第8話 国王と参謀

ブラウを始めとする砦の怒涛の陥落により、アダルベロは突如争乱の渦中に置かれた。

グナーデはラインよりやや南東に降った位置にあり、堅固な壁に囲われた一大都市だ。

グナーデの門は通常、入国のための幾多の審査を終えてやっと開かれる。

その先に広がる建物や道も重々しい灰色が多く取り入れられ、いかにも重厚な町並みだった。

現在は人の出入りや外出に制限をかけ、閉鎖的な方針がとられているため、尚更その印象が強い。

大通りを物資が行き交っているが、住民の影は多くない。


グナーデはアダルベロ北部の物流を担う、一大都市だ。

都市に住まう民たちは日々不安げな様子で、けれど恐慌をきたすことはなく、戦の重圧によく耐えていた。


その原因の一つが、中枢たるベルトグント城塞の威容である。

平時は静かな城塞は、今や完全に戦闘態勢へ入っていた。

そしてそこでは現在、この国の最高権力者が指揮を取っている。


ばさり、と音を立てて報告書を置く。

ベルトグント城塞の一室でクロードアルト・アドラーは、目頭を揉んで嘆息した。

半年前の思わぬ敗北から気の休まる暇もなく、着実に疲労が溜まっているのを感じる。

敵の援軍の妨害に牽制、息をつく間もない攻防が延々続いている。

幸いここは物流の要所であり、それ自体も豊かで堅固な都市だ。

ここから補給を行い戦い続けることは可能だが、このままでは埒が明かない。

ラインの行方もさることながら、別方向から敵が進軍して来ないとも限らない。


「とにかく、ラインを救い出さなければ……」


目下の課題はそれだった。ラインが落ちれば、敵は勢いのままこのグナーデを攻め立ててくる。そうなれば一気に戦況が傾くことは想像に難くない。

かといって、こちらもこちらで身内の問題を抱えている。

早急にラインを救わねばならないが、下手にこの均衡を崩すことも危険だった。

それ故にここ暫くは、不利にならぬようじっと機を伺っているしかなかった。だがそれも限界に近づきつつある。


「下らないことで足を引っ張る貴族さえいなければ。

このようなこと、即座に片付けられたものを……」


だが、ないものを強請っても仕方がない。

どうにかならないものかと悩んでいると、扉の向こうから声がかかった。


「参謀殿、少しよろしいですか。

アルクス軍から新たな使者が参ったようです」


それに「今行きます」と答えて立ち上がった。


使者の来訪を知ったクロードアルトは、謁見について国王ルキウスに伺いを立てることにした。

国王の予定を思い出し、真っ直ぐにある一室に向かう。


国王ルキウスはこの城塞でも一等上質な執務室で机に向かい、書類を捌いていた。

一区切りついたところのようだ。

丁度良いと声をかける。


「失礼致します、陛下。

いつもの使者が参ったようで、謁見を願い出ております」


「おお、クロード。

そうか。分かった、一緒に行こう」


ルキウスは五年前に即位したばかりの若き国王だった。

赤銅色の髪に均整の取れた堂々たる長身が勇ましく、美麗な彫刻を思わせる美丈夫だ。

それと並ぶと、クロードアルトはやや線が細く見えた。

彼らは幼馴染であり、クロードアルトは突然の即位から参謀として友人を支えてきた。

そしてこの度アダルベロの危機を受けて、王をグナーデへ連れてきたのだった。

それは即座に敵の情報を受け取れる位置、直近から指揮を取るべきと思ったこともあるし、この時期に陰謀渦巻く宮廷に置いておきたくなかったというのもある。


「どうですか、貴族たちの反応は」


ここ半年、ずっとルキウスが苦心している事柄について尋ねる。

答えは殆ど分かっていたが、聞かずにいられなかった。


「……やはり、王都の貴族たちは動くことに乗り気でないらしい。

援軍はラウラが連れてきた軍だけで充分、後は北の者たちに片させろと、こうだ」


「併合からもう百年以上経つというのに、まだそのような感覚でいるとは、嘆かわしい」


やや苛立ったように、クロードアルトは形の良い眉を寄せる。


北の者というのは、アダルベロの貴族たちを指している。

元々アダルベロは、歴史の中で幾度も争ってきた北の隣国だった。

僅か百五十年前にアルクスに併合されたばかりであり、アルクスとの同化は未だ途上にある。

特に特権階級はそれが顕著で、アルクスの中枢に代々位置する権門、王都の貴族たちの間には微妙な溝があるのだ。


また、貴族たちがのらりくらりと王命に従わないのは、更に根深い問題もある。


何しろ王都の貴族たちにとってこの王は正当なる主君と仰ぐに足る存在ではない――味方など本当に、数えるほどしかいないのだ。


「まあそんな感じで、あれこれと美辞を並べながら動きたくないとごねている。こちらでの徴兵の進捗はどうだ」


「掻き集めてはおりますが、やはり国境の警戒にも傾けねばなりませんので……

どこか穴を開ければ、そこからも攻め込まれかねません。

アダルベロの各地を治める彼らとしても、やはり自領を守ることこそが最優先であり、そういった兼ね合いも考えると、やはりラウラの元へ回せる数は……」


その答えに、ルキウスは盛大に嘆息した。


「……情けないことだ。

余が気に食わないなら直接言えば良いものを。

国土と民草が脅かされている状況で、護国の盾となるべき貴族が怠慢とは……」


「仰る通りです。

このアダルベロの者たちにアルクスが頼りにならぬと見做されれば、離反される恐れもございましょう。

ラインを、そしてグラディウス元帥を失うわけには参りません」


「問題だらけだな。

……して、ラウラから使者が来たとか?」


「ええ。どうやら、珍しいことにラウラからの文もあるようです」


「何と、ラウラがか?

それは珍しい、何か起きたのでは」


ルキウスは目を見張ったが、それ以上の驚きは見せなかった。

代わりに足取りがやや早まる。

その様子に溜息が出そうになった。


とはいえ、大雑把なラウラがわざわざ個人的に文を届けてくるというのは確かに珍事だ。

どんな厄介事がやってくるやら。

ともかく、この色々大雑把で危なっかしい幼馴染たちを守れるのは自分しかいないのだ。

ため息をぐっと呑み込み、隣について歩き出した。

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