間章 カガラム事変 -前篇Epilogue-

第133話 前篇エピローグ カガラム事変



 砂漠の朝が、悲しみに寄り添ってくれることはない。



 あたかも黒く炭化たんかした街に追い打ちをかけ、涙さえ干上ひあがらせるようとでもいうのか。


 全天をおおう深いあおに灼熱の太陽が輝き、猛烈な熱波がうつむく者たちの頭上にも容赦なく降り注いでいた。



 翌朝、燃料気化爆弾ねんりょうきかばくだんによる被害が明らかになるにつれ、あまりに凄惨せいさんな状況に人々は震え上がることとなる。



 爆発が起きたとき、すでに日が沈んでいたこともあって多くの者が自宅に滞在たいざいしていた。


 このため、一家全滅となった家庭も少なくなかった。



 遺体の処理に軍隊が狩り出されたのは、そういった事情もあってのことだ。


 けど死体など見慣れてるはずの彼らでさえ、最後まで顔を上げていられる者は一人としていなかった。



 その日、たまたま友達の家でお泊り会があったおかげで助かった少女がいる。


 彼女はげた両親の前に、呆然とたたずんでいた。



 別の父親は家庭などほったらかして飲み歩き、難をのがれた。


 ただし爆発直後に妻の名前を叫んで駆け戻り、一酸化炭素中毒によって重度の脳障害におちいってしまった。


 彼はうめき声しか上げられない状態で地べたに横たわり、まだ家族の名を呼び続けている。



 さらに別の家族は三人とも屋内にいたにも関わらず、爆圧によって原形をとどめぬほどつぶされていた。


 爆発の瞬間、なにが起きたか理解するいとまもなかったはずだ。


 それでも、両親が生まれたばかりの赤ん坊をかばおうと、折り重なるようにつぶれているのが、残された染みの形だけでわかってしまう。



 ついにはベテランの兵士までも嗚咽おえつこられず、地べたに倒れ込んで号泣ごうきゅうし始めたほどである。


 この世のすべての悲劇を詰め込んだような酸鼻さんびきわめた現場を前に、誰しも言葉がなかった。



 かつてどのような魔物も、これほどまでに人間を破壊し、生きていた痕跡こんせきさえ奪い去るような者はいなかったろう。


 それは〈ニースベルゲン〉が経験したことのない、鉄と科学による戦争だった。



 当初、ファタル・ボウがほぼ独断で降伏を決めたことに、批判の声も多く出ていた。


 しかし、そう言った意見もすぐに聞こえなくなってしまった。



 そして、わずか三日後。


 まるで待ち構えていたように、帝国軍がカガラム市街へ進駐しんちゅうしてきた。



 すべての住民が家の外に並び、彼らを出迎えねばならなかった。


 だがもちろん、整然と行進してくる一万の帝国兵を前に、歓呼かんこの声など起きるはずもない。



 むしろ侵略者たちの動向におびえ、新たな為政者いせいしゃの御機嫌をそこねないことだけで頭がいっぱいだったろう。



 やがて、帝国軍は街の中央広場に整列する。


 そこにはこの日のために演台がもうけられ、指揮官らしき男が堂々と胸を張って登ってくる。


 拡声魔法をもちい、いよいよ戦勝宣言を始めようというらしい。



「布告!


 我々は遠くバナヴィア帝国ローエン大公領ニルスディアより、この地に秩序ちつじょ安寧あんねいをもたらすために派兵はへいされてきた。

 決して侵略の意図はなく、悪政を正し、間違った支配者から諸君らを解放するため、まさしく正義の使者として進駐しんちゅうしたのであるっ。


 カガラムの居住者には、我々が治安維持ちあんいじを目的としていることを理解し、平和的に協力することを強く求むものである!」



 秩序ちつじょ、正義、平和……?



 空虚くうきょな言葉の羅列られつに反応したのは、先日の攻撃によって両親を焼き殺され、浮浪児ふろうじとなってしまった少女である。


 この騒ぎにも地べたに足を投げ出し、光の消えた瞳で座り込んでいた少女の手にかすかな震えが走る。



 少女にはまだ、難しい言葉ばかりだった。


 それでも、彼女から一夜にしてすべてを奪い去った者たちが、決して口にしていい言葉でないのはわかる。



 少女は側に落ちていた石ころを無気力に眺めていた。



 次の瞬間、いきなり背中から誰かに抱き止められる。


 それでやっと自分が石を拾い、帝国兵に向かって投げつけようとしてるのに気がついた。



 彼女を止めたのは、近所にある八百屋の女将おかみさんだった。


 あの爆弾が落ちてくるまでは五人の子供と働き者の夫に囲まれ、お店の前を通りかかるたび毎日のように挨拶を交わしていた。


 けど今は、たった一人で避難所に暮らしている。



 その人が少女の手と口を押さえ、必死に首を横に振っていた。



「このところカガラムを席巻せっけんする通貨不安は、上級執政官じょうきゅうしっせいかんファタル・ボウの失政しっせいによるものなのは明らかである!


 また、街の一部を灰燼かいじんした爆発は帝国より出奔しゅっぽんした、元騎士オジ・グランフェルのテロによるものだということがわかっている。

 しかし、安心していただきたい!


 卑劣ひれつなテロリストは我らローエン大公の精鋭部隊によって、すでに捕縛ほばくされた後であるっ」



 こいつらの言うことはウソばかりだ。



 勇者の英雄譚えいゆうたんで、オジは常に道化役どうけやくとしてえがかれてきた。


 けど子供たちの間では、密かに人気のキャラクタとして親しまれているのだ。



 カガラムに来た当初は頼りなく思われていたものの、モンスターの群れを蹴散けちらしネコを救出したことが伝わると、彼の人気は一気に頂点へ達した。


 神の使いとして大事にされるネコたちだが、子供たちにとっても大切な遊び仲間なのだ。



 だからオジはいかめしい顔つきにも関わらず、街のみんなから近所に住む優しいおじさんのように親しまれてきた。



 だいいち皆、あの爆発が帝国軍の仕業しわざと知ってるはずだった。



 なのに、大人たちは誰ひとり顔を上げない。


 息をしてることさえさとられてはならないとばかりに黙りこくっている。



 誰か、誰か、誰か、誰でもいいから。


 あの嘘つきどもに嘘つきって言ってやってほしい。



 でも声を上げられないのは、少女も同じだった。


 怒りの衝動しょうどうは一瞬で過ぎ去ってしまい、大人たち同様口をつぐむしかなくなっている。



 背後から、女将おかみさんが声を殺して泣くのが聞こえてきた。


 少女をきつく抱き締めたままこられない悔しさに、どうしようもなく涙をあふれさせるのがわかった。



 少女もまた、熱くほほを濡らしていたから。



「そして!

 我らは正統なるファラオの後継者として、セト王子をお連れしている。

 新たなる王のもと、新たなる秩序ちつじょが築き上げられる間、我々もまた陛下を全力でお支えすることを約束しよう」



 演台の上にケット・シーの少年が現れて、手を振る。


 けどその姿に覇気はきは感じられず、誰がどう見ても帝国の傀儡かいらいであることは明らかだった。


 幼いファラオをうやまう者はおらず、あわれみだけが彼を取り囲んでいた。



 ネフェル神殿の大聖堂も崩れたまま、罪深き侵略者に神罰しんばつを下すこともできずに鎮座ちんざしている。


 その光景はあたかも神さえ屈服させられたようで、みじめな敗北感をいっそう増幅させていた。



 負けたのだ。

 これが戦争に負けるということなのか。



 こんなにも多くのものを奪われ、なおこれほどの理不尽をいられねばならないのか。


 侵略者の足元ににじられ、少女の一生はただ怯えながら過ごすだけのものになってしまうのか。



 でも神でさえやぶれたなら、いったい誰があいつらを止められるんだろう?


 大人にも、軍隊にも、神様にもできないなら、いったいなににいのればいいのだろう。



 それでも心の中でいのり続けることだけが、無力な少女に許される唯一の抵抗だったから。



 お願いです、誰でもいいからお願いします。


 決してあいつらを許さないで!



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