第十話 苦しみから抜け出せる時

「ん?」

 ルカは振り向いた。誰かに呼ばれたような気がしたからだ。


「どうしました?」


 こちらが一年生の部屋です、と口にしていたシフリカはルカが振り返ったのを見て

声をかける。

 薄い黄色の衣装と腰まである黒に近い赤茶の髪が、ふんわりと空気をなびく。

 フェイスベールの下も見えたが一瞬のことで誰に追求されることはない。


「なにか……すみません。なんでもありません!」


 ちょっとした違和感。

 ただそれだけだったが、うなじ部分がきゅうとする。何か起きているような。

 誰か苦しんではいないか。そんな思いが頭をかすめた。


   *   *   *


 その姿を見て門衛は背を正す。

 放蕩息子と言えど、皇太子は皇太子。それなりの態度で覚えめでたく――は、ならなくていい。しょせん第四。誰の後ろ盾もないまま生きてきた上に一時期は廃太子になる話まであった。


 ルートヴィヒは大門が開かないのを知っている。

 自分は歓迎されていない。


 門衛が使うような小さな扉から入り、カツカツとブーツの踵を鳴らしながら歩いて行く。途中途中、下男下女や使用人やらが声を上げ「あれがあの?」と声がする。


 前であれば、その居心地の悪さに逃げていたが、今日はどうでもいい。

 ルカのことについて一番に知っているだろう、国王アルフガルド・アイルハルト・ツォルフェラインに話を聞きに来たのだ。

 来る知らせは出さなかった。公務で暇ではないとは思っている。

 だが、思い至ってしまったことに不安を抱えながらルカと暮らせない。


「ルートヴィヒ様」


 行ったことのある執務室まで、あと少しというところで国王の側近であるフェグが前の曲がり角から顔を出した。

 まあ、来たことはすぐに分かるだろうし、そこら辺の伝達の早さは一番だろう。


「こちらへ」

「……父上に会いにきた」

「承知しております。ですが、そのお気持ちを沈めてはいただけないでしょうか」


 フェグが案内しようとしているのは明らかに違う場所だ。

 

「誰だ」

「第一王太子ブレイズガルヴ様がお呼びでございます」

「……」


 父親は会いたくない、ということだろうか。それとも長男だけで済む話だとでも、

思っているのだろうか。

 だが、と思い至りルリエは顔を上げる。

 あの人が十四歳あたりの頃で俺が生まれて母のことを知っているだろうし、ルカのことを知らずとも「人形」のことは知っているかもしれない。


「わかった」


 そう告げてフェグのあとをついていくと王とは離れた別室に通される。

 見たことのない部屋なのはしょうがない。しかし、入れば、すでに茶と菓子が、用意されており、目の前を見れば、窓から外を見るブレイズガルヴの姿があった。

 深い茶と金の混じる髪に明るい茶色の目が、優しくルリエを見る。


「久しいな、どれぐらい顔を見てなかったか」

「忘れました。何故、父上に会えないのですか」

「……少しばかり国境に煙がたっていてね。それについて指揮をしているんだ。父はそういうことに関しては自分でやりたがる人だから。とりあえず、座ろう。私ができるかぎりのことはするからね」

「それは兄上から俺が来たから会えないか、と父上に進言するためですか」

「ルートヴィヒ、答えを急ぐのは人の性でもある。けれど、今は座りなさい」


 今度は有無を言わさない口調で言われ、ルリエは唇を噛みつつも、ソファに座り、後ろにはエルリックとウォレスがつく。

 ブレイズガルヴの後ろにも二人の側近がついたが、顔は知らない。

 知らないようにしてきたのだから、城内のことなんて何も知らない。

 今さら悪いことをしている気分になってきたルリエは対面する形で座ると、茶に、手をつけず、膝に拳を作り、下に向けていた瞳をあげて兄を見た。


「うん、話そう」


 ブレイズガルヴは紅茶を飲みながら、ふぅとため息をつく。


「でも、その前に。元気だったかい? 病気とかは? ちなみに学院には行ってないのは知っているよ」


 最後に小言がついてルリエは顔をしかめた。

「学ぶのは人生に必要なことなんだから」と続けて言われ、居心地が悪い。

 そんなことを知ったのは最近だ。ルカが「学びたい」と言った時に、自分はルカに何かを教えられる立場なのか、と。人形作りしか知ろうとしない自分に、ルリエは、何度も家のこと、学院のこと、街のこと、すべて遠ざけていたことが頭の中に渦を巻いていたのだ。


「……元気です。そんなことを聞かずとも『護衛』の人間が知らせるでしょう?」

「お前の口から聞きたいんだよ」


 彼が茶と好物のケーキをほおばり食べながら微笑む姿は一族しか知らない。

 まだ放蕩息子である自分は「家族」の枠組みにいるのだろうか。

 はっと本題からそれていることに気づいて頭を振る。


「うん、それで?」

「俺の母、ルカ・ルミエールについて、です」

「うん」

「母が残した人形が動いたのです。耳には入っているかと思いますが」

「うん、知っているよ」


 茶器を置いてブレイズガルヴは小さい子に向けるような目でルリエの言葉を待っていてくれた。

 それは兄として、もあるかとルリエは思う。前々から穏やかな人だったから。


「俺は、あの人形は母が遺してくれた俺の遺産だと思っていました。だから手入れは欠かさなかったし、服や小物も。でも、動きました。言葉も喋り、感情も豊かです」

「素敵な子だね」


 頭の中のルカが「素敵です」と言った。

 ああ、なんとなく、似ている。そう思うと強張らせた身体の力が抜けていく。


「先日、整備を行おうとして体内を見たら、頭部にある水晶玉から神経のような白い糸が出て、身体中を巡っていたのを発見しました。それを、知らないか聞きに来たんです。ルカに、なにかあったら、俺は」

「そうか」

「俺は! 母が俺に遺した唯一のものだと思っていたんだ! なのに、ああいうことになって、俺は何も知らなくて、こんなんなのに……貴方たちに縋ろうと」

「ルートヴィヒ、やめなさい。怒るよ。確かにルートヴィヒの行動に顔を顰める人は多い。でもね、家族なのだから、困った時は頼っていいんだよ」


「駄目なものは駄目って言うからね」と足を組んだブレイズガルヴが何度も、優しく

諭してくれた。

 王の後を継ぐ人だというのに、声は穏やかで、ルリエの言葉を否定しない。

 すべてを飲み込むことはないが、聞いてくれること自体は嬉しく思った。

 身体から毒が抜けていくようでルリエはブレイズガルヴを見る。


「結果から言うと、その状態になることを僕は知らない」


 ルリエは肩を落として、瞳を下に向けた。


「おそらく、父と母が知っているはずだよ。ルカさんについては二人が一番詳しい。あと言えるとしたら、彼女が作られた時と同時に魔術局で「道具」が作られてる」

「道具?」

「それに繋がりがあるかどうかは分からないけど、何枚もの円盤にガラスをはめたものがある。どうやって使うか、これも父と母が知っているだろうね」


 点と点が繋がらず、静々とルリエはブレイズガルヴを見る。

 瞳は何かを懐かしむような色を湛えながら、一度瞑り、開けるとルリエを見た。


「ルカさんが、意味のわからないことをするとは思えないし」


 その眼差しは「ルカ・ルミエール」を見てきた人の目で、その人がどんな人であるのかを知っている目に見える。


「それにね、うちの家族はルカさんがいなかったら、きっと酷い家族になっていた。僕は家出してたかも」


 くすくす、笑ったブレイズガルヴが、もう一度、紅茶に口をつけて菓子を一口。

「ううん、あの頃は、本当に家出を考えてたかも」と、もぐもぐと口にしながら茶を飲んで、ここに彼の母であるヴィリエレーシがいたら怒りの眼差しが矢のように飛んでいたことだろう。


「さて、ルカ、ちゃんでいいかな。ルカちゃんのことはこれぐらいにしようか」

「……兄上」

「今日は、ここで帰りなさい」

「はっ、兄上!?」

「ああ、そうだ。オリヴィエたちの顔でも見るかい? ヒメやネスたちも大きくなったし。それともセリュバンに会うかい? 多分「道具」を見せてくれるだろうけど、対価を寄越せと言われるね」


 次男と養子に迎えた子らと魔術局のセリュバンと、名前を次々に出されてルリエは

顔を崩す。


「……セリュバンには会いたくない、です」


 小さい時に、服だけ消える魔術を思いついたんだ! とか言いながら、服を燃やすだけの効果の被害にあった日のことを思い出して、頭を抱えた。


「ははは、じゃあ、今日はこれまで。一応、ルカちゃんのことは近衛兵たちも気にしているけれど、それ以上に隣国のクエ国のことも気にしてる。ルートヴィヒから見ておかしなことがあったら逃げておいで。家が近いんだから、すぐ駆け込むんだ」


 どうあがことも第四皇太子。

 なにかあれば……ルリエは考えるのを止めた。

「甘え」は絶ったと思っていたのに、本当は「甘えに甘えていた」

 そして、ここを「家」というブレイズガルヴの言葉が何よりも痛い。

 自分は今まで、どう生きてきたのだろうとルリエは思う。


「わかりました。早く帰れそうで何よりです。分かったら必ず連絡をください」

「もちろんだよ。シフリカのところにいるんだろう? 迎えにいきなさい」

「はい」


 後ろから、息を吐く声が聞こえる。

「側近」も気にしていたのだろう。

 ふと、やっとのこと自分以外のことを、ルカ以外のことを考えることができているとルリエは思いついた。

 それが悪い方向でないことも気づき、ルリエは驚く。

 ああ、兄上が「ルカさんがいたから」という言葉が重い。

 これは俺にとっても「ルカがいたから」にもなるのだ。


「兄上、ありがとうございました」

「この件は、ちゃんと父に伝えるからね。もしかしたら迎えが行くかもしれない」

「わかりました」


 立ち上がり、礼をするとブレイズガルヴも立ち上がり、頭を下げていたルリエを撫でた。突然のことでガバッと起き上がると、くすくす笑う兄がいて顔を赤くする。


「僕の弟も妹も、みぃんな、可愛いなあ」

「……兄上、今、三十歳でしたよね」

「あははは」


 そのまま「お世継ぎは?」と嫌みったらしく言いたかったが、まだ独り身を決め込んでいる、この人に何を言っても無駄だろうと肩を落とした。

 表面上、あの放蕩息子が何か強請ってきたやら文句を言いにきたやら、噂が立つことだろう。

 ブレイズガルヴとは喧嘩別れでも何でも好きな噂が立つように、この部屋で別れ、外で待機していたフェグに帰る旨を伝えると「お見送りします」と城門までついてきた。


「フェグ?」


 小さく名前を呼ぶと、フェグは身を寄せて、


「なにがありましても、ルカ様を信じてあげて下さい」


 そう言ってルリエから離れ、腰を曲げた。

 言葉の真意は分からなかったが母を信じないことはない。

 そばのエルリックとウォレスを見て、ルリエは城をあとにした。

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