第6話 彼氏彼女らしい事をしたいんだけど…

「今からやってみない?」

「な、何をですかね?」


 落ち着いた雰囲気が漂う喫茶店内に緊張感が走る。

 侑吾ゆうごは彼女へ聞き返す。


「だから、私が食べさせるってことよ。付き合っているなら、食べさせるイベントがあるじゃない」

「そ、そういう事ですね」


 侑吾は先輩が言おうとしている事に察しがついた。


 あずさ先輩はフォークの先端で刺したパンケーキの一部を取り、侑吾の口元へと向かわせてきたのである。


「はい、食べてみて」


 侑吾は先輩からの行為に正直なところドギマギしていたが、彼女の好意を拒否する事も出来ず、そのまま受け入れる事にした。


 今まで彼女すらいなかった自分が、漫画のようなイベントを体感できるのだと思うと、さらに胸元が熱くなる。


「もう少し口を開けて」


 梓先輩は恥ずかしいのか、その感情を抑え込む彼女の意見に、侑吾は従う。


 ん……さっきよりも美味しい気が……。


 自分で食べるよりも、程よい緊張感も相まって美味しく感じられる。

 パンケーキにかけられてあった、はちみつソースがより一層濃く、そして味わい深い。


 最初は生真面目な先輩と一緒に付き合う事になり、少々不安な感情を抱きつつあったが、意外と彼氏彼女らしい経験が出来て、内心楽しく思う。


「せ、先輩はこういう事をしたかったんですか?」

「ま、まあ、そういうことよ。だって、付き合うなら、やってみたいと以前から思っていたから」

「これ、俺からもやった方がいいですかね?」

「そ、それは好きにしたら?」


 素直じゃない梓先輩は、侑吾の方へ視線を向けてはくれなかった。


 侑吾もフォークでパンケーキの一部を取り、先輩の口元へと向かわせる。


 先輩は一瞬、戸惑った表情を見せていたが、侑吾の方をチラッとだけ見つめてくるだけで何も話す事なく、従うように口を開けてくれたのである。


「んッ……まあ、美味しいわね。なんか、恥ずかしいけど……」


 梓先輩は緊張した面持ちで、目の前にいる侑吾の方へと視線を向けてくる。


 先輩は見つめ合うことが気恥ずかしかったのか、すぐにイチゴジュースのコップへ目を向けて、それを飲んでいた。


 それから二人は三〇分ほど、クラシックのBGMが流れる喫茶店で過ごしたのだった。

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