第六話『ルカ』

 店の出入り口にある木の板を外したのはルリエだった。

 そのまま外に出てショウウィンドウの目隠しの壁もはがし、ぼんやりと書かれた文字に目を向けて伏せる。まるで黙祷のようだとルカは思う。


「ほら! 店先の看板出し終わったら中を手伝いな! こんなに埃をためて……しょうがないねえ。みんな、こんだけいるんだから一日で終わらすよ!」


 ハンナの声に十人ほどの女性が声をあげた。

 その中のルカは、こんな大所帯になるとは思わず、驚きつつも、本当にルリエの、母親であるルカは愛されていたのだと分かる。


「ルカ、あんたの部屋教えてくれないか、そこに三人ぐらいで片付けて……ルリエ!

工房は三人ぐらいで片付けるから触ってほしくないところをいいな! あと自分の部屋は自分で片付けて、あとの四人は店ん中の埃やら人形を整えるよ! 焼けちまうが

人形は店先に置くからね!」


 矢継ぎ早にハンナは女性たちに指示をすると、それぞれがそれぞれの場所に散って

いく。その手腕に置いてきぼりになりつつ、はっ、と気づいてルカは待ってくれている三人の女性に頭を下げて「わたしの部屋はこちらです」と案内をした。


「こんなところにいたの? 病気になっちゃうわよ」


 ルカに連れられた女性の一人が言うと、そそくさと部屋に入り窓を開けて、座って

いた椅子を片付け、絨毯を外に出す。

 はたけば、バンッと大量の埃が舞う。

 他の二人は布で顔を覆って、箒で天井の埃をはらっていた。

 ぱらぱらと落ちてくる埃に二人はマスクをしつつ顔をしかめているようで「まったく掃除しないから」と埃を地面に落としていた。

 そういえば、掃除はこんな感じで上から埃をはらって下に落ちたら、箒ではらい、

集めてから、水拭きをする。


「えっと……う、動かせるも、動かしますね!」


 絨毯があった場所に姿見や机に椅子に、ルカにできることをやっていると、一人の

女性が「口の中が病気だって言ってたけど大丈夫なの? 可愛い顔しているのにもったいない」とルカに問いかける。


「伝染病でないのですが、あまりお見せできる唇でもなくて。むしろ気味が悪いと

言いますか……治るには少しかかりそうです」


 治るも何もないのだが、嘘をついてしまったルカは居心地の悪さを、部屋を片付けることで方向転換した。

 そういえばと衣装タンスに近づく。

 さすがにこれは持ち上げられない。

 椅子を持ってきて乗ると天辺の埃をはらっていく。そういえば、この衣装タンスからルカの服は出てきた。

 なら、このタンスはルカの服がはいっているのだろうか。

 はくのが終わったところで、ルカはタンスの扉を開いて中身を見た。

 そこには色とりどりの服と装飾品が詰められ、

「これってルカさんが作った服じゃない?」

 うしろから一人の女性が顔を出して、嬉しそうな声で言う。

 ルカは彼女に黙って同意した。ルリエが服を寄越した時、サイズも何も言わなかった。それは母のルカが人形に合わせて作っていたのを知っていたからだ。

「虫に食われてたりしない? 一回出して確かめないと」

 別の女性が顔を出して言う。

「いいなー、私もルカさんに洋服作ってもらいたかった! ルカちゃんは元々ルカさんの知り合いだったの?」

「えっと」

 少し困っていると、絨毯を干していた女性が、

「そういうのあとあと、今日で掃除終わらせるんだから。服はいったんだして、食われてないか確認して。あと装飾品も。中の掃除が終わったら元に戻して」

 テキパキと指示が飛び、ルカのうしろにいた二人は「はーい」と口にして、元の、

場所に戻ると、今度は水拭きで上から下まで綺麗にしていく。

 そしてルカは気づいた。ベッドがない。さーっとどこにもない血の気がひいていき


「す、すみません。少しルリエ様のところに行ってきますので!」


 と三人に声をかけて部屋を出た。

 ルリエは自室のはずだ。昨日、知った部屋のドアは開かれ、中からゴホゴホと咳き込む声が聞こえる。


「ルリエ様!」

「どうした、ルカ」

「わたしの部屋、ベッドがありませんっ」

「あっ」


 ルリエも気づいて血の気が引いたようだった。


「そこをわたしの部屋と言ってしまいました……」

「せめて母さんの部屋で寝たって言えばよかった! いや、まだ間に合うか?」


 もし母の部屋からベッドを持ち出そうとしても屋根裏部屋の出入り口の幅を考えると入らない。

 どうしようと二人で顔を見合わせていると「こんにちはー!」と先刻知った声が聞こえて、もう一度、二人して顔を合わせてからルリエの部屋から廊下に出て、すぐの

工房から店の入り口を見るとエリーがいた。


「我慢できなくて早く来ちゃった。いいもの持ってきたのよー! ね」

「ああ」


 エリーとその後ろにいる男性は、どしりとした体格の男性で、ルカの中で冒険者や

傭兵のイメージが通り過ぎる。

 各々の手には飾り木だろうか、それが数点と、ふんわりとしている白の厚みがある

布を持っていた。

 すぐにルリエは、合点がいったようで二人を招き入れるとルカの部屋になる予定の

屋根裏部屋に招き入れる。

 同時に、


「ルカちゃんー、ベッドどうしたの?」と声がした。


 危機一髪。ルリエはそういう気持ちの中、ルリエの部屋を掃除していた女性が、あらと声をあげて、エリーとその夫であるウォレスを見つけて笑みを浮かべる。


「どうしたの? お店は?」

「本当は都合がつく日に来ようと思ったんだけど、気になっちゃって、掃除しているところにごめんなさいね。前にルリエくんが屋根裏部屋のベッドが壊れたって聞いていたのを思い出して」


 新しいベッド持ってきたの、とエリーは後ろにいるウォレスを見る。

 

「もう掃除、終わりそうね。ウォレス、ベッド組み立てちゃいましょ」

「その前に部屋の整理をしたらどうだ」


 ずっと黙っていたウォレスが部屋を見渡して言う。

 確かに天井窓の下は椅子だけで、それ以外の調度品は奥にやられている。

 掃除をしていた三人も、ちょっとおかしい構造に気づかなかったみたいで、本当ねと口にした。

 ルカは、


「重い物も多いですし、ベッドは天井窓のところでも」

「そしたら眩しいじゃない。丁度いい力持ちがいるし、片付けましょう?」


 魅惑な誘いにルカとルリエは口を結ぶ。今の部屋に片付け以上、突っ込まれなくて

よかったと安心すべきところだ。


「あらよかった。もう絨毯しまおうと思ってたのよ。この上に机置けばいいじゃない

そしたら奥があくわ」


 言い出したら止まらず、絨毯の彼女は机と椅子を天井窓の下に移動し、ウォレスは

衣装タンスを外側の壁に移動させ、その隣に姿見を。

 ちゃんと見ていなかったが床に置かれていた行李を壁際に寄せて、そこにベッドを

作り始めた。

 ぽかん、と二人で見ていると、


「ルリエ! 自分の部屋の掃除終わったのかい! ならルカさんの部屋片付けな!」


 ハンナの声が聞こえて、ルリエは「うっ」と声を詰まらせた。


「やだ。そこも掃除してないの?」


とエリーは言う。


「ウォレス、ベッドお願いできる? 私、ルカさんの部屋を掃除してくるわ。ほら、

ルリエくんも行くわよ」


 次々に変わる場面にルリエもルカもついていけなかったが、大人たちの手腕は素早く、瞬く間に綺麗になっていく。


「これでよし、と。あとはベッドだけなのね。だったら私たちどうしましょ」

「ルカちゃんの部屋、終わったし……。私たち、ハンナさんに聞いてくるわ」


 掃除の終わった三人が部屋を出て行き、部屋にはルリエとルカとエリー、そして、

黙々とベッドを組み立てるウォレスがいた。


「エルリック、知ってたのか」

「前に屋根裏部屋に来たことがあったの」

「そうか、ルカ、母さんの部屋の掃除を手伝ってくれ」

「は、はい、もちろん」


 ルカは二人の関係を知らないが、気の置けない仲なのは分かる。


「ベッドはすぐ終わる。終わったら下に降りてハンナの手伝いするからオレのことは

気にせず、三人で掃除してこい」


 重たいものの作業もあるだろうしな、とウォレスは言って、また黙々とベッドを、

作り始めた。これなら、すぐに終わりそうだ。と三人は顔を合わせて、ルカの部屋へ

向かい、その重い扉を開いた。

 埃が積もっているだろうな、と思っていた部屋は、予想外に、何故か綺麗だった。

確かに靴の跡はつくが、綺麗だなという印象が近い。まだ生きているようで、ルカとルリエ、エリーも黙ってしまう。


「……すまない、ここはまた今度にしてくれ」


 ルリエの絞り出す声に、ルカもエリーも何も言わず、開けた扉を静かに閉めた。


「下、行きましょ。色々と整理しなきゃ」


 それと同時にウォレスが降りてきて「いいのか」と一部始終を見ていたらしい。

 首を振ったルリエに「そうか」と言って、四人で工房へと向かうと、流石に十人いる場所だ。あふれかえっていたが、それ以上に掃除するところが多い。


「よかった、ルリエ。工房の指示して頂戴。店の方は、人形や細かいものを並べてるから、工房が終わったら人形たちを綺麗にして」


 ハンナは忙しく手を動かしながら言うと、ふうと息を吐いた。


「長いこと閉まってたのに……綺麗って思っちゃった。来たのが昨日のことのようよ。ルカは人形たちを外に出すのを手伝ってくれる? やっぱり、人形店だから多いわ」

「はい!」


 ルリエは工房へ。エリーとウォレスも続き、ルカはひとりとハンナの手伝いをし始めた。人形は棚に綺麗に並べられ、小さなドールハウスもある。

 言うならば人形たちに必要な物は、すべてここで揃えられた。

 本当に作るのが好きなのが分かる。

 心を込めて作られた小さな子たちをルカは外のウィンドウ前に敷かれている布の上に並べていく。

 たまに頭を撫でながら、愛でていると、いつのまにやらハンナが隣にいた。


「……ハンナ様」

「様なんてやめておくれよ。はぁ、圧巻だよ。ルカが死んだ時ね、まさか、て思ったんだ。あのルカが、てね。あまりにも信じられなくて、明日には街に顔を出してくれるんじゃないかって思うほど。でもルリエが街に来なくなって、ああ、ルカは本当に死んじまったんだって」

「ルリエ様が?」


 そこでハンナは黙ると、少し目に水を溜めていた。愛されるということは、死したら心に傷をつけてしまい、偲ばれるものなのだろう。

 ルカの質問には答えず、ハンナは息を大きく吸い上げて目の前のウィンドウを見る。


「これ、なんて書いてあるか分かるかい?」


 言われてルカは目の前の文字を見た。なんて書いてあるかわからない。


「なんと書いてあるのですか」

「そっか、あんたは外から来たんだもんね」


 正直に聞くとハンナは、困ったような笑みを浮かべて、


「『ドールハウス・ルカ』異国の言葉で人形はドールって言うんだとさ。ハウスは、

家って意味」


 ルカの世界で見るような英語の筆記体に似ていた。

 そういえば聞き取りはできるが書き取りはできていないと今さらルカは気づいた。

異世界あるあるですね、と思いつつ、先ほどルリエに感じたもの悲しい気持ちと同じことに気づく。

 もうこの世にいない人の名前、笑顔や人柄、その等身大が、今も人々の眼に焼き付いて離れない。

『ルカ』という人は、愛し愛された人だった。

 同じ名前の自分とはかけ離れた最愛の人。

 ちり、と「るり」を思い出す。


「こうやって掃除していると、本当にドールハウスっていうのが似合うもんだ。そういやルカは文字書きの方はどうなんだい?」

「分からないです。会話は大丈夫なのですが」

「だったら、街の学校でも行ってみるかい?」

「学校?」


 返事をしたところで、出入り口から女性が顔を出す。

 もう終わりましたよ、とのことで、このあとどうするかとの聞いてきた。


「やっぱ、人数があるとすぐに終わるね。夕方前に終わっちまった」

「ふふ、わたしもびっくりました」

「話をしたら、みんながみんな手伝いたいってさ」


 ルカはベールの中で作れない笑みを作る。


「じゃあ、中に戻ろうかね。どうせ礼の準備なんてしてないだろうし、ルリエには別に働いてもらうか」


 はっはっ、と笑いながらハンナは店の中に戻っていく。それに続いてルカも戻ると

女性たちとエリー、ウォレス、ルリエがいた。


「よし、掃除は終わりだ。外の人形たちはルリエが片付けな。今日から、あんたが、

店主なんだから」

「は!?」


 突然の宣言にルリエは目を見開く。

 そして全員が、そう思っていたようで「よかったね」「うれしいわ」と口々に言い

ルリエは逃げ場を失っていた。


「ちゃんと背を伸ばしな」


 ハンナはルリエの背を叩くと、なんとも言えない顔をしながら、


「ここは、あんたの家なんだよ? 仕事もちゃんとしな。できるね? もうルカもいるんだ。稼がないといけないだろ。それにあんたの人形。あれも売るんだよ」


 時間と商売は待ってくれないんだから、とハンナはいい。ルリエの顔を覗き込む。

 ちらりと碧眼が見える。ルリエは息を吐いた。吐いて吸う。


「わかった」


 その一声に女性たちが喜んだ。

「装飾品も売ってね」やら「修理もできるの?」と口々にルリエに迫り、エリーが、


「やだ、商売敵ができちゃったわ」と笑う。

 よい方向に進んでいる。ルカはそう思った。

 孤独を感じていたルリエは一歩踏み出せたはず。


「よかったですね」


 と、ルカは言うと、ルリエは恥ずかしそうに顔を少しだけそらして、

「ああ」とそっけなく答えた。

そのあとは、あっという間で、掃除を終えたハンナと女性たちは帰っていったし、エリーたちもそれに続いて帰っていった。

あとは外にある人形たちを回収し、机に並べながら時間をかけて綺麗にしていこうと

ルリエはルカに言う。

 その日は二人して、夜まで作業をした。

 髪を梳かし、服を脱がして洗い、頬などにある汚れをとったり。数は多くも丁寧に

仕事をすれば人形たちは、それに答えるように綺麗になっていく。


 それをショウウィンドウや店内に置き、ドールハウスや装飾品も並べ、もう開店をしてもおかしくないほどに輝いて見えた。

 二人して笑い合うとルリエはあくびをして「寝るか」と口にしてから、


「ああ、必要な着替えは衣装タンスに入ってるから、それを使ってくれ」


 言い忘れていたな、と口にしてから「おやすみ」と言う。

「はい、分かりました。おやすみなさい」


 受け答えをしながら廊下を歩き、その途中にあるルリエの部屋に本人は帰ってく。

 それを見送った後、ルカは階段を上がって屋根裏部屋に入り、綺麗に整えられた、

ベッドを見、衣装タンスから寝間着を取り出して着替えるとベッドに入り込んだ。


 明日から、店が始まると思うと心が躍る。

 そうだ、学校のこともルリエに聞かなければ、と色々と思っているうちに、ルカの

意識は、ゆっくりと沈んでいった。

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