第17話 聖女の戦闘開始

「全く、とんだ独断に走ってくれたものだ。

話に聞くと神殿がしゃしゃり出たそうですが、ヴァーノン殿の熱狂ぶりにも困ったものです」

「まあ、誰しも弱点はあるものです。

あの方は我々の中でも領地が北に近いのですし、ある程度は仕方がないでしょう」

「だが誇り高き貴族ともあろうものが、侯爵様に背き神殿の口先に踊らされるとは何たることか!」


ヴェスパータ城は今日も、終わらない議論の最中にあった。

喧々諤々と議論を交わすのはそれぞれが軍勢を率いる貴族たち、またそれらに代々に仕える家臣や分家当主たちであった。


「……いよいよ陛下からの催促も増してきております。

これ以上逆らっては咎めを受けましょう」

「ですが、私は反対です。

北の問題は北の熊どもに対処させれば良い」

「今となっては、同じ国に住まう同胞でありましょう?

みすみすリゲルに蹂躙させるのは、あまりにも……」


部屋の中は剣呑な空気と、冷ややかな無関心で覆われている。

アダルベロに同情的な声もあるが、数は極僅かなものだ。

その空気こそが、今回の戦における、貴族たちの立ち回りの縮図と言えた。


北の熊とはアダルベロ、引いてはそこに住まう民や貴族たちの蔑称である。

多くの貴族やその臣下にとって、アダルベロは未だ身内とは言い難い。

同化しようにも、数百年もの間隣の敵国として相争い殺し合ってきた経緯が邪魔をする。

この百五十年でアダルベロの貴族をアルクス貴族と結婚させ、身内意識を強める方策が取られているが――王の側近、クロードアルトの両親もこれに当たる――顕著に効果が出ているとは言い難い。


故に貴族たちは、アダルベロが脅かされていても然程の危機感を感じていなかった。

そしてそれ以上に、王に対する意識の問題がある。


何故、「あの王」の号令に従って、命を張らねばならない?

何百年と殺し合ってきた「北の熊」どものために、何故我々が血を流さなければならない――?


アダルベロと王、その二つへの軽侮。

それ故の貴族たちの怠慢であった。

どちらか一つだけならば、彼らも思うところはあれどそれなりに真面目に戦ったことだろう。

しかし、二つとも揃ってしまったのが現実だった。

別の誰かがやれば良い。

自分たちが犠牲を払うようなことではない。

現在アルクスの貴族たちの間には、そうした空気が蔓延しているのだ。

その圧力の中で先陣を切るのは、並々ならぬ覚悟が要る。

リゲル襲来の報と援軍要請を受け、迷わず先遣隊を率いて辺境へ駆け抜けたグラディウス元帥のような者はそうはいない。


無論彼らも、敵国に恣に領土を食い荒らされることを望んでいるわけではない。

ただただ王に恩を着せ、今後の主導権を握るために出し渋っているのだ。

そのために多少北の国土を奪われようと、民と兵の屍の山ができようと、南に肥沃な領地を持つ彼らには何ほどのこともない。

これを機に王と貴族の力関係を反転させてしまおうと、そうした空気すら漂っていた。

「考えるまでもございません、王都のグレゴリウス公に同調すべきです。

時期を見計らって救援に赴き、恩を売るだけで宜しい。

あの国王陛下も、御自身の領分を理解なさるでしょう」


その中で、とりわけ頑強に言い立てるのはホートン伯だ。

それを上座から見下ろし、ノックス侯爵は目を伏せて思案に耽る。

侯爵家の家臣団と分家筋、それらに付随する膨大な資産と人材。

それらを統括する当主は、未だ年若い青年であった。

首の後ろで栗色の髪を結わえた細身の姿は、剣を握るより竪琴でも爪弾いていた方が似合いそうなものであった。

その侯爵は今日も今日とて進歩のない議論に、憂鬱そうに顔を俯ける。


議論はいつも通り、答えが出ずに紛糾の様相を呈す。

その時側近一人が近づき、低めた声で話しかけてきた。


「……当主様。少々宜しいでしょうか」

「……何だ?」

「先程階下に伝令が参りました。

グナーデの国王陛下より、新たな使者がお出でになるそうです。

出迎えの支度を整えるか、或いはお帰り願うか……」


侯爵は思いがけないその報告に、一つ瞬きをした。

それに反応したのは、傍に着席していた側近だ。


「……それは、また。当主様。

僭越ながら、現時点ではあまり相手方を刺激することは得策でないかと具申致します」

「……そうだな、分かっている。

無論丁重にもてなさねばなるまい。

急ぎ支度を」

「御意」



そこに踏み入った瞬間、品定めの視線が突き刺さったのを感じた。

意図して呼吸を深くする。

優雅に、それでいて自然に背筋を伸ばす。

頭から爪先までの、洗練された動作。

雰囲気、空気感、そういうものは、身分や育ちによってやはり違うのだ。

立ち居振る舞い、身振りに表情。

一目で「自分たちとは違う」と、そう思わせる所作。

そういったことを、神殿に入ってから散々に叩き込まれた。

休みなく動き回る日々に身につけた、せかせかとした動作を何度叱られたか分からない。

それらの教育は、神に最も近いと謳われる聖女の立場に説得力を持たせるために施された。

加えて、貴族の中にあって場に呑まれないようになるためのものでもあった。


「ようこそおいで下さいました、使者殿。

むさ苦しい場所で恐縮ですが、まずは座ってお寛ぎ下さい」

「恐れ入ります。

こうしてお目通りが叶ったこと、誠に嬉しく思います」


ノックス侯爵の前に出たヘリアンサスは、挨拶をしながら相手をそれとなく観察した。

周りには数人の貴族や、その臣下らしき者の姿も控えている。

年若い侯爵は彼女に微笑み返し、流れるように上座を譲った。


(……会えただけでも重畳。

それに上座を明け渡すからには、一先ず主君を立てるつもりはあるということね。

腹の中身がどうかは分からないけれど……)


何かと誤魔化され、接見を引き伸ばされることも覚悟していた。

だがいざ会ってみれば、挨拶や振る舞いも丁重なもので、想定していた中ではかなり良い感触と言える。

静々と端座し、見つめ直す。

戦闘開始である。

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