第二章 「中学二年生、春」

第1話 新たな生活

  

 ホームルーム終了のチャイムが小奇麗な校舎に鳴り響いた。

 担任が話を切り上げるなり、途端に教室は騒がしくなる。


 佑月は新たな日常にもすっかり馴染んでいた。

 真新しい濃紺色の上下の制服はデザインがお洒落で気に入っている。

 中等部の生徒たちの襟元を彩るクラシカルな赤色チェック柄のネクタイもとても可愛い。しかしオメガ性の生徒はネクタイの着用を免除されているので、佑月はいつもネクタイはせず、白シャツの第一ボタンを開けるだけにしていた。


 佑月にとって新天地となったこの清華学園は小規模校ではあるものの、生徒一人一人の個性を尊重する自由で穏やかな校風で、とても過ごしやすかった。

 学園指定の鞄を開いて帰り支度をしていると、転校してきて一番最初に仲良くなったオメガ性の友人、豊川とよかわりくがそばにやってきて、佑月の襟元を覗き込んだ。


「今日ずっと気になってたの。ゆづちゃんの今日の首輪ネックガード、すごーく可愛いなって。ゆづちゃんのセンスほんと大好きっ」


 そう言うと、りくはあどけない笑みをこぼす。全体的に色素が薄く、ちょこんとした鼻梁の周囲にはうっすらとそばかすが散っている。

 ほわほわとしたマイナスイオンを漂わせながらりくが無邪気に褒めてくれるので、自然と佑月にも笑みが浮かんだ。


 今日一日、彼がちらちらと佑月の首元に視線を寄越していたことには気付いていた。

 りくは自分の首輪はダサいからといつも恥ずかしそうにしている。彼の父親が選んだというシンプルで頑強そうな黒ベルトが、りくの白シャツの襟の間から今日も見え隠れしている。


「ありがとっ。りくちゃんに褒められるとすっごい嬉しいよ」

「ふふ、ゆづちゃんがそんなふうに言ってくれるとぼくも嬉しい~。ぼく、ゆづちゃんがこの学校に来てくれてから、毎日来るのが楽しいよ」

「え~嬉しい~!! りくちゃんに出会えて僕も幸せだよー!」


 そう叫ぶと、佑月は教室の中心でりくに抱き着いた。周囲のクラスメイトはくすくすと笑っている。


 佑月もりくも、オメガクラスに在籍している。

 クラスの半数以上は女子生徒、しかも少人数クラスなので男オメガの生徒は佑月を入れても七人ほどしかいない。その中でも佑月と一番気が合うのがりくだった。


「あ、ゆづちゃん。それで相談なんだけど……ぼくもオシャレな首輪が欲しくて探してるんだけど、なかなか好みのものが見つからなくて。きっと探し方が下手なんだよね。だから……ゆづちゃんはいつもどこで買ってるのか聞いてもいい?」


 遠慮がちに訊ねてくるりくに、もちろんだよ、佑月は大きく頷いた。

 今日の佑月はオリーブ色のフェイクレザーに、金色の金具とクローバーのアクセサリーが施された首輪を身につけていた。先日ネットショップで購入したばかりの新作だ。

 今日という特別な日に、気合を入れて身に着けてきたものだった。


「そんなのいくらでも教えちゃう。僕がよく見てるネットショップの一つなんだけど、melodyΩっていうショップだよ。あとでURL送ってあげよっか?」

「え、いいの? 助かる~」

「お安い御用だよ~。そーだ! りくちゃんが良ければなんだけど、もし良いのあったらさ、今度お揃いの首輪つけよーよ! 双子オメガコーデしよっ」

「わあ、それ楽しそう~っ」


 きゃいきゃいと盛り上がるうちに電車の時間が差し迫っていることに気が付いて、佑月は慌てて席を立ち、鞄を閉めた。


「もし僕がURL送るの忘れてたら、ごめんだけどメッセちょーだい? 今日はもう行かなくちゃでさ」

「え、もう帰るの? ゆづちゃん今日は早いね」


 目を丸くするりくに、佑月は口元にピースサインを添えてうなずいた。もう片方の手で机の上の鞄を引っ掴む。


「うん。今日はデートなんだっ」

「えっ! 誰となの~!?」

「ふふっ、それはまだひーみつ! ちゃんと付き合えたら紹介するねっ」


 また明日ね、と明るく手を振って、佑月は軽い足取りで教室を出た。

 急ぎ足で校舎を出ると、学園の敷地のあちらこちらに植えられた桜が満開だった。薄桃の花びらが佑月の頭上から舞い落ちてくる。――春の光景だ。


(ああ、とっても青春してるみたい!)


 両腕を広げてくるくると回りだしたい気持ちを抑え、佑月は桜に彩られた通学路を小走りで進んでいく。

 同じ制服の生徒たちが咲き誇る桜を見上げて足を止めていた。スマホを桜に向けている者もいる。そんな彼らの間を縫うように進み、佑月は同じ制服の生徒たちをどんどんと追い越していった。

 

 最寄り駅に到着する頃には少し息が上がっていた。

 弾む気持ちのまま発車前の列車に乗り込み、車両の壁際に寄ると、佑月は鞄からスマホを取り出した。


『今、電車に乗りましたー!』


 メッセージアプリを起動し、画面に文字を打ち込んでいく。数分もしないうちに相手から返信が届いた。


『予定通りだね。気を付けておいで』

『はーい!』


 可愛いスタンプを選んで送信。期待に膨らむ胸の中心で、佑月はスマホを握りしめた。

 駅のホームに発車を告げるメロディが流れる。列車の扉が閉まって、ゆっくりと景色が変わり始めた。


 佑月の世界は今、再び輝きを取り戻していた。――――そう、とびきりの恋の魔法によって。


   *

 

 佑月が例のヒート事故を起こしてから、九ヶ月ほどが経過していた。

 あれから引っ越しをしたり、転校をしたり、いろいろと大変だった。


 ヒート事故後、一週間ほど入院していた佑月が家に帰ってくると、妙子は突然、引っ越しをすると宣言したのだ。

 入院中はろくに見舞いにも来てもらえなかったので、退院後はいよいよ保護施設に入所させられるのではと心配していた佑月にとって、それは予想だにしない展開だった。


 厳しい表情の妙子に、「こんな事態を引き起こしておいて今までと同じ学校に通えるのか」と問われた佑月は、沈黙するしかなかった。

 あの事故は授業中の出来事だった。だから目撃者も教員だけだと聞かされている。生徒たちは誰も何も知らないはずだ。

 ――だけど、噂なんてどこから漏れるかわからない。

 しかもヒート事故なんて、とんでもなく恥ずかしい内容なのだ。友人たちが知ったら何を言われるかわからない。

 それに、生徒たちは知らなくても、きっと教師のほとんどは佑月のヒート事故のことを知っているのだろう。


 ……遠くに行きたい。あのヒート事故を誰も知らない場所に。


 細い声でそう答えた佑月の願いを、妙子は珍しく叶えてくれた。妙子は佑月を捨てるのではなく、その手で新たな世界へと連れ出してくれた。

 佑月にとって、それはとてもとても予想外のことだった。

 

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