第9話 助けた理由①
店を出ても佑月が足を止めることはなかった。
周囲には東雲英明高校の制服を着た生徒があちらこちらにいたし、またアルファ性に絡まれても困るので、とりあえずその場から離れるべく闇雲に走っていく。
走って、走って走って――――大きな川にかかる橋の上まで来て、ようやく足を止めた。
橋の欄干に掴まって、冷たい風を肺いっぱいに吸い込んだ途端、喉の奥で何かが詰まって佑月はゲホゲホと咳きこんだ。
上下する胸に右手を当てる。乱れまくった呼吸を落ち着かせようと橋の下方を眺めていて……はっと気付いた。両手を確認して青褪める。……身軽すぎるのだ。学生鞄ごと荷物をどこかに置いてきてしまったらしい。
(あの店かな……はあ、僕ってすっごくおバカ)
よろよろとしゃがみ込んだ。制服のポケットに入れていたスマホがあるだけで、あとは何もない。佑月は大きくため息をついた。
学生鞄に財布を入れていたので、全財産も行方不明だ。スマホに電子マネーが残っているだろうかと藁をもすがる思いで確認すると、637円入っていた。
(とりあえず、家には帰れる)
ただし光一に渡すはずだった戦利品はもう買えないし、ほとんど全ての財産と学生鞄を失くしてしまったかもしれない。
もし見つからなかったら、明日からどうしよう。学生鞄に教科書類を入れていなかったのはせめてもの救いだった。
(一度あのお店に戻って、訊いてみよう)
スマホで現在地と時間を確認する。随分と遠くまで来てしまったらしく、あのチョコレート店に戻るためには、一旦駅の周辺まで足を運ぶ必要があるようだった。
経路を確認して、佑月はとぼとぼと歩き始める。何度か路線バスやバス停を見かけたけれど、少ない電子マネーを減らすことはできなくて、ひたすら歩くしかなかった。
駅に近付くにつれ、東雲英明の制服を着た学生の姿が目につくようになる。トラブルは懲りたので、極力視線を合わせないように俯いて人混みの中を進んでいく。
――この後はどの方向に行くんだっけ。佑月が再びスマホを取り出して確認しようとしたとき、鼻先を甘い匂いがかすめた。
「この匂い……」
迷ったけれど、この場所で他に頼れる人もいない。佑月は誘われるように甘い香りを追いかけた。
――血が騒ぐ。オメガとしての本能が彼を求めている。身体が夏原に焦がれているのがわかる。
次第にあいつの甘い匂いが濃くなってきた。
人通りの多い駅前広場の中心で佑月が夏原の姿を探していると、突然後ろから誰かに手首を掴まれた。
「ひゃっ!?」
「お前はまたこんな場所でウロウロしやがって……散々探しただろーが!」
反射的に振り向いたら、眉間に深いしわを寄せた夏原がいた。そのまま引っ張られて彼に連れられて行く。
夏原はものすごく見覚えのある学生鞄を肩にかけていて、気付いた佑月がおずおずと「その鞄、もしかして」と訊ねると、「そうだった。ほらよ」と歩きながらあっさりと手渡された。
駅ビルの建物に沿って歩いた先にちょっとした物陰があったので、足を止めて鞄の中身を確かめる。
「わ、財布もある……っ! 僕の全財産も。よかったぁ……っ」
歓喜に打ち震える佑月の隣で、夏原は疲れた様子でため息を落とした。
「そら良かったな」
彼は自分の鞄から錠剤のようなものを取り出すと、それをミネラルウォーターで飲み込んでいる。不愉快そうに腹を
「夏原、お腹痛いの? トイレいく?」
「ちげーわ馬鹿。……お前があんな場所に鞄なんか置いてったせいで、あいつらに蹴られたんだよ。身を挺して取り返してやった俺に感謝しろっつの」
「え、嘘でしょ。それホントなの……?」
よくよく見ると夏原の制服は少し乱れている。
あの店で佑月にウザ絡みしてきた例のアルファの男女らは、学校内でも悪評高い上級生グループの一員なんだそうな。普段は夏原も極力彼らとは関わりを持たないように過ごしているとのことだった。
「はあ、まったく」
「ごめん……」
「別にもういいよ。あとこれ、やるわ」
ぶっきらぼうに突き出された茶色の紙袋の中身を覗いてみる。紙袋には、あの店で佑月が買い物かごに入れていた商品がすべて詰め込まれていた。
「え? 買ってきてくれたの!?」
「……店に迷惑かけといて何も購入しないわけにはいかねーだろ。丁度良かったから、迷惑料として購入してきたんだよ」
「うわ、うわわわ……っ、夏原ありがと……! どうしよう、今僕めちゃくちゃ感激してる! 夏原のくせに気が利きすぎて泣きそう……っ」
「どういう意味だソレ。つーか、わざわざあんな店まで来て、そんなに買い込んでどうするつもりだったんだ?」
怪訝そうな顔をした夏原に問われて、佑月は光一のことを思い出した。
アルファ性に遭遇する可能性が高いからと、りくや光一が行くのを諦めたあのチョコレート店。その店に佑月がわざわざ一人で出向いた理由は。
「……友達のお見舞いに行く予定だったんだ。ここのお店のクレープが食べたいって前に言ってたから」
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