第21話 ささやかな茶会
帰ってからそう言えば、と振り返った。
戻ってきた時には町人と話し込んでいて、聞き出すどころではなかったが。
「リリウムは何を買ってきたの?良ければ教えてくれる?」
「はい、そのつもりです」
一瞬意味が分からず戸惑う。
リリウムがいそいそと長方形の紙包みを取り出すと、甘い香りが漂い出した。見覚えのあるようなそれに目を瞬かせた。
「これは……」
現れたそれは、道端で良く売られている焼き菓子だ。
焼き菓子特有の甘く香ばしい匂いの他に、ふんわりとしたスパイスの香りも混じっている。
細かく刻んだ干し果物や木の実の入ったそれは、生まれ育った孤児院でのたまの贅沢品だった。
「昔、お好きだと仰っていたでしょう。
あの辺りで売られていたものと、味は少し違うと思いますが……。
ヘリアンサス様が、大きな試みをなさっているのは知っています。
私は何の御力にもなれませんけれど……せめて何か、楽しみを得て頂きたくて」
「……リリウム。あ、ありがとう……一緒に食べましょうね」
どうしよう、ちょっと泣きそうになった。
出会った頃はあんなに小さかった子も、知らぬ間にどんどん成長していくのだなと感慨に浸る。
「それじゃあ、お茶の支度をしますね」と動き出そうとするリリウムを制して立ち上がる。
「待って。御礼をしたいから、今回は私がやるわ」
神殿では嗜好品の類などほぼ回ってこないし、戦場では尚更だ。
甘味などいつぶりだろう。弾む心のままに、ヘリアンサスはいそいそと動き出した。
茶の支度と言っても、まさか孤児院でしていたように水汲みから始めるわけではない。
使用人から一式渡されて中身を注ぐだけなので、すぐに茶会の準備は整った。
「檸檬が乗っているのね、これはこれで美味しいわ。
昔食べたものは入っていなかったわよね」
「爽やかな風味ですね。
檸檬と言えば、お魚の付け合せが定番だと思っていましたけど、こんな風にもなるんですね」
切り分けたケーキを少しずつ食べながら、わくわくと品評し合う。
やはり甘いものは良い。ふわふわとした幸福感に浸る。思いがけない一時の気晴らしだ。
「……国王陛下への反発は、思いの外強いようです。
当時は神殿にいましたから、あまり実感はなかったのですけれど」
リリウムがそう口にしたのは、食べ終えて一息ついた頃だった。
神殿の奥深くで育てられた彼女たちも、即位当時のごたごたは知っていた。
だが、実際にそうした空気に触れていたというわけではない。
「……陛下のことについて、不安や……その、侮りを感じているのは、貴族だけではないのですね」
「そのようね……」
あまり考えたことはなかったが、無理もないのかもしれない。
この国は上から下まで身分によって統制され、治められるという形を取ってきた。
故に貴族でなくとも、高貴ならざる血を引く者を仰ぐということに、名状しがたい嫌悪感があるのだろう。
当代のアルクス国王ルキウスは、先王妃の子ではない。貴婦人の子ですらない。
先王の急死から始まったあれやこれやの権力闘争。
その果てに生き延びたのは、何と誰も即位するなどとは思いもしなかった第三王子ルキウスだった。
これは驚きと、大いなる不満を以て迎えられた。
当時の貴族たちを揺るがし、そして今にも続く最大の争点となったのは、彼が庶子であったことだ。
正嫡の生まれでない王も、前例が皆無なわけではない。
しかし彼の場合、母親の身分が問題だった。
王の妻と言えば、側室であろうと貴族であるべきというのが不文律である。
しかしその女性は流れの一座の舞姫、身分社会の最下層に位置する流民だった。
前王は勇壮なる統率力、苛烈なまでの求心力で知られた王であったが、やや型破りな一面があった。
身分的に交わってはならぬ者を見初め、子を儲けたのだ。
そして生まれた王子はグラディウス家に引き取られ、育てられた。
かの舞姫は産後程なく亡くなってしまい、引き取り手がいなかったのだ。
言わばかの家はこの王子の後見であった。
王位継承権の末席も末席、卑しい血の流れ込んだ庶出の王子は、どうしたことか王位争いの激化につれ順位を繰り上げることになった。
嫡出の王子が倒れ、他の側室の王子たちが倒れ、ついに彼以外に先王の子がいなくなった。
それからの宮廷内部の紛争がどれほどのものだったか、想像するに余りある。
生き残った候補たちが軒並み血が遠く、似たりよったりなのに対して、先王の直系というのがやはり強かった。
候補者それぞれの後ろ盾による権力闘争を激化させない、無難な選択でもあった。
そして神殿が、(どんな裏取引があったのか知らないが)ルキウスを王位継承者と認めた。
結局その後押しによって、また育て親でもあるグラディウス家が全面的に後援することによって現王ルキウスの即位は実現したのである。
次代に玉座を伝える中継ぎとしてそれは認められた。
身も蓋もなく言えば、偉大なる先王の血筋を残すためだけに、王を名乗ることを諸侯に許されている。それが現状だった。
そういう経緯であったから、貴族の中にはどうしても王への侮り、蔑みといったものが蟠っていった。
特に一部の大貴族たちにとっては、血筋において劣る者を主君と仰ぐことは屈辱ですらあったかもしれない。
グラディウス公爵を筆頭とする国王派、グレゴリウス公爵が率いる貴族派。
そしてイグナティウス大公を代表とする、どちらにも属さない中立派。
即位から開戦までの短い期間、これらが睨み合い、探り合いながら対立し続けた。
積もりに積もったそれらが噴出したのがリゲルとの戦、それを切欠とする徴集の時である。
貴族派と一部の中立派はあれこれと理由をつけて、王の召集に応じなかったのだ。
これによって王は国境と王都という、ある意味二方面の敵を抱えなければならなくなった。
王都からわざわざグナーデまで出てきて采配を取っているのも、それほど味方が少ないことの証左であった。
「……陛下も大変ね。ああした経緯では禄な実権もなかったでしょうに、責任だけは伸し掛かる。
リゲル襲来時における側近の対応のまずさとか、そういう臣下の責任も押し付けられて、そしてそれを払拭するだけの力もない。
結果あんな最前線のすぐ後ろで、日々政事に奔走しないといけないんだから」
元々の国王への不信から、危急の際に団結することができず、それ故に状況が好転することもなく、更に国王の声望が落ちる。悪循環である。
矢面に立たされているアダルベロの民とて、調教された犬でも何でもないのだ。
苦難の時、利得のために見捨ててくるような貴族が多くを占める国に、どうして喜んで従おうと思うだろう。
そういう思惑も価値観も違いすぎる者たちをどうにか繋ぎ止め、状況悪化を防いでいるのが現状だった。
このままでは、最悪アルクスという国家自体が空中分解しかねない。
王室の転覆により訪れるのは、貴族などの有力者たちが覇を唱えて争う群雄割拠の時代だ。
心の底から勘弁願いたい。そうなれば真っ先に被害を受けるのは、力のない民たちだ。
王の譲歩を引き出そうと協力を渋る貴族たちは、自らがどれだけ危ない橋を渡っているのか承知なのだろうか。
茶器の縁を視線でなぞりながら考える。
(いえ、――いえ、きっと多くが考えていないのでしょう。
思い及ばないように巧みに誘導されている。
この状況を進んで招いている者がいる)
最早脳裏にこびりついてしまった、某貴族の名前を思い浮かべる。
茶器の縁をなぞって考え込む。いつの間にかお茶は冷めていた。
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