第5話 イセタビトVS【人狼の偉丈夫】
森の奥深くの小さく開けた場所。ボロボロの木の柵の囲いのなか。
雨風をしのぐためだけの簡素な木の骨組みに、どこからか拾ってきた掠れてみえない紋章の布が、あまりにも粗末で小さな拠点を作り上げていた。
人狼一匹のための孤独な拠点である。
かろうじて雨のあたらぬところ。人狼は身体を休めるために座り込む。
トシマの決死の攻撃は、想像以上に人狼の肉体に食い込んでいた。
それでも、人狼の眼には逃げた二人の姿は浮かばない。逃げるだけの二人は、もはや敵ではない。もう相手にならない。
雨が止めばすぐに見つけに行くことができる。今はこの傷を癒さなければいけない。
人狼の足元にはドウマエの斧、ハチダの槍、トシマの盾が転がっている。数多くの戦いを経験した人狼が戦士とみなした相手からの戦勝品であり、戦闘の役に立つ実用品だった。
歴戦の人狼が培ってきた経験を基にした戦術は、数々の戦時を葬ってきた。今回も同様の手慣れた奇襲作戦。全員が敵に警戒している中で奇襲したとて、殺れても主力が一人。
非戦闘員が数人。それでは効果が少ない。辛抱強く待っていた甲斐があり、すばらしいタイミングで主力とみなす二人を葬ることができた。
そして、(誰でもよかったが)後ろのぼーっとしていた始末できそうなやつに首を投げつけ更に恐怖と動揺を与える。目論見通り連中はバラバラに逃げて行った。まだ油断はしない。
狙いの優先順位を決める。まずは一人で逃げて行った男。森に入る瞬間を逃さず、素早く追えば逃す確率はほとんどない。次にそれなりに戦えそうな二人。二人までなら戦えないこともないが、念のために精神を揺さぶる戦法をとった(そのために後回しにもした)。
やつらの向かってきた覚悟は悪くない。
そして、三人組。明らかにお荷物そうな二人を抱えていた男は戦士だったが、それでも残りの二人は逃げるだけだった。最早負けはあり得ない。雨が止み、傷が癒えた後にゆっくり始末すればいい。
ふと、視線の先に小さな人影が見え、人狼は目をこらす。
女が・・・何かを構えている・・・?
まずい・・・!?
人狼の獣の本能は、攻められる前に攻めることを選択していた。それは、相手の挙動よりこちらの攻撃が早くとどくからだ。そう、女の攻撃はあまりにも遅い。あまりにも・・・?
人狼の爪がその目標にとどく。その寸前。
すぐ近く。泥や土、草木がそのカタチを成す。龍の姿を。
タビトは長剣を構えながらその名を叫んでいた。
「《
!!
剣は茶色と緑のオーラを纏う。見たこともない異形の龍。土龍。
振り下ろされた剣は人狼の身体に沈み込む。土龍を構成していた木の根っこのようなものが槍の如く人狼に深く突き刺さる。
「うおおおおおおっっっ!!!」
グルオオオオオオオッッ!!!!
慟哭は森中に響き渡る。
永遠とも思えるその木霊が止んだとき。
何事もなかったかのように、森は本来の調べを取り戻した。
雨は止み、森は静けさを取り戻す。
イセタビトは、血の付いた長剣を右手に立っている。茶と緑のオーラが身体と剣から立ち昇り、森に拡散していく。
人狼はタビトの足元、その胴体はほとんど地面に埋もれていた。
鋭い爪の手、上腕部分だけが地面から突き出たような形だ。これは〈土生龍剣〉の効力だろう。
剣に纏われた異形の土龍が、獲物だと認識した相手、人狼を自らの領域。土の中に還したのだ。
(か、勝った・・・!)
タビトの作戦は上手くいった。できるかどうか、賭けになるところが余りにも多いが、それ以外の方法が思いつかなかった。そして、やられる前にやるしかなかった。
数十分前。
まずタビトは、自身のスキルの効果を実際に見ることにした。
《地奔り》・・・地面を伝って相手に衝撃を与える技だが、発動条件なしということもあり、期待はしていなかったが余りにも威力が低い。相手を転ばせたり牽制することはできるが決して致命にはならない。相手の素早さを考えると特に。避けられても逃げられてももう次はない。
だから、発動条件が存在する。故に強力であろう《土生龍剣》。
これを確実に敵に当てることだ。それが勝利条件。
そのために必要なのは《錬気》の発動と剣の武器。《錬気》は一度使ってみる必要があった。発動にどのくらいの時間が必要なのか、どれくらい継続するのか知らなければいけない。結果として、《錬気》の発動には大体一分ほど、継続時間は五分ほどかかることが分かった。《錬気》によって身体は茶色と緑のオーラに包まれ、身体能力が向上した。同時にかなり神経が過敏になり、森の中でも動きやすくなるのが分かった。有用だが、どのように一分の発動時間を稼ぐかが問題になる。
《錬気》→《土生龍剣》。これを奇襲として成功させる。
次に問題なのは、その奇襲の方法である。最初に相手の位置を知ること。次に相手にバレずに近づくことだ。
前者については思い当たりがあった。自分たちが歩いていた獣道の存在である。
敵部屋に入ってからずっと続いていた獣道。あれがどこにも続いていないとは考えられない。必ず敵に続いているはずだ。道のりが長くホウジは動揺していたが、道がある限り、どこかにつながっているはずなのだ。おそらく敵のところに・・・。
ユウアさんと手分けして、トシマさんと三人でいた場所を探してそこに戻る。トシマさんの盾はなくなっていたが、彼の身体はそのまま残されていた。すぐそばにある獣道をたどる。見つからないように、獣道を歩くのではなく、それに沿って森の中の茂みをかがんで歩いた。
初めて人狼と遭遇した地点にはイザキ・ホウジ・ハチダ・ドウマエの身体が残っていた。内三人の頭部はない。この短時間で死に慣れてしまっているのだろうか。見た目の凄まじさ、臭いに多少嗚咽するが、生き残るため、気分を切り替えるなければいけなかった。
イザキの身体を遠目で見ると、武器の剣がそのまま残っているのが確認できた。一方ドウマエやハチダの武器はないようだった。この差がなんなのかはわからなかったが、素早くイザキの剣だけをとる。身体に装着されている鞘ごとは無理だったので、鞘から剣を引き抜いて、抜き身で持ち歩く、十分に注意しなければならない。
そして、この先。おれの考え通りならば、獣道の先に敵の拠点があるはずだ。
長くはかからなかった。おそらく、あのまま進んでいたならばもう五分もかからずにここにたどり着いたはずだ。この拠点に。人狼は休憩している。
バレずに近づき不意打ちできるだろうか?人狼は入口がひとつしかない小屋のような拠点のなか。こちら側をむいて座り込んでいる。背後から近づいて攻撃するのは、無理だ。
そのとき横からちょいちょいと腕を引っ張られた。
「ユウアさん」
「私に考えがあります」
それは、ユウアさんが人狼の囮になるという作戦。ユウアさんが狙われるところに攻撃を与える。そうすればこちらから近づく必要もないし、戦闘中に〈錬気〉の機会をうかがう必要もない。すぐに反対した。しかし、ユウアさんは一度決心したら考えを変えない強い覚悟を持っていた。
そして実際のところ、おれにもそれ以外の方法が思いつかなかった。ユウアさんは、敵の目前に出て、持っている杖を掲げて攻撃を唱えるフリをする。意図的にゆっくりと。そうすることで、敵は攻撃の選択肢を取ると考えた。
攻撃される前に仕留めることができる。そう敵が考えると・・・。
《錬気》を発動して、ユウアさんは敵の眼前。拠点の入口の獣道の真ん中に飛び出た。
(・・・作戦は成功した。勝ったんだ)
尻もちをついているユウアに手を伸ばす。
「ありがとうございました・・・ユウアさん。おれたちの勝ちです・・・!」
その手をユウアがつかむ。
「タビトさん・・・やったーーー!!1」
起き上がると同時にユウアはタビトに抱きつき、くるくると一緒に身体を回す。
!!!!???驚きで身体が固まった。
「やった!やった!やった!」
身体から手を放し、両手を握りなおす。そしてぶんぶんと上下に振る。
「やった!やった!やった・・・」
彼女が一息ついて、顔を下げる。おれは、彼女が涙を流しているのに気付く。それもそうだ・・・余りにも大変で、そして辛い時間だったのだから。それでも彼女は今の今まで、弱音を吐いてこなかった。
「・・・終わりましたね」
なんとか彼女を慰め、安心させたいと思い、タビトは、おそるおそる腕をユウアの身体にまわそうとする。(キモがられるかもしれないけど・・・)
「あ、やっぱりタビトさんに伝えなきゃいけないことがあって」
そこでユウアがまた顔を上げる。
びくっとしたタビトは挙動不審気味に聞く
「えっ・・・どうしました?」
「タビトさんの技・・・あれはイザキさんの・・・【
言葉が途切れる。その話の途中で急にユウアの眼付が変わった。
「ユウアさん・・・?」
ユウアの眼は、タビトの背後に注がれている。
「あぶないっ・・・!!!!」
「わっ!うわっ!」
ユウアがタビトの身体に抱き着き、獣道の左側へ倒れ込む。
仰向けに倒れたタビトの視界には、ヌッと狼頭が顔を出している。充血した目に大きな口からは血が垂れている。口をがガチンガチンと咬み鳴らし、正気ではない。その狼頭の特に異常な点は、首から下の部分が伸び切っているところだ。妖怪絵本でみるろくろ国のように、首が伸び狼頭は宙に浮いている。
なんだ・・・これは・・・なんだ・・・なんだ・・・
パニックで頭が回らない。
狼首がタビトに目を合わせ、睨みつけた。尋常ではない眼だ。死の淵の獣の、狂気の眼。
倒せていなかった。終わりだ。死んだ。
その狼首が口を開ける。
「オノレ・・・我ガ神ヨ・・・コレ以上ノ・・・グッ・・・オオオオォ・・・」
狼首はそこで土と崩れ落ちて風に飛ばされ、消えていった。
ふたたび静まり返った森。
おれは・・・呆然としている。
人狼の狂気に気を取られ、ハッと自分の身体に倒れこんでいるユウアに意識を向ける。
「ユウアさん、ありがとうございます・・・もう、敵はいなくなりました」
背中に手を触れる。
濡れている。背中に触れた自分の手に目をやる。赤い。
「ユ、ユウアさん・・・」
そんな・・・そんな・・・
動かない。ユウアはタビトの身体に自分の身体を預けて動かない。
「ユウアさん・・・」
タビトは・・・何も考えることができずに彼女の名前を呼ぶことしかできない。
「タビトさん」
すぐ下から、かすかな声が聞こえる。
「!!ユウアさん!よかった・・・!よかった!」
「タビトさん・・・さっきの続きなんですけど・・・」
「ユウアさん?今は傷の手当を・・・」
「タビトさんの技・・・あれ、イザキさんの・・・」
かすかな声をしぼりだし、繋げている。
「ユウアさん・・・傷が・・・」
タビトはユウアの背中を抑える。どくどくと流れる血は止まる気配がない。
「【亡骸喰い】って・・・亡くなった人を・・・口に・・・」
「はあ・・・はあ・・・」
タビトは体勢を変えて起き上がり、ユウアを腕に抱える形になる。
「・・・タビトさん。お願いします」
仰向けになってこちらに顔を向けたユウアが言う。青ざめた顔だ。
「【亡骸喰い】は、亡くなった人の力を手に入れるんです・・・タビトさんの技は・・・イザキさんの・・・」
タビトは、もうユウアの話を聞くことしかできなかった。これ以上、彼女にしてあげることはないのだと悟った。涙がとめどなくあふれる。唇を強くかむ。
「実は、さっきの《読み取り》で・・・タビトさんがそんな力をもってるって、気付いてたんです・・・言えずにごめんなさい」
「話さな・・・もうなにも話さないくていい・・・」
おれは彼女の口から流れる血を拭う。
「だから・・・私の力も・・・タビトさんに。ひとつしかないですけど・・・」
それでもユウアは口を止めない。手を伸ばし、手探りにタビトの顔、口に触れる。手のひらに彼女自身の血がついている。
「これで・・・いいのかな。こんなことしかできないけど・・・」
彼女は力なく微笑む。
「う・・・うっ・・・・」
嗚咽だけが口からでる。涙はユウアの顔にぽたぽたと落ちる。
「私の血、ひどい条件ですけど・・・タビトさん」
「私の想いを・・・力に托すんで・・・生きてください。ずっと」
「タビトさんなら・・・できると思います。この絶望的な世界・・・で・・・」
伸ばしていた手が、おれのくちびるをなぞったあと、力を失い落ちる。
「・・・・・!!!!」
叫ぶ。声にならない声が・・・森に響き渡った。
・
・
・
涙は・・・いつの間にか枯れていた。
ユウアに托されたことを実行する。彼女の遺志を裏切ることができるわけがない。
どんなことをしたって・・・生きる。生きなければならない。
その思いが誓いになり、おれの心に残る。
・・・頭の中に《読み取り》スキルを思い浮かべた。
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●〈
スキル内容: 神々たちの知の書庫に通じ、対象の情報を得る。あらゆる属の知神が垣根なく産みだした書庫。それは相対する神も不戦とする絶対領域である。
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これがユウアの遺志だ。ユウアの血を口にしたことで、彼女のスキルが・・・力になった。
そのことをしっかりと考える間もなく、ふと、視界のすみにカウントダウンが刻まれていることに気が付く。おそらく、狼の首が消えてなくなったときからカウントが進んでいたのか。スキルを見たときに0となった。
タビトを囲んでいた森林は白くフェードアウトし、上も下もわからない真っ白な空間にタビトは浮かんでいた。
文字が浮かび上がる。
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《人狼の偉丈夫》の討伐を確認しました。
他、チュートリアルクリア条件達成。
×××××世界のホームへ転送後。報酬を獲得します。
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ぎっしりと本の詰まった。どこまでも高い本棚が数えきれないほどある空間。
その中心で何かのディスプレイを覗く眼鏡の少年がつぶやく。
「ワンダフル。すばらしいプレイヤーだ。【亡骸喰い】イセタビト」
「初見プレイヤーがレアクラスで生き残る確率・・・五パーセント。そしてそのプレイヤーがレアエネミーを討伐する確率は・・・一パーセント未満。データ不足。ほとんど前代未聞だ。それも・・・ジャパンのプレイヤーでそんなことができる人物がいるとは」
「イセタビト・・・このプレイヤーに会わなければ。彼はこのゲームのキープレイヤになるにちがいない」
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