第3話 歴代聖女と私は違う

六百年で技術は進歩し、世界のあり方も変わって、昔ほど神殿は絶対視されていない。

人々から信仰心が消え始めた頃、真っ先に影響が出たのが神殿だ。

神殿は年々力を落とし、権威は往時に比べて低下していった。


それでも収入を維持しようと腐敗っぷりを晒し、更に人心が離れる体たらく。

焦った神殿の老害は浅はかにも短絡的にも、聖女がいればかつての力が戻るなどと考えた。

聖女と言えば神殿にとって、黄金期の象徴みたいなものだ。

そして二百年前、戦争の泥沼化にかこつけてホイホイと、身寄りのない孤児たちを担ぎ上げたわけだ。

そして二百年もの間、安全圏から聖女という名の生贄を使い捨ててきたわけだ。


(あんの人食い爺共……!そんなに祈りが好きなら他人にやらせていないで、自分が最前線で盾に括り付けられながら祈っていればいい!!)


思い出したくもない連中の顔が蘇り、いよいよ怒りは燃え上がる。

だが、その怒りは自分自身にも向けられていた。

何も知らず海千山千の連中に良いように言い包められ、殊勝に「祈ることが御国の力になるのなら」などと思っていた、昔の自分を全力で蹴り飛ばしたい。

なるわけないだろうが。


(ここ最近でよ――――く分かった。私は特別なんかじゃない。

奇跡なんか逆立ちしたって起こせない。

天に選ばれてなければ神に愛されてもいない)


如何に聖女などと持て囃されようとも、所詮その本質は生贄である。

歴代の殆どが天に見放され、悲惨な末路を辿った。


だが決してそれだけではない。

時偶、化け物のような天運を宿した者が現れる。

今も名を残す聖女たちの偉業を思い浮かべる。

祈りで歴史を塗り替えたと伝えられる、本物の聖女たち。

仮にも同じ称号を受け継いでいながら、何もかもが違う。


……『創始』のパエオニアのように、一兵卒に神の加護を与え、敵将を討ち取らせるか?

『勇壮』のマグノリアのように、雷雨を呼び敵の攻勢を挫いてみせるか?

『慈愛』のハイドランジアのように、癒やしの奇跡を起こし負傷兵を立ち上がらせてみせるか?


どれもこれも、自分にはできそうもない。

分かっている。祈ったところで何も変わりはしないのだ。

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