲斐ないせいでこんなことになっているのだ。

だというのにこのいけ好かない黒髪男と来たら、初対面から無遠慮にじろじろと。

こうなれば言いたいこと全て言ってやる。


「……あんたは警戒していたみたいだけどね、こっちは宮廷の権勢なんかまっっったく興味ありませんから!!そっちで勝手にやってろって話よ!!」


 その言葉に黒髪男は目を見開き、次いで探るように問いを投げる。


「ほう。それではこの国を救った後のことはどうお考えで?」

「田舎に引っ込んで畑耕して近所の子供に字でも教えて暮らすわよ!!

王宮になんか頼まれなくても一生近づきませんからご心配なく!!」

「ほほう」


 その答えを吟味するようにして、黒髪男はこちらをじろじろと見つめる。

しかし次の瞬間「それは勧められませんね」と、これまで見せてきた顔が嘘のような爽やかな笑顔を浮かべて見せた。


「田舎に引っ込んで、それでどうなるとお思いです?

早晩探し出され、陰謀に利用されるか暗殺されるのが落ちでしょう。

それよりは陛下の元に留まり、身の振り方を考えた方が賢明とは思いませんか?」

「――――……」


 含むところなど一欠片もありませんと言わんばかりのその笑顔を前に、思わず表情が抜け落ちるのを感じる。


 こいつ、掌返しやがった。

ついこの前は狂犬か害獣でも見るような目で見てきたというのに、貴族というものはこれだから。

やはり国家の中枢とは人外魔境である。

関わってはいけないと警鐘が大音量で鳴る。逃してもらえるかは別として。


 感情の抜け落ちた顔で見上げるヘリアンサスに、黒髪男は手を差し出して助け起こす。

その顔にはくっきりと、「中々面白そうな駒だ、どう利用してくれようか」と書いてあった。


 とんでもない世界に足を突っ込んだかもしれない。

今からでも引き返したいが、果たしてできるだろうか。

虚無の顔のまま黙り込むと、どうやら渋っていると判断されたらしい。

黒髪男のみならず、国王までもが直々に頼み込んでくる。

止めてくれ、そろそろ本格的に頭がおかしくなりそうだ。


「俺からも頼む。あんたは信頼できる人間だと思うし、度胸も本物みたいだしな。

とにかく国が落ち着くまではあんたの協力が欲しい。これからも力を貸してくれ」

「………………分かっ……分かり、ました。

……色々と気にかかることもありますし、それにまだ何も終わっていないのですし。

微力ながらお力添えしましょう」


 つい引きずられそうになるが、既のところで相手は国王だったと思い出して敬語口調に戻す。

そうだ。どうにか窮地を凌いだだけでまだ何も解決していないことを思い出し、こめかみに汗が伝う。

まだまだ何も終わっていない。

アルクスに突如降り掛かった国難は、未だどこにも去ってはいないのだ。


「それは安心、あんたがいてくれたら百人力ってやつだ。

いや本っ当今回は命拾いした~!

グラディウスの親父殿に死なれたらいよいよ孤立無援で詰んでたからな俺!

そうでなくても絶対死なせたくなかったし――あんた最高!女神だ!」


「それは何よりでございますが女神呼びはお止め下さい本当に」


 そしてこの国王の異様なテンションも留まる様子を見せない。

どうすれば良いんだこれ。

極限の緊張と解放を経験すると精神が振り切れ、妙な感じになってしまうのは先日ヘリアンサス自身も体験したので、今彼がどういう状態かは何となく想像がつくのだが。

これは自分が見聞きして良いものなのだろうか。

後で消されたりしないだろうな。


 その時、聞き覚えのない声が場に響いた。

「恐れながら、陛下。女神ではなく聖女様であらせられますよ」

「言葉の綾ってやつだ、アルビウス。……軍の再編はもう良いのか?」

「ええ。一時とはすっかり風向きが変わりまして、これも全て聖女様の功徳の為せる業でしょう」

「……っ……」


 何気なく呼ばれたそれに、ヘリアンサスは息を呑む。

その様子をどう思ったか、入ってきた男性は軽く会釈した。

年の頃は四十を越えたところだろうか。輝くような金髪に完璧な身なり。

如何にも優美で貴族的で、それでいて凄みを感じさせる姿だった。


「……ああ、これは失礼。ご挨拶がまだでしたね。

陛下よりイテル地方を預かっております、アルビウスと申します。

お会いできて光栄にございます、聖女様」


 そう告げる声が、妙に遠くから聞こえる気がした。

 顔は知らない。会うのも初めてだ。けれど初対面という気は全くしなかった。

もう数え切れないほどに、頭の中で反芻した。


『あの時、私を手引きした人物を連れていたのは、確かに――』

 あの時告解で、弱り切った彼に一つの名前を告げられた。

国を裏切った大貴族。敵国の手引と今日の混迷を招いた者。


 アルビウス公爵――某貴族、その人であった。


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