第2話 祈る聖女の心の中

青い空の輝きが天幕の中にまで満ちている。王国の雲行きとは裏腹に、空は忌々しい程の晴天だった。


落ち着いてから身繕いを済ませたヘリアンサスは、早速朝の祈りへ入っていた。

聖女の天幕は、水盤と聖典とレリーフを持ち込めば、即席の神殿として機能する。

といっても、そこに荘厳さだの壮麗さだの、神秘的なものは何らない。

初めの頃は純白だった内装は、戦場の埃にまみれ、見る影もなく薄汚れている。


それでもその中央で白装束を広げ、手を組んで一心に祈る聖女の姿は、流石に清澄だった。

戦のことも、自分が何者かすら忘れてしまったように、祈る表情は完全な静謐を湛えている。


そんな聖女が内心、何を思っていたかというと。


(――――あ゛あ゛ああああやってられるかこんなこと!どうすんのよこれ!!このままじゃ確実に死ぬ!死ぬ!死ぬ死ぬ死ぬ死死死死死死死死死死死死死死死――――!!!)


脳内で水盤を叩きつけ、天幕中ひっくり返して暴れ回っていた。

鍛錬の賜物で表面上は微動だにしなかったが、内面は荒れ狂っている。

毎晩近づいてくる毒杯の悪夢に、ヘリアンサスの精神は音を立てて削られていたのだった。がりがりと。

苛々苛々、白熱した思考が巡る。


(このままでは、アルクスは負ける。

泥舟だわ。

昔の聖女様たちは違ったかもしれないけれど、私が祈ったって何にもならない……。

聖女の務めは天へ祈ること。

人の手落ちで負けたとしても、罰を受けることはない。

それは表向きはそう。

でも戦地に駆り出される以上、負けた時点で終わりに決まっている!!)


このままでは待ち受ける未来は流れ弾に吹っ飛ばされるか、逃げ惑う軍馬に踏んづけられるか、天佑を呼び込めなかった不徳の聖女として処刑されるか。

どう足掻いても死である。なんてこった。


暗すぎる前途に頭を抱えるヘリアンサスは、当代の聖女である。

アルクスの神殿が掲げる教えの象徴であり、神の意思を受け取り、恩恵を体現する存在。

そういうことになっている。

地上で最も神に近く、神に愛され、神を愛す人間。

神と心通わし、啓示を受け取る人間。

それが聖女だ。表向きは。


だが実態はこの通り、特別な力も使えなければ神の声など聞いたこともない一介の小娘が一人祈っているだけである。

結論聖女なんてものは、ただ祈るためだけにいる人間であり、本質的には無力なお飾りでしかない。

何ら戦力にならない、戦況が激しくなりでもすればただの足手まといだ。


それでは聖女は何のためにいるのか。その理由は色々とあるが、第一には天の助けを一心に願うため、ということになっている。

簡潔に例えるなら、戦時中、気候に恵まれ異例の豊作が齎されたために兵糧を支えることができた。

全部聖女のお陰である。

戦場で突如風向きが変わって矢が飛ばなくなり負けた。

全部聖女のせいである。

つまりそういうことだ。

聖女とは、人知の及ばぬ天佑と天災の責任を引き受ける存在であった。


(馬鹿馬鹿しい、時代錯誤にもほどがある!!

そもそもこんな制度とっくに廃止されていたっていうのにあの爺どもがあの爺どもがあの腐れ爺どもがああああああ!!)


そう。聖女なぞ、六百年も前に一度廃止されているのだ。

その際に聖女にまつわる資料は多くが失われ、今となっては分からないことも多い。

五百年以上前の制度の不完全な焼き直しが、現代で通用するわけがないだろう。

そもそも人々の意識からして違う。

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