第五話 楽しみね
結局のところ、ルリエはパンを食べたし、ルカは隣に座るミーシャと喋っていた。
がやがやと家から買い物客が出てくる。また別の国から来たのだろうか、異国の衣装を纏った人々も増えていく。
ほんの数時間で街は活気が満ち満ちてルカが見たかった姿になった。
「ミーシャさん、この国には特産品などがあるのでしょうか?」
「んー、みんな、きれいだし、おいしいよ」
「たくさんの見所があるのですね」
「うん!」
ミーシャはルカと話すのが好きなのか、初めての見る人と喋るのがいいのか、ずっとにこにことして「えへへ」とルカの腕にひっついた。
「……ミーシャ、服をそんなに引っ張るな」
「うんむ? おにいちゃんもくっつきたいの? もうくっついてるのに?」
食べ終わったパンの袋を綺麗に畳みながら、ルリエは眉根を顰める。
「そうじゃない。服にシワがよる」
納得したのか、そうでないのか、ミーシャはルカの腕から手を離す。
不思議そうな顔をしていたが、
「おにいちゃんとおねえちゃんは、なかよしさんだから、ぼくにやきもちやいたの?」
「ぅんむ!?」
ルリエから聞いたこともない声が聞こえて、ルカは見開かない目を見開いた。
誰かと誰かのやきもちというなど小説や漫画ぐらいでしか聞いたことがない。
ミーシャの歳は、見た限り六歳か、その上か。少し言葉が拙いところがあるので、小さい子ども、であることは分かる。
「……そうですね、なかよしさん……素敵ですね」
ルカはルリエを見ながら言うが、自分は人形だ。
ミーシャの言う「なかよしさん」とは、ちょっと違う。ちゃんと分かっている。
自分はルリエの母が遺した人形で、その持ち主がルリエで、名前はルカ。
異世界から意識だけ、いいや、データだけ送られてきたと思われる。この世界の異物に近い。異世界転生した主人公たちは、それぞれ王に謁見したり、スローライフを満喫したり、スキルや特技を使ってレベルアップして……。
ルカにできることはないに等しかった。
肩書きがない故に何とでも言えるが、ないからこそルカは自分自身に違和感を感じてしまう。
「……ミーシャ! どこにいるの!」
遠くから隣にいる可愛い子の名前が聞こえてきて、当のミーシャが自然に「おかあさんだ」と口にして、椅子から降りる。
「じゃあねえ、おにいちゃん、おねえちゃん」
数歩進んで手を振るミーシャへ、同じく振り返すと、風のようにミーシャは母親の元に行ってしまった。
残ったのはルリエとルカだけで、会話はなく、自然に聞こえる音たちに耳を貸していると、今度はどこかの主人か、少々身なりのいい背の高い男性が、こちらにやって来る。
「やっぱり、ハンナさんが言った通りだったのね。ルリエくんが街に降りてくるなんて珍しいわ」
その声に、またルリエは固まったのを見て、ルカは背に隠すように自分が答える。
「初めまして、わたしはルカと言います。異国からやってまいりまして、ルリエ様に城や街の案内をしてもらっていたのです」
「異国?」
「はい」
男性は、少し首を傾げながらルカを上から下まで見たが。すぐに笑みを浮かべて、ルリエに向かって声をかけた。
「そう。私は服飾店をやっているエリー。ルリエが赤ちゃんのころからの付き合いなの。だから、街に降りてきてるって聞いてびっくりして店を旦那に任せてきちゃった」
「みなさま、ルリエ様のことを気にかけていらっしゃるんですね。素敵です」
ふふ、とエリーは笑って目をそらしているルリエを見ている。
「ハンナさんが、何か張り切ってたのはルリエくん関連かしら」
「お昼が終わったら、お店の掃除をしてくださる、と」
「まあ……掃除してないの?」
「工房と俺の部屋が使えるならいいだろ」
ハンナと会話していた時より砕けた口調のルリエに、ルカは少しばかり目を見開いた。
赤ちゃんのころからの付き合い、というのは、こういう砕けた関係になるらしい。
調子が戻ってきたルリエに、ルカは、ほっと胸をなで下ろした。
「つまり、ルカちゃんの部屋は掃除してないのね」
「最低限のことができてればいい」
「もう、そういうことじゃないのよ?」
エリーはハンナとは逆にお説教より現状把握をしているかのようで、ルリエの今を
聞きたいみたいだった。
それは親より、うん、近所の仲のいい人みたいだ、とルカは観察する。
みんな、ルリエを心配しているのが分かった。
「……あのお店は閉店しているとルリエ様から聞いていますが、みなさま、亡くなったお母様のお知り合いなのですか? お店のことを気にかけてくださいますし、もちろん、ルリエ様のことも気にしてくださって……わたしは嬉しいです」
「うれしい!?」
声をあげたのは隣のルリエだった。
まるで意外だと言わんばかりの、声の張りようで、ルカはびくりと身体を揺らす。
「ふふっ」
大きな声で返してきたルリエの返事にエリーは笑った。
こちらは意外だとは思っていないようで「そうね」と口にする。
「街のみんなは……ルカさんに恩義があるのよ」
「ル、カ、さん?」
「エルリック!」
今度は咎めるような声だった。
ルカはルリエの顔を見ると、ルリエはばつの悪そうな顔をして、ルカからの視線をそらす。触れてはいけないところなのは分かった。
「どういうことでしょう」と口にできなくてルカは見上げてエリーを見る。
「あなたと同じ名前なのよ、ルカ。この街でお世話になった人はごまんといるの。喧嘩も相談も土地とか食事も病気も、なんでもできる人だったわ。でも何より、人形作りが、とても上手で、一時期は大人気の店だったのよ」
私には服作りや装飾品の作り方も教えてくれたわ、とエリーは返す。
ルリエは何も言わなかった。言わない代わりに立ち上がるとルカの手をとって立ち上がり、エリーの声を無視するかのように歩き出した。
「私も時間をつくってお店に行くわね!」
ルリエの背に声をかぶせ、ルカはエリーに対して頭を下げる。
それにエリーは笑みを深くして手を振ってくれた。
こつこつと街を歩いて行く、足早く逃げるように歩くルリエに、ルカは何と言っていいか分からない。
謝ればいいのか、何か元気づけるような声をかけれるか。
引っ張られるままにルカは店の前まで来てしまった。裏口に回り、ルリエは懐から
銀色の鍵を取り出すと、態度とは反対に大切そうに扉を開ける。
ふわりと埃が舞った。
「そうだ、俺の母親の名前はルカだ」
欲しい答えのはずなのに哀愁が漂う真実と切なげな声にルカは俯く。
触れてはいけない部分だとしても、街の人たちは当たり前のように口にしていた。
きっとルリエのことを、本当に心配しているのだ。
しかし、新参者のルカは、同じ名前の人形のルカは何も言えない。
偶然ですね、も嫌みに聞こえるだろう。
今までルリエは、どんな気持ちだったのだろうか。母親と同じ名前の、よく分からないモノが現れて、しかも遺作の人形に宿り、喋る。
「……エルリックの言った通りだ」
ルリエは帽子を脱いで振り返り、ルカを見た。
「何でもできる人で、色んな事に首を突っ込んで、愛されて、流行病で死んだ」
前髪から除く碧眼が水に濡れていることが分かってルカは「こちらも泣きそう」に
なった。
だから、ルカはルリエに駆け寄って、その身体を抱きしめた。
埃が舞って動く。
「ルリエ様」
「なんで動いたんだ。いまさら動いたんだ。どうして俺は危険をおかしてまで城に連れて行ったりして街にまで降りて、俺は、お前に何をしてほしかったんだっ」
「分かりません、でも、今、わたしはルリエ様を抱きしめたいと思いました」
青年は人形を抱きしめた。
母は「いつか動くのよ、楽しみね」と人形を月明かりの下にある椅子に座らせて、
何十年と楽しみとしていたのに、気づいたら母は死んでいて、周りに馴染めず青年は
独りになり、母の真似で人形や服を作り、小さな家なども作ってみた。
しかし、どれだけ作り上げても、あの優しく「ルリエ」と呼んでくれる声が戻ることはなかった。
人形は冷たい。でも、言葉は暖かく思えた。
ルカは、ルリエの肩に顔を埋め、小さい子を慰めるかのように暖かいはずの背を撫でる。何回も何回も撫でて、泣き止むのを待つ。
人形は、目を瞬くこともない、口も笑みの形のままで動くことはない。
しかし頭の中にある水晶は言っている。ルリエを独りにはできない、と。
一人と一体は、表のドアが叩かれるまで、ここにある全てに見られながら、そのまま眠るかのように静かに抱きしめ合っていた。
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