第11話 助けた理由③
涙が完全に止まるころには、辺りは薄暗くなってきていた。
「念のために言うが見舞いは明日にしろよ。今日はもう帰れ。まっすぐに帰れ」
「もう、わかったってばっ」
夏原にしつこいほど言い含められて、佑月は頬を膨らませた。完全に子ども扱いされている。
「……そのハンカチもお前にやるから。捨てるなり何なりそっちでやって」
「わかった。鼻水かんじゃったし、じゃあ捨てるかも。……あの、助けてくれてありがとう」
口にするのは照れ臭かったけれど、そこはちゃんと伝えなくちゃと思ったので、佑月は気恥ずかしさを飲み込んでお礼を述べた。
ちょっとした勇気を消費した行為だったのに、夏原は特に表情を変えるでもなく、「別に」とだけ。ちょっと腹が立った。クールぶりやがって。
「ああ、そうだ。水元、スマホ出して」
「え、なに?」
「一応これ登録しとけ」
言われるがまま、佑月はスマホを取り出した。
夏原の手には彼自身のスマホが握られていて、「ほらよ」と画面を向けられる。そこにはメッセージアプリのQRコードが表示されていた。
「……無茶するくらいなら、次から俺に連絡してくれ。あの店で菓子くらい、いつでも買ってきてやるから。他のことでもまぁ、どうしようもなく困ったら連絡してくれて構わない」
視線を逸らしたまま、素っ気ない口調で夏原は言う。でもこれは……まさか心配してくれている?
「え……ありがとう?」
相手が相手だけに、迷ったけれど、佑月は彼の提案を受け入れた。
次回はあのチョコレート店でクレープも買いたいし、またあの店の菓子を買いに行きたいと望むことは絶対にあるような気がしたのだ。
QRコードを読み込むと、夏原がトモダチとしてアドレス帳に追加された。
ゴールデンレトリバーがサッカーボールと戯れているアイコンが表示される。彼の家のペットだろうか。
「犬、可愛いね」
「ああ、うちのペット。もう年寄り犬だけど」
「へえ、いいな。うちはペットなんて飼ったことないから」
それぞれスマホをしまい、場を繋ぐような会話をしながら、駅に向かって歩いていく。
改札口の手前まで見送ってくれた夏原は、足を止めると、「ちゃんと気をつけて帰れよ」と佑月に再び念押しした。
「しつこいってば! 大丈夫だって」
「――お前の治療が成功するまでは、俺にとってお前はただの他人じゃないんだよ」
「……へ」
佑月が驚いて見上げると、夏原はふいっと視線を逸らした。
「頼むから、その考えなしなところ何とかしてくれ。お前がどっかでトラブルに遭って、あとでそれ知って無関心でいられるほど、俺冷たい人間のつもりないから。少しは自重しろよな」
「え、と。努力します……?」
ジチョウってなんだっけと思いながらも、反射的にそんな返答を口にしていた。
目の前の男は佑月の反応に満足したようで、「そうしてくれ」とうなずくと、踵を返した。
「じゃあな」
「うん」
佑月も改札に向かって歩き出そうとしたところで、背後から夏原の声が届く。
「――水元!」
「え、なに」
佑月が振り向いた瞬間、何かが胸元に飛び込んできた。咄嗟に受け止めて、飛んできた物体を確認する。
――え、お菓子?
「やるよ。……そっちは見舞い用なんだろ? 新作だってさ、大事に食えよ」
久しぶりに目にする夏原の笑顔だった。
さっきまでの彼とは違う、晴れやかな表情でにっと笑うと、夏原は今度こそ背中を向けて去っていった。
手元にもう一度視線を落とす。かごに入れた覚えのない菓子だった。
分厚いチョコレートをピンクや緑、紫色のクッキーのようなものでサンドした、センスの良い菓子だ。『季節のサブレショコラ』と印字されている包装には、あのチョコレート店の名前がある。
(あ……そういえば、夏原にお金渡してないや)
人混みの中に、彼の姿はもうなかった。周囲には甘い匂いだけがほんのりと残っている。
――まるで特別なアルファの残り香みたいに。
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