第16話 旅立ち①
夏原から連絡があったのはそれから十日ほど過ぎた頃だった。
静まり返ったアパートの自室でごろごろと過ごしていると、メッセージアプリの通知音が佑月を呼んだ。
アプリをひらくと、見慣れぬ犬のアイコン画像とともに、苦情じみた文字列が表示される。
『水元、おまえ親に余計なこと言っただろ』
『なんのこと? 突然なに?』
『おかげで来年から留学することになったんだが』
(――え? どういうこと?)
夏原の留学と佑月がどうして繋がるのかわからなかった。突然そんなことを言われても意味不明すぎる。
文字を打つより直接話すほうが手っ取り早いので、さくっと通話ボタンを押してみた。
すぐに相手と通話が繋がって、スマホから不機嫌そうな声が聞こえてくる。
『――なんだよ』
「ねえ、何で? どうして夏原の留学が僕のせいになるのさ!?」
『うるせ……ちゃんと聞こえてるから、良識的な声の大きさで喋ってくれ。つーか、俺の方が水元に訊きたいわ。お前、親に何喋ったんだよ』
夏原いわく、どうやら妙子から夏原の両親へと連絡があったらしい。
佑月が妙子に話したのは、チョコレート店でたまたま夏原に助けられたという部分だけだ。
あの日彼に遭遇していなければ、佑月はあの場を上手く切り抜けられたかどうかもわからない。
あの店を出てからも迷惑をかけてしまったのは佑月のほうだったので、佑月とて夏原を悪く言うようなことは一切していないはずだった。
――しかし妙子にとっては、そこはたいして重要ではなかったのかもしれない。
理由はともかく、佑月に会ったというただ一点で夏原は両親からこっぴどく叱られたそうで。挙句、強制的に留学までさせられることになってしまったと。
「噓でしょ!? ていうか、留学ってそんな簡単にできるものなの? 展開早くないっ!?」
『お前の母さんが怒るからだろ。ちょっと間違えば会えるような距離に、俺がいるのは許せないんだと。うちの親もその点は同意してるんだよ。で、仕方なく俺はこの国を追われるわけ。……ふざけんなって』
電話口から特大のため息がきこえてくる。
「ご……ごめん? そんなことになるなんて思わなくって」
『親に話す内容は考えろよな、ボケ』
「うぅ、悪かったってば」
佑月がもう一度謝ると、夏原がちいさく「もういいよ」と吐き捨てる声が聞こえてきた。
あの日以降、夏原とは数回やりとりがあった。
最初は彼に渡し忘れてしまった菓子代のことで佑月から連絡したのだ。
「次に会うときに返してくれればいい」と彼は言ってくれたけれど、この調子では次に会うのがいつになるのか、それが実現するかもわからない。
――まるでロミオとジュリエットだな、と佑月はふと思った。
こうまでして双方の家族に全力で反対される関係なんて、ドラマの中だけのものだと思っていた。
(別に、夏原に恋なんてするつもりないのに)
「ねえ、夏原。やっぱり立て替えてもらったお菓子代、今度返しに行ってもいい? それかウェブマネーとかで送ろうか?」
『別にいい。……覚えてたら、いずれ返してくれれば』
「でも」
『俺はお前と違って金に困ってねえの。貸しといてやるから、少ない全財産は自分のために使えって。……そのうち水元の治療が成功したら、借金は帳消しにしてやるよ』
「うわ、言い方。夏原さー、言い方で損してるって言われない?」
『俺が誰にでもこんな言い方すると思ってんのかよ』
「違うの? え、それって僕限定でそんなひどい言い方してるってことっ?」
『うるせーよバカ。そうだ、お前しばらく俺に連絡してくるなよ。これ以上親を刺激すんじゃねーぞ』
「わ、わかってるよっ」
『どうだかな』
会話が途切れて、数秒の沈黙が流れた。
夏原は外にでもいるのか、スマホ越しに風の音が聞こえてくる。
「留学したら……きっともう偶然に会うなんてできないね」
『……そうだな』
どことなく湿っぽい雰囲気になってしまって、居心地の悪さを感じた。
佑月は声のトーンを三段上げて、残りの言葉を早口で言い切った。
「どこの国に行くのか知らないけど、元気でね。じゃあね!」
『あ、こら』
夏原は何かを喋りかけていたみたいだが、こちらから終了ボタンを押して、一方的に通話を終えた。
言い逃げしたみたいな終わり方になってしまったけれど、これでいいのだ。
――彼との間に、今後なにかが芽生えることなどないのだから。
佑月は窓辺に近付くと、カーテンを捲って、窓ガラスの向こうの景色を見下ろした。曇天の下にある銀杏並木が冬の訪れを告げていた。
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