第22話 一度進むと決めた道

 思わぬ休息で幸福感を得たところで、その日にはもう一件用事が控えていた。

ヴェスパータには城の施設を本拠とする神殿と、それに付随する街中の神殿が幾つかあり、そこに常在している神官たちとそれを纏める長がいる。

身一つで工作するよりはと思い、早速神官長に会ってみることにした。

伝えたいことは唯一つ、『侯爵を動かすのに協力しろ』である。


「御機嫌よう、神官長様。この度は急な要請にも関わらず、滞在の用意をして下さりありがとうございました」

「それは何よりでございました。

しかし……聖女様、一体どうなさったのです?

聖女たる御身が戦場を離れ、このようなところまで……こうした場所での人々の導きは、何卒我らにお任せ下さればと思います」

「私がここへ来たのは、それが神のご意思だからです」


 使った手は国王との謁見でもお馴染み、『神のお告げ』の一点張りである。

神殿側はこれを言われては強く撥ね付けられない。

神に近い聖女などとほざいて命を張らせているのは向こうなのだから、余程の無茶でも言わなければ聞き入れて貰える。

というか実際ヘリアンサスが主張しているのは無茶でも何でもない。

このままでは国の維持すら危ういのは子供でも分かることだ。

神殿としても、アルクスが倒れては困るはずだった。


 昼間の、人々の聖女への反応を見るに、ここの人々は神殿への強い悪印象は持っていない、従ってこのヴェスパータの神殿はそこまで腐敗していないと感じた。

神殿の象徴たる聖女への態度で、その人間の神殿への感情は大体読み取れるのだ。


(実際に会ってみても、人望ありそうだしそこそこ信心もありそうだし。当たりだわ)


「ただ日々の中で、お会いになる人々に、少しだけ私の思いを説いて下されば良いのです。

地上に神の意志を実現させるため、貴方の御力が必要なのですわ」


 そんなようなことを手を変え品を変え並べ立て、然程かからず首を縦に振らせることに成功した。


「……承知致しました。我々の側からも、この街の人々に働きかけてみましょう」

「ええ、感謝します。何事も、神の御旨のままに為されますよう」


 こうして、ヘリアンサスのヴェスパータでの活動が始まったのだった。


 ヴェスパータで、人々との距離を詰める日々は緩やかに流れていった。

他愛もない世間話に織り交ぜて、神のお告げなどを伝えられるようにもなってきた。


「……わたしは父さんや兄さんが危ない目に遭うのは嫌。神様はわたしたちのことは、傷ついても良いと言っているの?」


 ある日言われたその言葉に、ヘリアンサスは目を瞬かせた。

周りが慌てたようにどよめく。言葉を発した少女の親らしき大人が、動揺しながらも前に出た。


「下がっていなさい!聖女様、失礼を……」

「いえ、良いのです。こちらへいらっしゃい」


 近づいてきた子供と目線を合わせ、穏やかに語り掛ける。

金茶色の巻き毛が可愛らしい、色白の少女だった。


「名前は何というの?」

「…………カリン」

「……そう、カリン。神様は勿論貴方を愛しているわ。

そして同じように、今危機に瀕しているアダルベロの人々のことも愛している。

苦難を乗り越えるために手を取り合うことは、か弱き人に天が与えた権利であり義務でもある。

もしも何か、どうしようもない出来事に直面することがあったら、誰かに助けを求めて良い。

その代わり誰かが困っていたら、手を差し伸べてあげましょう。

人はこれまでにも、そうして生きてきたのだから」


 膝を折ったまま、懇懇と言い聞かす。

懐疑を向けられるのは仕方がない。

詐術で大勢の人間の運命を左右しようとしているのは確かだ。

正しいかどうかなど分からない。

けれど一度進むと決めた道だ。

子供の大きな瞳から目を背けず、懇懇と諭す。


「このヴェスパータは、今はとても平和。

けれど国境では、殺し合い傷つけ合う惨状が広がっているわ。

手足を失う痛み、故郷を焼かれる痛み、大切な者を喪う痛み。

……戦火はあらゆる意味で人を傷つけるわ。

その痛みは中々消えることはないの。

それが今よりもっともっと広がっていってしまったら、沢山の人が苦しむわ。

そうさせないために今戦いなさいと、神様は仰っているのよ」

「……よくわからない、です」

「カ、カリン。本当にもうやめなさい……聖女様、申し訳ございません。ご無礼を……」

「いえ、良いのです」


 親は恐縮しきった様子だが、寧ろ結構好都合だった。

いつしか周りには人が集まっていた。

通行人も足を止め、次に聖女が何を言うのかと窺っている。

ヘリアンサスは一度深呼吸し、静かに人だかりに向き直った。


「ヴェスパータはかつてのアダルベロとの国境、その歴史の中で最前線となることもございました。

そこで暮らす方々には彼の地について、一言では言い表せない様々な思いがあることでしょう。

ですが、隣人として手を取り合い、アルクスを発展させてきたこの百五十年も決して虚妄ではないはずです。

この危急の際に彼らだけを矢面に立たせ、皆様は本当にそれで良いとお考えですか?」


 踏み込もうというところで、非難がましくならないように調子を抑える。

寧ろ少し崩し、弱々しく哀れに、悲しげに見えるように表情を変えてみる。泣き落としとも言う。


「……神はこの事態を憂えておられます。

共に一国に生きる者たちが些細な啀み合いをし、外敵に対処することもままならない。

できることは多くはないかも知れません。

ですが、何もしなければ何も変えられないのです」


 大きな都市ともなれば、様々な人間がいるのは当然だ。

足を止める者、聞く耳を持たない者、ついてくる者、来ない者、真剣な顔、迷惑そうな顔、色々な反応があった。

どのような反応にも対応を変えず、時間をかけて街を回りながら、ヘリアンサスは訴え続けた。

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