第七話 初商売と芽生えたわがまま
頭の中でぱちぱちという音が聞こえてくる。そう静電気が流れている時の音だ。
それが頭の中で電子信号のように流れてる。
ルカは目を開けた。
いや、ぼやけていた光景が、はっきりして「起きる」を初めて体験している。
「ふしぎ、です」
AIであった頃とは違う。あの時はるりの起床と就寝に合わせてバックデータの整理やらインストールされた小説に漫画を見ていた。
「寝る」なんて初めて体験する。
寝台から降りて、ぼぅとした。
ああ、自分は転生して人形になってルリエやハンナさんたちに会って……。怒濤の二日間に人間なら肩が痛い腰が痛いと言っていたことだろう。
「ルカ、起きてるか」
とんとん、と階段をノックしているのだろうか、ルリエの声が聞こえてルカは立ち上がり、
「起きてます! 今、下に行きますね」
と、言ってから身体を見た。寝間着だ。
「えっと、着替えて行きます!」
「台所にいるからな」
こつ、と去った音が聞こえてルカは、ふうと思う。衣装タンスから昨日、見つけた薄いワイン色の服を出して着る。
他の人に人形だと分からないようにガーターストッキングを身に着けて靴を履く。そして手袋をしてから姿見で、くるりと回る。
転生して二日。人形でも驚異の勢いで場慣れしているとルカは思う。
「……まだ色々と知らないからですかね」
黒髪を手ぐしで梳かして、ルカは階段を降りる。降りきって振り向けば台所がある。
この家は長方形になっているようで、家の奥に入っていけば台所や水場、その手前の廊下に『ルカ』とルリエの部屋があって、途中に屋根裏部屋の階段がある。
そのまま外へ行くまでに工房、店があった。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
朝の挨拶を交わしたが、ルリエは腕を組んで困っているようで、
「どうしたのですか?」
「朝食が、ない」
ちょっとの沈黙のあと、あっとルカは気づいて、
「わたしは大丈夫です!」
「それは知ってる」
「はいっ」
では、ルリエの朝食がないのだ。
「何もないのですか?」
「二日間も泊まったことがなかったからな」
不思議なセリフにルカは頭を傾げた。
まるで住まう場所が、もう一つあるような言いようでルカは疑問には思いつつも、その言葉に対して声をあげなかった。
「昨日のように街に降りますか?」
「それはかまわないが、ルカが一緒だと二人分渡されるだろう」
「はっ、ルリエ様が二人分食べることになってしまいますね」
「そこじゃない。ルカが何も食べないのを不審に思う輩が出てくるだろう?」
確かにそうだ。昨日は口の中が荒れている等で誤魔化したが、それなら、と水を渡されるかも知れない。
水さえも飲めることができないのは不審すぎる。
「お留守番をしていますから、ルリエ様は朝食をとりにいってください」
「……ルカをひとり残したくない」
「そんな」
大丈夫ですよ、と続ける間もなく。
こんこん、と店先から音がした。
「だれだ」
そう言ってルリエは足早に行くと、
「おとどけものー」
と、聞いたことがある声が聞こえた。ミーシャだ。
ルカも気づいて店に行くとミーシャが、にこにこと笑いながらパンや牛乳瓶の入ったバスケットを持ちながらルリエに差し出している。
「あのねえ、エリーちゃんがたべるものあるかわからないから、持っててーて」
「……エルリックのやつ」
エリーに出会ってから、どうもルリエは気合いが入らないようで、ベッドの時もそうだが何もかも見透かされているようだった。
ルカから見れば気の利く素敵な男性なのだが、ルリエから見ると少し違うらしい。
ルリエはミーシャからバスケットを受け取り、ぱたぱたとポケットを叩いたがあるものがないと見て「ルカ」を呼び、バスケットを預けると自室に入って、すぐに戻ってくる。
「ほら、宅配の料金だ」
ちゃり、と音がして、それがお金だと分かるまでルカは「あっ、そうですよね」と口にした。「お金」というものを失念していたのだ。
そういえば、昨日、ルリエが城の前で「税金泥棒」と言っているのを思い出す。
税金があるなら、お金があるのだ。店や貿易があるなら必須の代物だ。
「まいどー。おにいちゃん、おねえちゃん、またねー」
小さな子の「まいど」に笑う。周りの大人が商いをしていれば、自然と言葉が身につくのだろう。ミーシャは手を振って来た道を歩いていった。
「お前の元の世界には金がなかったのか?」
「いいえ、ありますよ。でも手元に持つのは、少し珍しかったです」
お金の代わりにカードがあって、それが貯蓄されているデータと繋がっていて、と説明したところで、ルカは気づいて俯く。
カードやデータでは分からないだろう。
それに気づいて「あの、その」と口にする。
「分からないことだらけは最初からだ。俺だけ食べる姿になるが、台所に行こう」
「はい」
「それでゆっくり教えてくれ」
ルリエは、この二日間で変わった。他者を突き放すことがなくなったように思える。ルカのことを受け入れ、街での出来事も、掃除の時も、ルカが見ていた中で、ルリエは変わったと思った。
ゆったりとした朝食を経て二人は店先に出て初めて看板を立てる作業に笑う。
これから止まっていた時を進める。
「初日、開店です」
ルカは隣にいるルリエに顔を向け、ルリエはルカを見ながら小さく笑った。
隠れていた碧眼がちらりと見えて、これこそ、ルリエはルカに対して警戒を解いてくれた証拠だと、ルカはもう一度思った。
「もう帽子を被らないのですか?」
「……そうだな、いらないな。この変身石もいらないんだが」
「変身?」
疑問を持ったルカに、胸元から小さな丸い石を見せる。
「あーっ! ほら! またお店を始めたって本当だったんだ!」
明るい声が振ってきて、ルリエは石を胸元に隠し、声がした方を見た。
若い女性と少女が二人して、こちらに来るところでルカを背にルリエが前に出る。
「ね、頼もう? ずっと直したかったんでしょう?」
声をあげた女性の方が少女に問いかけ、少女が人形を持っているのが後ろに隠されたルカからも分かった。
少女は人形を抱きしめて俯き加減で、こちらを見る。
「けがしちゃったの、なおる?」
少女は布でできた人形をルリエに差し出しながら、おずおずといった様子で答えを求め、それにルリエは微笑んで、
「ああ、治る。見せてくれ」
「ん」
人形を優しく受け取り、ルリエは少し汚れた顔の部分や取れかけのボタン、破れたスカートを触りながら、
「中に入ってくれ」
と、ドアを開いて、二人を招き入れた。
「初めての客だな」
ルカに小さく言うと、
「あとベールし忘れてるぞ。二人の時はいいが気をつけろ」と優しく促して、はっとルカは、自分の顔を触って三人に続き、店に入り、初めてのお客様の、二人の横を通って自室に戻って昨日買ってもらったフェイスベールをつけ、何事もなかったかのように店に出た。
お客様は不思議に思わなかったらしく。いや、小さいお客様には不思議だったのだろう。ルカの顔を、じーっと見られ、ルカはどうするか悩んでいると、
「たくさん人形があるのねぇ、見てもいい? ほら、ミラ、たくさんあるよ」
お人形好きでしょう? と場をそらしてくれたのでなきに一生を得た。
「どのくらいかかるかしら?」
「そんなに時間はかかりませんよ、座って待っていて下さい。ルカ、お茶を淹れてきてくれ」
「は、はいっ」
まるで百戦錬磨。昨日のルリエとは全く違う。
どきまぎしながら台所に行き、カップなどの場所を聞きそびれたと気づいたが、そんなに大きい台所じゃない。少し探せば茶器は見つかり「心」を落ち着けながら肩をゆらし、紅茶らしきものが出来上がると、店の中にあるテーブルに置いた。
「私、アメフィ。こっちは妹のミラ。ルカ、ちゃんでいいかしら? よろしくね」
「ええ、はい、はい! よろしくお願いします」
「おばさんたちが、ここのこと、昨日喋っているの聞いて来たの。本当に開店しててびっくりしちゃった。私が小さい頃に閉店しちゃったって聞いてたから」
「今日からですから、アメフィ様たちが最初のお客様ですよ」
「あら、なんかお得。そういえば直しの料金っていくらかしら? これで足りる?」
アメフィが差し出した手のひらには、銀らしき小さい延べ棒が数枚あって、ルカは固まった。
お金の単位も値段も知らない。
「ゔぇっ!?」
「どうかした?」
ミラもこちらを見ながら首を傾げている。
「すみません、ルカは一昨日こっちの国に来たので」
「あら、そうなの?」
「人形を見ましたが、汚れと洋服直し、あと初回のお客様ということで、新しいお洋服もおつけしますよ。ちょうど十フランです」
工房から出て来たルリエが人形に合うだろう小さな服を持ちながら店にやってきてルカをかばってくれた。人間なら冷や汗をかくところだ。
備え付けの机に人形の洋服を並べているルリエの手元を、ミラは目をきらきらさせながら見ている。
それにアメフィは嬉しそうにしながら紅茶を飲んでいた。
「これがいいっ」
ミラが選んだのは桃色のドレスで「着せてく?」と言ったルリエに、ちょっと困った顔をしながら「いまのお洋服でだいじょうぶ」と言う。
そして他の洋服を片付けて、一旦、工房に戻り、道具を何個か持ってルリエは戻ってきた。
数あるボタンや糸、化粧道具らしきものもある。
珍しいものにミラは嬉しそうで、ぴょんっと一回跳ねてルリエを見た。
「ボタンは新しいのにするか?」
「うんとね、やっぱり今のがいい」
そういえばルリエは手早く人形の服に、元のボタンをつける。
顔も軽く拭いてから、
「お化粧もできるぞ」
こちらでいうチークだろうか、桃色の粉を見せながら刷毛につけ、自分の手につけてからミラに見せる。
「これはつける!」
「わかった」
優しく頬につけられた桃色は、人形の血色をよくし、汚れていたとは思えない物になっていく。
服の汚れも濡れた布と何かの液体をつけて落とし髪も整えてやり、ミラから預かった時より綺麗になった。
「わあぁっ」
「ひゃー、本職はすごいわぁ」
「はい、素敵です!」
ミラの声と女性陣の声が重なり、ルリエは、ふっと笑う。
「ルカ、あっちの棚に小さな袋があるから取ってきてくれ」
「はいっ」
とても自然な笑みに、ルカは自分のことのように嬉しくなる。
急いで取りに行き、白の口を紐で通した高級そうな袋を持ち、ルリエに渡す。
「抱いてくか?」
「うんっ」
「じゃあ、新しい洋服は袋に入れておく」
「うんっ」
心の底から嬉しそうな声が店の中で響く。手提げ袋の中に選んだ服を入れてミラに渡すと、アメフィから代金をもらって、
「ありがとうございました」
と口にして店を後にする二人を見送った。
ミラは何度も「ありがとう」と言って、アメフィは「お店の宣伝しとくー!」と、言い、手を軽く振って、また二人は手を繋いで街に降りていく。
「……ふー、ルカ、その、自然、だったか? 俺」
「え?」
「初めて客商売した」
「……ふふ、カンペキです!」
本当か? とルリエは笑った。
店の中に戻りながら肩を寄せ合って、ルカは「完璧です」ともう一度言う。
それで現実に足がついたのか「緊張した」とへなへな椅子に座って、ミラたちに見せていた道具を片付けつつ、
「道具も母さんが、いつも手入れしていたから、まったく色褪せてない。でも、このまま商売するなら新しい物も仕入れないとな」
「はい、ルリエの人形は売らないのですか?」
「……明日までには並べる。今あるのは母さんの作品ばっかで売るのもなんだかな」
「はい」
残った茶器を片付けながら、はたとルカは気づいてルリエと顔を合わせた。
「ルリエ様、わたし、文字の読み書きやお金が、まったく分からないのです。それでご相談なのですが、昨日ハンナさんが街の学校に通ってみないかって言ってくれたんです。通ってみたいのですが、どうでしょうか」
「街の?」
ルリエがぴくりとして、見つめ返す。
「街の学校というのがあるならば、もしかして別の学校があるのでしょうか!?」
天啓かと言うようにルカは言うと、ルリエをしっかり見て返事を待つ。
「……別に、まあ、通ってもいいんじゃないか」
「本当ですか!?」
「あと別の学校ならある。王族やら貴族やらのお高くとまった、学院、がな」
「やっぱり! 異世界あるあるですね!」
今度はルカがぴょんぴょん跳ねながら喜んでいるが、ルリエの顔は少しばかり、不機嫌になって、喜ぶルカを見ている。
それに気づいてルカは首を傾げた。
「通うのは、いい。あそこは働いている子どもが多いから、昼あとの時間からだし、それなら店番が終わってからいけばいい、し。街人たちと交流、も、お前にはいいだろうし」
「ルリエ様?」
「……仲良くするなとは言わないが」
ルリエは自分の前に立つルカを引き寄せて、腹に顔を埋める。
もごもごと何かを言っているみたいだが、ルカには聞こえず、なんとなくルカは、ルリエの頭を撫でた。
「あんまり、そうだなっ、男とは、男とは仲良くならないで、ほしい」
「なぜです? 学校ですから男性ではなく子どもたちですよ?」
「教師とか、他の商売をやっているやつとかの目に入るだろう、ルカが」
ふいっと顔を赤くしてルリエは、そっぽを向くと、またぽそぽそと何かを口にしているようで、ルカは首を傾げながら「わかりました?」と疑問のまま答える。
「ぜん、ぜんぶ、とは……うぅ……ルカは俺のだから、わかる、よな?」
「はい、私はルリエ様のものですから! はっ、これは他の男に気をやるなよって、言うやつでしょうか!」
「あぁぁ」
またルリエはルカを抱きしめながら、耳を赤くして呻く。
そしてまたルカはルリエの頭を撫でながら「わかりました!」と、今度ははっきりした声で答えた。
「明日、ハンナのところに行く、か」
「はい、釘を刺すというやつですね!」
「釘?」
ルリエは上目遣いでルカを見やるが、本人は気合いを入れている。
どうも言えない気持ちを腹の底から「うぅ」と口にして、抱きしめる腕を強くした。
と、同時に、
「あのぅ、お店やってるって聞いたんですが」
おずおずと男性が顔を出して、ルリエはがばりとルカから離れ、同時に客も男だったら意味がないじゃないか! と思うのであった。
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