第十一話 白い海

 ルカはシフリカの案内で校内を歩いていた。

「こちらは二年生の子供たち。ここから続いて三年、四年と続きます」


 先ほど感じとった「何か」は、もうなくなっている。

 人形の自分が、こんな気持ちになるなんて。


「二階に行きましょう」

「はい」


 学校内は面白い物でいっぱいだった。

 教室はもちろんのこと、手洗い場や掃除用具入れ、そういえば、このツォルフェラインの上下水道は、ちゃんとしている。

 異世界あるあるだと、こういうことは書かないのが術。そう思いつつも、ルカは、二階への階段に足を開ける、と。


「おねえちゃんだ!」


 どんっと腰に衝撃が走り、つんのめるがぎりぎり倒れないまで体幹を維持する。

 ドクドクとない心臓が鳴っているような気持ちのまま、腰に抱きついてきた人を、見てルカは笑った。


「こんにちは、ミーシャさん」


 名前を呼ばれた少年は嬉しそうに笑い、きゅうとルカを抱きしめる。

 そして、ルカの見た先にミラがいた。

 あの人形を抱えて、とてとてと走ってくる。


「おねえちゃん!」

「はい、ミラさん、こんにちは」


 二人は揃って「こんにちはー」と声を出してルカを迎えてくれた。どうやら、二人とも、この学校の生徒のようで、とシフリカを見上げた。


「こんにちは、ミーシャさん、突然抱きついてはルカさんがびっくりしてしますよ。

ミラさん、こんにちは。そういえば一年生の授業は、あとちょっとで始まりますね」


 シフリカは窓の外を見て、次々と登校してくる少年少女たちを見る。


「二階をご案内したかったのですが、もし、ルカさんがよろしければ一年生の授業に出てみませんか?」

「えっ、でも、先ほど入学したばかりです」

「入学したから、ですよ」


 階段を降りながらシフリカは笑い、元来た道を戻る。


「二階には何があるのですか?」

「鉱物や布や、特産品の偽物です。鉱物は本物と見分けられるように、布とかは粗悪品など、金品がかかるものに対して、そうですね、目利きができるように、特別室と私たちは呼んでいます」


 ルカは、学校に行くことはない、だけれどもその手の話は小説や漫画で見たことがある。

 ここまで詳細な内容のものはなかったが、この学校を作った人は「優しい」人なのだろう。「学ぶ」という点について人生に必要不可欠なことを教えている。

 ぱらぱらと子供たちが出入り口から入り、先ほど案内された一年の教室に入っていく。それに加えて先生らしき人が、教室に入ろうとしていた。


「コーティ先生、よろしいですか」

「あら、校長先生。どうなされたの?」


 すらりとした、いわばスレンダーな女性が名前を呼ばれてこちらを見る。

 眼鏡をかけた優しそうな人だ。


「こちら、本日入学したルカさんです。まだ読み書きや算数などが苦手だそうで、一から習いたいと、一年の生徒さんたちと一緒にお願いできませんか」


 紹介されたルカはコーティに頭を下げながら、


「ルカと言います。外国で暮らしていまして、まだ読み書きやお金など算数の扱いが

苦手で……そしたら、こちらの学校を紹介していただいたのです」


 軽く自己紹介して彼女を見ると、にこやかに微笑み、

「そうなのですか、よろしくお願いしますね」と手を差し出した。

 握手をすると、腰に張り付いていたミーシャと後ろに控えていたミラを見て、授業の時間ですよ、と声をかける。

 その間にも生徒は、ぞくぞくと教室に入っていき、まさしく学校だった。


「おねえちゃんも生徒?」

「はい、いろいろと知りたくて入学しました」

「同じ学年?」

「そうです。まだできないことがいっぱいですから」


 ミーシャは顔を明るくして、ルカの手を引っ張ると「はやくはやく」と教室に引っ張っていく。それを見たミラが後ろから、ぐいぐいとルカを押す。


「ミラさん!?」

「一緒のお勉強、わたしもしたい!」

「あ、ああ~シフリカさんっ」

「教材はあまっていましたっけ?」

「ありますよ。教室にありますから、それをお渡しします」


 ルカを尻目に、話はどんどん膨らみ、気づけば教室の一番後ろ、ミーシャとミラに挟まれて授業を受けることになっていた。


「みなさん、今日から一緒に授業を受けるルカさんです」

「ルカです、よろしくお願いします」


 流れに流れて、コーティから渡された教材を持ち、その一時間、ルカは「勉強」をすることになり、国の言葉や日本であるなら、あかさたな、AからZと学び、非常に

有意義な時間となった。


「ふう、分かってはいましたが日本とは全く違いますね」


 ぽつりと呟いて、ルカは肩を落とす。

 AIの自分であれば「検索」一つで何事も終わっていたというのに今は何もない。

いちから学び覚えていく。とても不思議な感覚だ。


「おねえちゃん、大丈夫だった?」


 ミーシャが横からルカを見上げて、心配そうな顔をする。


「大丈夫ですよ。帰ったら復習もします。早くみなさんに追いつかないと」


 ミラは黙ってルカを見上げていたが、発言を聞いて、にっこりと笑った。

 それを見たミーシャも笑って「次は下校~」と二人してルカを引っ張る。

 途中、片付けていたコーティが「明後日もありますので、同じ時間に」と知らせ、

ルカも「はい、わかりました!」と返事をした。


 検索できなくとも学ぶのは楽しい。元の世界の人たちは楽しそうだったり苦手だと言ったりしていたけど、ルカは楽しい。

 これでいろいろと学べたら店番や買い出しも楽にできる。

 ルリエの役に立てる。


 そう思いながら出入り口に向かっていくと、校長室の前にルリエがいた。


「おにいちゃん、おっでむかえ~?」


 ミーシャとミラがいることに、少し驚いた風であっても「おう」と口にしてルカを見た。


「遅くなると……」

「意外に、早く終わったんだ。追い出されたって訳じゃないんだが。口にするとスラスラでてくるもんだな」


 ルリエはすっきりした顔で、まかせると言って出ていった時とまったく違う。

 なにかあったのだろう。それはルカにでも分かる。そしていい方に転がったのも分かった。

 そして話をしていたシフリカは「気をつけて見てみます」と口にしていたがルカには分からず、ルリエを見て、疑問の顔を持つと、


「いろいろと事情がな。とりあえず帰るか。ミーシャとミラも帰るだろ?」

「うん、お家のお手伝いしないと」

「ミラはいいこ~、ぼくはわるいこ~」


 身体をくねらせながらミーシャは言い。お手伝いはしないといけませんよ、とシフリカは笑いながら言う。

 そういえば二人の実家が、どのような仕事をしているかは知らないが、この街の人たちは、明朗で心地いい。市場では客引きの声は通るし、外国から来たらしい人々の姿を見るのも楽しい。


「二人とも送ってやるから帰るぞ。ルカ」

「はい、えっ」


 差し伸べられた手にルカは自然に手を置いてしまい、ルリエに握られる。それが、

「うらやまし~」と反対の手にミーシャが、ルリエの隣にはミラが手を握っていた。


「ル、ル、ルリエ様っ」

「なんだ?」

「うっ、いえ……なんで、も」


 当のルリエは何を気にしている風もなく、シフリカに帰る旨を伝え、歩き出す。

 他の男性に会うのを嫌がっていたルリエはどこに行ったのだろう。確かに、ここはにる男性はシフリカだけだったけども。

 謎の余裕にルカは、ぐるぐると思考がめぐる。

 これも「何か」あったからなのだろうか。

 手が、熱を持ちそうだ。


 噴水広場までやってきて小さな友人たちの手が離れる。


「また明日ね~」

「ばいばい」


 お互いに手を振りながら、小さな背中が市場に溶け込んでいく。


「果物でも買って帰るか」

「はい」


 繋いだ手に二つの熱を加えて二人は市場に消えていく。


「楽しかったか」

「はい」

「なに買うか。ペーシュでも買うか」

「はい」


 ルカは食べられないが、あのいい匂いがする、桃みたいな果実は好きだ。

 そういえば朝のパンもいい匂いだった。


「え」


 つん、とルカが止まったことでルリエは「どうした」と柔らかい目でルカを見る。

 目の位置は変わらないし、瞳が動くことはないが、ルカが驚いているのはルリエでも分かった。


「どうした?」


 信じられない、というように、次にルカはルリエと繋いでいる手を見る。

 暖かい。これはルリエの熱だろうか、自分の「熱」だろうか。

 分からず、ルカはルリエに、


「わたし、感覚と嗅覚が……」


 ルカは空いている手で自分の皮膚をつねるように、寄せようとしたが陶器故に寄せることはできなかったが、何かに押されているような感覚はある。

 そして市場の匂いが分かった。


「匂いが分かるんです……ルリエ様、わたしの手は熱いですか?」


 そう言われてルリエは繋いでいた手を握り返すが、ずっと繋いでいたせいで、どちらの熱がそうであるか分からない。

 だが、匂いが分かると聞いて、同じように目を見開いた。


「じゃあ、あの匂いは分かるか?」


 ルリエが指す店は、同じ果物屋でリンゴのような「ポム」という果実を扱う店だ。


「……はい、蜜の香り、ですよね。前に蜂蜜が」


 そこまで言って、ルカはいつからか「五感」が芽生えていたことに気づく。

 なぜ気づかなかったのだろう。ルカは今まで自分は人形であると思い続けていたからであろうか。


「ル、ルリエ様」


 喜びより不安が勝って、ルカはルリエに助けを求めた。

 これがなんなのか分からない。


「……ルカ、家に帰ろう」


 そのまま果物も買わず、足早に帰路についてルカの部屋に行くと、ルリエは分かっていたようにルカの肩に手を置いて口にした。


「今日、行った場所は俺の実家だ。そこに人形が動いた、と何故か、と聞きにいった

知っている人には会えなかったが、一応、答えは現状「分からない」だ。でもルカに

起こっていることは想定内じゃないかと俺は思ってる」

「どういうことでしょう?」

「母さんは「何か」したかったんだ。その上でルカに五感が生まれることを知っていたんじゃないかと俺は思う。俺に「大切にしてほしい」と告げたことと、俺が独りに

なってよすがになること、そしてもう一つ、何かがあったんだ」


 先ほどよりも大きな不安が心を占めて、ルカは絶句してた。

 産まれた五感に喜ぶべきなのだろう。少しでも人間に近づけたのだから。

 しかしルカの中には、AIだった時の自分と、また五感を感じない人形としての、

自分がいるのだ。

 戸惑う。作者のルリエの母ルカの考えが分からない。


「頭の神経みたいなのは、こうなる為のものだったんですか? お母様のルカさんは

人間しようとしたのですか?」

「それはないはずだ。この国では人体錬成や、それに似たことは禁止されている」

「でも隠れて行えば」

「いや、俺は母さんを信じてる。実家には分かれば、すぐ連絡が来るようにしてあるから、ルカ、そんな顔をしないでくれ」


 顔は変わらないが雰囲気で察したのだろう。

 ルリエは肩から、そっとルカを抱きしめた。

 抱きしめ返せば、陶器の皮膚が押される感覚が来る。


「ルカ、俺はルカのことを、愛してる。大事だ、大切だ。母さんの人形だからじゃない。ただただ愛している。俺のものだ、本当は誰にも触らせたくない。でも、ルカがいたからこそ怖いことを越えられることができたし、新しく、分かったことがたくさんある」

「ルリエ様」

「今日はルカと一緒に寝たい。いいか?」


『愛している』ってなんだろう。空想の世界で口にされる言葉は、見ている限り、熱を持ち、ヒーローやヒロインの心を満たしていった。

 この中にルカは入るのだろうか。

 ルリエのことは好きだ。でも『愛している』が分からない。

 分からないから「悲しい」

 ルカは縋るようにルリエを抱きしめると、暖かい熱がルカを包む。

「嬉しい」はずなのに分からない。

 急速に成長していくルカの心は、今にも張り裂けそうで。


 その日はルカのベッドで抱き合うように眠りについた。

 ルリエは「ルカが寝るまで起きている」といい。瞑らない瞳を見て笑う。

 

 暖かいな、ルカはそう思いながら白い海へと意識を沈めていった。

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