第7話 貴族の事情
ラウラとの打ち合わせを終え、ヘリアンサスは天幕を出た。
ゆっくりとした歩調で辺りを見回り、異常がないか確認する。
物々しく進む神殿一行に向けられる目は様々であった。
畏敬、期待、軽侮、無関心……人々の視線に取り巻かれながらも、ヘリアンサスは全方位隙のない聖女の笑みを貼り付け、時には暗い顔をした者に声を掛ける。
半ばほど見回り終えたところで、声を掛けられる。
目を向けた先には見知った顔があった。
「これは聖女様、このようなところにまで……」
「まあ、ヴァーノン伯……。ご機嫌よう」
既に四十を越えているはずだが、赤みがかった髪に張りのある声、律動的な身のこなしがその姿を若々しく見せていた。
ここでは、戦場に来るより前の数少ない顔見知りと言えた。
ヘリアンサスは神殿育ちなので、貴族の犇めく社交界など垣間見たこともない。
だが、信心深い貴族のことであれば大体分かるのだ。
寄付額が大きいので神殿内で顔を見る機会も少なくない。
何なら神殿の爺どもは寄付額の大きい者に聖女への面会権を売ったりしていた。
そうしたことで多少だが会ったこともある。
会話したことは数えるほどしかなかったが、人となりも何となく感じ取れるものがあった。
ここに連れてこられ、彼を見た時は驚いたものだ。
今回のリゲルの侵攻において、国王の呼びかけに応じて参じた数少ない貴族であった。
「国境の様子は、何か異変などございますか」
「いえ、本日も一進一退の状況になりそうです。
このままでは我らと敵方、どちらにとっても良くありませんが……
均衡が崩れるのならその時は、可能な限り優位を得たいですからね」
「そうですね。どうぞ宜しくお願い致します」
「こちらこそ。聖女様の祈りあってこそ我らは戦えているのです」
その言葉に、穏やかな慈愛の表情で返す。
この伯爵の場合は本心なのだろうが、実際のところどこまでそう思われているか分かったものではない。
今も突き刺さる周囲の視線に、日に日に少しずつ足場が削れていくような、奇妙な重圧を感じていた。
その只中で世間話を続ける。
「……伯爵様は元帥閣下と、かねてよりの朋友であられるとか」
「ええ、彼はこのような場所で果てて良い方ではありません。
ラインを救い出すため、国王陛下の御為にも力を尽くす所存です」
「ですが、ヴェスパータの方々はそれに賛同なさらないのではありませんか?」
その追及に伯爵は少し意外そうな、気詰まりそうな顔をする。
「……ええ、そうですね。
本家筋や周囲の意向に逆らっての出兵、事が終われば糾弾は免れないでしょう。
ですが国を守るという大義のためでございますから……」
「本家筋と仰いますと、ノックス侯爵家でいらっしゃいますね」
「如何にも。
……かの家がこの国難に参じなかったこと、不忠とお思いかも知れません。
ですが、侯爵様はまだお若いのです。
今は貴族派に与してはおられますが、道理を説けば分かって下さるはずと確信しております。
ですが発った時はその時間も惜しく、我が家へのご理解を願う間もなかった。
それだけは今も悔やまれます」
ヘリアンサスも最近知ったことだが、貴族の家同士は密接に繋がり合っているものらしい。
何かするにしても一門や派閥で足並みを揃えねばならず、勝手な行動を取れば爪弾きにあい孤立する。
そうした風潮の中、ヴァーノンの取った行動は博打と言っても良かった。
勝てればまだ良いが、これで仮に負けでもしようものなら子孫の代まで侮蔑されることだろう。
「これを機に、我ら貴族が心を一つにできればどれほど良いか。
ですが今はラインです。
……聖女様、どうぞこれからも我が国のために聖なる祈りをお捧げ下さい」
――ヘリアンサスは自分の祈りになど、何の意味も力もないことを知っている。
だが仮にもこの男は神を、それを奉じる神殿を信じて命を張っているのだ。
その前でいや無理できませんなどと言えるわけがない。
聖女らしく悠然と微笑んで返答した。
「……無論のことです。
神を信じる全ての者のために、私にできることならば何なりと致しましょう」
「ありがとうございます、聖女様」
それからも幾つか情報を交換した後ヴァーノンと別れ、ヘリアンサスは再び歩き出した。
いつも通りの日常と風景を見つめ、考え込む。
いつも通りが続く時間はきっとそう長くはない。
この先を思えば、ここからは道なき道を辿る必要がある。
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