第10話 助けた理由②

 


「友達って、もしかしてオメガか?」


 佑月はうなずいた。夏原は納得した様子だったが、同時に呆れてもいるようだった。


「気持ちはわかるが、理解はできねえ。あの店はオメガ性が気軽に足を踏み入れていい場所じゃねえだろ。立地を考えろって」

「でも、僕は……夏原以外のアルファフェロモンはほとんど効かないから。大丈夫だろうって、思ってて……」


 浅はかな考えだったと今はもう自覚があるから、尻すぼみに声が小さくなった。

 夏原は苦々しく表情を歪めると、またため息をついた。


「……大丈夫じゃなかっただろ。たとえ制服や首輪ネックガードをどうにかしたって、水元は見るからにオメガなんだから」

「……」

「過信すんなよ。俺が言うのもあれだけど、ちゃんと自分の身を守ろうとしろ。……おい、聞いてんのかよ」


 反応の鈍い佑月の顔を、夏原が覗き込んだ。


「……どうしたんだよ。今更泣くなっつの」


 まだ泣いてはいなかった。だけど彼にそう言われた途端、涙が頬を伝った。

 慌てて両手で顔を覆うけれど、涙は止まらなくて、夏原が面倒そうに舌打ちするのが聞こえてきた。


 背中を押されて、そばにあった白いベンチへと促される。

 佑月をベンチに座らせると、「で、なんで泣いてんの」と心底面倒臭そうな口ぶりで夏原が訊ねてくる。


「友達が……その友達がヒート事故起こしたって噂があって」

「は」

「ずっと休んでるんだ。もう学校には来ないかもしれない。もしかしたら……二度と会えないかもしれない。僕が、中一の時にそうしたみたいに」


 最近、何度も自分の過去を思い出すのだ。中学一年生で起こしてしまった発情事故。

 すべてを捨てて、逃げるようにこの地に引っ越してきた。仲の良かった友人たちにさよならも告げずに、ただただ逃げ出すことしか頭になかった幼い自分。


 ……その選択に罪悪感なんて、これっぽっちも抱いたことはなかった。それしか道はないと信じていた。


 だけど今、過去として封印される立場になった途端に、身勝手にも寂しさに苛まれている。

 自分だってそうやって友人たちを切り捨ててきたくせに、自分を守るためにそうしたくせに、光一に過去として切り捨てられることが悲しくてつらくてたまらないのだ。


 ――光一の母親は、息子の意思を尊重するタイプの母親のようだった。だからきっと、光一が例の出来事を封印することを望めば、彼の転校や引っ越しを受け入れるに違いない。


 光一とて、あれだけ悪い噂が広がってしまった清華学園に戻ろうとはきっと思わないはずだ。


 ベンチに腰掛けた夏原は足元を見つめ、佑月の隣で大きく息を吐き出した。


「……あんとき、ガキの俺たちに何ができたよ。俺たちは、ああする以外になかったんだ」


 佑月はうなずいた。

 ハンカチを差し出されたので、素直にそれを受け取る。甘い匂いのする布地で涙と鼻水をごしごしと拭っていく。


「望んだって……向き合うことも、背負うことも許されなかった」


 ふと顔を上げ、隣の男の横顔をまじまじと見つめる。

 中一の自分は現実から逃げることしか頭になかったけれど、もしかしたら夏原の中には、別の選択肢があったのだろうか。


 彼の澄んだ瞳が佑月へと向けられて、少しだけ心臓が跳ねた。慌てて視線を逸らし、ハンカチで目元を覆う。


「俺も水元も、過去を隠すことを選んだ。そんな俺たちに、逃げるななんて言う資格はないんじゃね」

「うん……」

「そいつ、お前の過去知ってるのかよ」


 佑月は無言で首を横に振った。そうか、と静かな反応をくれた夏原もそれから沈黙を守っていた。


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