第九話 登城

 悶々としながらルリエは朝を迎えた。

 昨日の夜に見た不可思議な現象を、自分の中で消費できない。あの糸はなんなのか、どうしてそうなったのか、母さんは知っていたのか。

 誰か知っている人はいないか。

 はた、とエルリックが屋根裏部屋を見た、という発言を思い出した。ということはルカを見たことがあるはずだ。ならば、善は急げと思いつつ、その日は昼間で営業し

店じまいをしていると、


「ルリエ様、今日、椅子で寝ていたのですが、あのあと何かあったのですか?」


 看板を片付けつつ、ルカはショウウィンドウを拭いていたルリエに話しかけた。

 今日、お互いに少し気もそぞろだったのをルカは分かっていたんだろう。


「お前が眠ってしまったあと、頭部の扉を閉めようとしたら、閉まらなかったんだ。あの状態でベッドに運べないし、水晶玉も何かと呼応しているようだったから、申し訳ないが、あのままにしたんだ。眠ったあと、なにか覚えているか?」

「……いえ、でも元気です!」


 一瞬、俯いたルカは、ぱっと顔を上げて笑ったように見えた。

 怖いのかも知れない。自分がデータのまま「死」かと思えることを迎えたら、人形になっていたなんて。

 ルリエは、自分が死んだら誰かになるのだろうか。前世の記憶を背負いつつ生きるというのは幸福なのか。

 改めて考えていたら、恐ろしいことに思えた。

 知らない場所、知らない人、知らない世界。

 自分自身が持っていた常識が覆りもしかしたら別の名前で呼ばれるかもしれない。

 ルカは驚愕したあと、まるで「異世界あるあるですね!」と予習してきたような、ことを言っていたので、あまり違和感はなかったのだろう。

 いや、それを教えてくれた誰かと別れてしまったのだから、幸福とは言えまい。


「……俺を知らない世界か」


 もうルカから離れられない。孤独の扉から引っ張り出してくれた、あの日に、俺は恋をしたのだと思う。まだ抱きしめるだけ以上のことはできないが、もう少し、何かができれば、とルリエは思っている。

 例えば、一生、そばにいてくれる、とか。


「どうしました? ルリエ様」

「あっ、あ、いや」

「今日は工房に? あと、えっと」

「ルカ?」

「街に、行きますか?」


 ルリエの気分を伺うかのように、ルカは伝える。

 そして、はたとルリエは気がついた。

 一週間、まま、街に降りることはあり、食べものを買う度にルカは、そわそわしていた。それが何故なのか、ようやく合点がいく。


「学校か?」

「はい」


 街に降りたら言いものをルリエが中途半な引き留めをしたせいで、ルカの中では、行ってはならない、かもしれない、と思ったのだろう。

 その「男に会ってほしくない」などと言ってしまった手前、ルリエは「うっ」と、言葉に詰まった。

 生きていく為に様々なことを学びに行く学校。特に下街の学校は「生きる」に必要なことを様々教えている。もちろん文字書きも数学も、学院とは違うが、今のルカには必要なものが揃っている。


「分かった。降りて直接、学校へ行こう。校長は知り合いなんだ。俺の紹介なら、すぐにでも入学できると思う。そのあとは、俺は用事があるから、家には一人で戻ってくれないか」

「かまいません。どちらに行かれるのですか」

「まあ、野暮用だ」


 ルカは、それ以上は追求せず「わかりました」と声を和らげた。


「もう掃除もいいだろ。出かけるぞ」


 ルリエは言うと、急ぎではないが急いで仕度をするとルカを連れて下街に行く。

 相変わらず盛況だ。それにしては外の人間が多いように見える。

 ちらり、と確認してから、件の学校に来るとルカは手を組んで、


「ここが、学校なのですね!」


 AI時代は学校も何もなかったですから、と続けて、木で出来た学校を見、嬉しそうに周りをきょろきょろと見回していた。


 レンガのような重い資材は使わず、木で出来た学校は長方形の真ん中に出入り口があり、二階建てだ。在学期間は成績や家庭内事情でばらばらだが、それぞれが必要なことを学び、卒業していく。教育費は無料で国が運営していた。

 いや、教育機関の大体は国が援助して成り立っている。

 誰が言い出したのやら、国は国民がつくるらしい。そういえば病院もそうだった。

 ルリエは、あの国王が行った政かは知らないが、その理念は理解できる。


「ほら、行くぞ」


 ルカを連れて学校に入ると、すぐ横にある「校長室」に顔を出した。

 校長のシフリカは、すぐにルリエを目でとらえ、隣にいるルカを見て「ああ」と、口にする。一瞬で、物事がわかったらしい。


「ルリエさん、お久しぶりです。そちらの女性がルカさんですね」


 噂に聞き及んでおります、と続けて、


「入学のお話ですか」


 と、分かった風に言うと、机から一枚の紙を出した。

「入学届」と書かれた、それを見てルリエは、やっぱり、こいつも頭のキレる文官だなと思い出し、ルカを伴って座り、出された紙にさらさらと入学者のルカの名前と、保証人であるルリエの名前を書いた。


「もしよろしければ見学をなさっていきますか?」

「よろしいのですか!?」


 シフリカは頷いて、ルカを促し二人一緒に立ち上がる。

 ルリエは「わかったような素振り」のシフリカに何かと告げたかったが、ルカが嬉しそうにしているのを見て、氷が溶ける。


「頼めるか、シフリカ」

「はい」

「ルカ、悪いが、俺は一旦帰る。迎えには来れないが一人で帰れるよな?」

「む、大丈夫です。もう何か意地悪な言い方です」


 はは、と笑い「帰ってくるのが遅くなったら……ごめんな」と言い、シフリカの、顔をもう一度見てから、三人連れだって校長室を出、そこで別れた。


「では、家で待っていますね」


 ルカの明るい声を聞いて、ルリエは息を大きく吸い込む。

 大丈夫だ、と心に言い聞かせ、エルリックの店に顔を出す。


「あら、ルリエくんじゃない」


 髪飾りを作っていた手を止めて、カウンターにいたエリーことエルリックは嬉しそうに笑った。ルリエにとって「国」に属するものは遠ざけていたが、今は嫌悪さえもルカのおかげで受け入れられる。怖くない。


「登城する」


 ルリエの言葉にエリーは手を止めて、奥にいるだろうウォレスに声をかけた。

 二人は、すぐに某かの何かの荷物を持ち、店を閉め、先頭を歩くルリエに付き従い

彼の店に行くと工房を奥で着替え始め、


「入るかしら?」


 とクスクスとエルリックが言っていたが、ルリエは自室のタンスから、少しばかり埃を被った白と金糸で飾られた服と水色のマントを出して背負った。

工房の方に戻れば、赤を基調にした服を着たエルリックとウォレスが居て、ふぅと、ルリエは、また大きく空気を吸い込む。いつもの工房の匂い。


「行くぞ」


 ルリエは変身石を胸元からポケットにしまうと、


「はい、ルートヴィヒ様」


 護衛の二人がそう言いい、裏口をあげて影から出た。

 暗い髪色から綺麗な金髪に変わり、ルリエは前髪を持ち上げて顔を露わにする。

 あの綺麗な碧眼と整った顔立ち、きっと誰もが振り向くであろう容姿は、服にも、負けず、まさしく「王族」の一人だ。

 この俺が「怯える」ことなく城に行く日があるとは、そう思いながら我が城である

浮城マクスウェルに向かって歩いていった。

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