第4話 祈りは尽くした
静止していた体が、初めて僅かな動きを見せる。
睫毛が震え、その奥から琥珀に近い色の、異様な光を浮かべた目が覗いた。
ヘリアンサスはこれまでずっと、どうするかを考え続けてきた。
このままただ祈り続け、死が襲いかかるなら黙して受け入れることが、聖女としては正しかろう。
だがもう真っ平である。
このままでは負ける。
犠牲が生まれ続ける。
聖女だろうと兵士だろうと王侯だろうと、今や誰もが等しく滅びの淵に立っている。
仮にこれが、人知の及ばぬ天災なら認めなくもない。
自ら望んでのことではないとはいえ、聖女として選ばれ育てられ、それ故の恩恵を受けてきた。
その結果として災厄に見舞われ、聖女としての殉死を求められるのなら………………百万歩譲って、呑み込まないこともない。
けれどこれは人の因果であり、悪心だ。
身中の虫の裏切りだ。
本物の聖女ならその者が過ちに気づき、心を入れ替えることを一心に祈るものだろう。
そして真に本物の聖女なら、その祈りは聞き届けられるだろう。
己がそうであると信じて、どれだけの者が殉教したか。
(そして今度は、私に死ねと。
――冗談でしょう)
ヘリアンサスの堪忍袋の緒は、既に限界を迎えていた。
(……私は、死にたくない。死んでたまるものか)
それがヘリアンサスの答えだった。
何年も死ぬ気で祈り続けて、何ヶ月も胃が捩れるほど悩み続けて、ようやく出した結論だった。
ここしばらくは、朝の祈りの度に吐きそうな思いをしていたが、今は吹っ切れていた。
これを最後の祈りとしようと、そう決めた途端不思議と心が凪いだ。
祈りは尽くした。
後は人として足掻くだけだ。
組んでいた指を解き、ヘリアンサスは立ち上がろうとする。
その時、不意に外に気配が現れた。
即座に聖女の外面を引っ被り、入り口に慈愛の表情を向ける。
「おはようございます、聖女様……
もう、お目覚めでいらっしゃいましたか」
「おはよう、リリウム。
今日は良い天気ね」
天幕の布が揺れ、外から顔を覗かせた少女に微笑みかける。
年頃は十を越えたばかり、銀の髪に丸い空色の瞳が特徴的なその少女は、丁寧な、けれど何処か稚気の残る声で挨拶をする。
その手には朝食の乗った盆を携えていた。
リリウムはもう何年もヘリアンサスの世話をしてくれている、傍仕えの少女である。
血の繋がりはないがヘリアンサスと同じ銀髪で、同じく孤児院から神殿に引き取られた子供だった。
ヘリアンサスが神殿に入る時に、彼女も一緒に連れてこられた。
挙げ句こうして戦場にまで付き合わせている。
その意味が今ならよく分かる。
(私が死ぬか、逃げるかしたところで。
この子が代わりにされるだけ)
そんな寝覚めの悪い落ち、想像するだけで気が滅入る。
大して力もないのに、護りたいものはたっぷりあるのが辛いところである。
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