第15話 四年前の約束
家に帰ると、母親の妙子がキッチンで夕食の支度をしていた。
今日は仕事が休みだと言っていたことを思い出す。
先にシャワーを浴びてくるようにと声をかけられて、佑月は言われた通りに浴室へと向かった。
シャワーを浴び、ついでに狭い浴室と洗面所を簡単に掃除する。
佑月が再びリビングへと戻ると、上機嫌な妙子がテーブルに皿を並べていた。
手分けして夕食の準備を整え、二人で手を合わせる。
夜のニュースに気を取られながら白米を口に運ぶ妙子に、佑月は気になっていたことを何気なく訊いてみた。
「ねえ、母さん」
「なによ」
「……中学一年のあの事件のあとさ。僕って一体、夏原の側からいくらもらったの?」
妙子は一瞬動きを止めた。表情を強張らせ、不愉快そうに佑月を軽く睨んでくる。
「どうして今更そんなことを訊ねてくるのかしら?」
「なんとなく、気になっただけだよ」
これでは今日は教えてもらえないかな、とその時点で佑月は半ば諦めていた。
しかしどういう風の吹き回しか、妙子はしばらく黙り込んだのち、佑月の問いへの返答をくれたのだ。
「700万よ」
「え……そんなに?」
「馬鹿言うんじゃないわ、たった700万よ? それであんたの未来を全部諦めろっていうのよ? 今考えても少なすぎるくらいよ」
妙子は苛立ち露わに箸を煮物の里いもに突き刺した。そのまま口に放り込む。
「そのお金って、今はどのくらい残ってるの?」
「学費を差し引いたらもうほとんど残ってないわよ。治療だって補助が出るけど、タダってわけじゃないしね。あとは生活費で少しもらったかしら。……急にどうしたのよ?」
「え、ううん別に。ちょっと気になって」
本当にただ気になっただけだったので、佑月はそれで話は終わるものと思っていた。
「……まさか、また相手の子に会ったの?」
妙子の問いかけに、今度は佑月の箸が止まった。
返答に迷う。そうこうしているうちに、妙子の視線は鋭くなっていった。
これまでも大学病院で夏原にたまに遭遇していたことは、妙子には一切伝えていないはず。
……なのに、いま妙子は「また」と口にした。どういうことだ?
夏原とのことを正直に母親に伝えてこなかったのは、心配させると思ったからだ。
あの発情事故のあと、妙子はアルファ嫌いに拍車がかかって、今では蛇蝎の如くアルファ性を嫌悪している。
「ええと……実はこの前、他校のアルファに絡まれてたところを、たまたま夏原が助けてくれて……」
結局、誤魔化すことはできなくて、先日の出来事を簡単に妙子に説明した。
光一のことや、チョコレート店の場所が東雲高校の近くであることは伏せたけれども、妙子の目には怒りが煮え滾っていった。
機嫌悪く食事を終えた妙子は、タバコを手にすると、「もう二度と会うんじゃないわよ」と冷たく吐き捨ててベランダへと出ていった。
(まあそりゃ……そうだよね。被害者と加害者だもん)
二人分の食器を流しへと運び、佑月はスポンジに洗剤を垂らして泡立てる。皿を洗いながら、ぼんやりと夏原との関係を考えていた。
あの事件を内密に処理するために、当時大人たちで話し合いがあったことは知っている。
佑月側は示談金として大きな額を受け取り、「もう二度と夏原匠馬と水元佑月を会わせない」ことに双方が合意したのだ。
――ただの他人じゃない、と先日も夏原が口にしていた。
(友達みたいな感覚になってきてたけど……違うよね。本当は他人よりももっと遠いんだ)
自分たちはただの同級生にはもう戻れない。まったくの他人にもなれっこない。
少なくとも佑月の治療が成功するまでは――――重々しい枷で繋がれた関係なのだ。
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