第16話 神の威光を借りるしかない

それまで貴族たちの足並みが揃わないのは、急な攻勢の衝撃のためだと、持ち堪えれば状況は変わるはずだと思っていた。

だが、大貴族が意図的にそう仕向けているとなれば、話は全く変わってしまう。

国の中枢が某貴族の裏切りに気づいていないとあらば、なし崩しに敗戦し国諸共破滅一直線である。


そして戦場の雰囲気、軍の動かし方を見るに、多分王は気づいていない。

意識して見れば、見落としていた様々なことが目につくようになった。

ラウラも言っていた通り、この戦場には悪意と謀略の糸が渦を巻き、味方の連携を阻害している。

なので思い切って王に謁見を願い出ようと、そう思い立った。


しかしそこで問題になるは、王の傍にいるだろう取り巻きだ。

ヘリアンサスは貴族の派閥には詳しくないし、社交界に出ることもないので細かな機微が分からない。

某貴族派は論外、かといって中立派や敵対派でも気は抜けない。

そうらしいという情報を鵜呑みにして、裏で繋がっていたりしたら目も当てられない。

そういう人間に聞かれた場合、即座に王の耳を塞がれ人知れず処分されて終了だ。

王にとって、初対面の小娘と親交のある臣下、どちらの言葉がそれらしく聞こえるかなど考えるまでもない。


突然現れた、見ず知らずの女の言葉にどう説得力を持たせればいい?

日頃から巧妙に取り入っているだろう裏切り者を飛び越えて、王の耳目を向けさせる方法は?


答えは一つだ。

神と聖人の威光を借りるしかない。


ヘリアンサスは王と面識などないし、前線には大した噂も届いてこない。

その人となりなど知りようもない。

ヘリアンサスの立場から分かることは一般の国民でも知っているような情報だけだ。

そして、聖女などという意味不明な金食い虫を使い続けていることから、それなりの信仰心はあるだろうという推測だけだった。

ならば聖女が神の使者として現れれば、耳を傾けるはずだ。


この泥沼の戦場から仮に逃げ出せたとしても、この足の届く範囲はたかが知れている。

大国二つがいつ終わるかも知れない戦争を始めた今、この大陸に安息の場所など無いと言って良い。


(平和がないなら、創るしか無いわ)


だからヘリアンサスは大博打を打つのだ。国の全てを騙すのだ。


(……陛下のみならず、側近の顔まで近くで見られたのは収穫だったわ。

特にあの黒髪男。

陛下は信頼できる幼馴染と仰っていたけれど、どうだか……。

幼馴染でも何でも、人間なんて欲得絡みでどう変わるか分かったものではないわ)


例の黒髪男の、凍てついた表情を思い出す。

見るからに堅物そうな陰険野郎だったが、内面までそうとは限らない。


恐らく王の身辺には、裏切り者の手先となる内通者がいる。

何を進言しても、内通者に王の耳を塞がれてはお終いだ。

そして先程の男がそうでないという保障はない。


(ラウラ様は陛下も、参謀の男も信じていい人間と仰っていた。

私もラウラ様は信じられると、信じたいと思う。

でもだからこそ警戒しなければ。

唯でさえ勝算の薄いこの博打、僅かな躓きも許されない)


その点、王との会談はヘリアンサスにとっては実りあるものだった。

話にしか聞いたことのない相手と直接やり取りして、人となりを窺うことができただけで上等だ。

会話も成立しない程の、救いようもない暗君だったらそれこそお終いである。

その時は何とかして逃げるしかないと思ったが、先程話した感じではその心配はなさそうだった。


託宣だの何だのと並べたが、極論それを信じてもらえるかどうかは問題ではない。

この建前に利用価値を見出してもらえるかどうかが要点なのだ。


(何はともあれ、第一関門は越えたわ。ここからが本番)



馬車に揺られながら、そこまでの回想を終える。

窓越しの景色に意識を向け、何とか日が沈む前に到着できそうだと目算した。

あれこれと策を練りながらヴェスパータを目指して一途に駆け、やがて短い旅は終着点に近づいてきた。


「…………見えてきました、ヘリアンサス様」

共に来ていたリリウムの言葉に、目を上げる。


遠い空に、薄く影を流すように佇むそこを睨みつける。

長らく隣国アダルベロとアルクスの境界に位置し、かつての国境となっていた都市。

そこは現在、多くの貴族や騎士たちによる要塞となっている。

彼らを取り纏めるのはグラディウスにも比肩し得るアルクス屈指の武家、その当主たるノックス侯爵だ。

会ったこともないその男を口説き落とさなければならない。

でなきゃ死ぬ。

自分で始めておいて何だが、早くも泣きたくなってきた。

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