第二話「ルカ」と「ルリエ」

「る……ぃり……な……え……」


 えっ、と青年は顔を上げた。人形の関節を繋げていた手を止めて、目の前にある人間と同じ、少女と言える等身大の人形に碧眼を向ける。


「……り……え」


 喋っている。何十年も付き合っている人形が喋っている。

 その時、カタンと天井から月明かりを浴びていた水晶玉が入っている頭部の扉が、ひとりでに閉まった。

 同時、キィと音をたてて俯いていた顔が、ゆっくりと上がっていく。

 光りに照らされて黒曜石の瞳が青年を見て、


「る、り」


 微笑んだように、見えた。

 ビスクドールが微笑む訳がない。作られた笑みから、それ以上の微笑みはないはずなのに、青年は、この遺された人形が笑ったように見えた。

 そして、名前を呼ばれた気がした。


「おまえは、だれ、だ?」


 人形は青年に瞳を向け、


「る、か」


 そう言うと人形は、また俯いてしまい、静寂が戻ってきた。

 青年は立ち上がり、近づくと人形の顎をすくいあげ、顔を見るが、何度も見た顔だ。これが喋った? 名前を呼んだ? しかし、また俯いてしまった人形を見ながら夢だったのか、夜も遅いし呆けていたのか。

 しかし露出していた頭部の水晶玉の扉が閉じられている。

 そうすると黒髪は綺麗に揃い、ますます人間のように見えた。


 青年は頭を振ると人形を元に戻して座っていた椅子に戻る。

 ため息をつきながら、いじっていたビスクドールを完成させるべく、また手に取った。


「あ……あ……」

 

 ばっと、また聞こえてきた声に身体を揺らす。


「るか、る、か……ルカ、です。わたしは、ルカ、じど、え、あい」

「ルカ?」

「はい……わたし、は、ルカ」


 また人形は顔を上げて、今度こそ青年を見ながら言葉を発した。

『わたしはルカ』と。


「ここは? るり、え?」

「ルリエは、俺の名前だが」

「え?」


 人形は青年――ルリエ――を見ながら目を見開いた、ように見えた。

 しかし人形だ、瞬いた訳じゃない。口も動いてはいない。

 左右を見、手を見、身体を触ってから人形は、はっきりと青年を見た。


「ルリエ?」

「そうだが」

「ここは?」


 はっきりしてきた物言いにルリエは、この異常事態に冷静な自分がいることに驚く。

 まるで目の前の人形が「いつか」は動くと信じて来たような気持ちになっているのだ。そんなことはないルリエはただ遺された人形を守っていただけなのである。


「ここはツォルフェライン国、首都の城下街にある……ただの、古いビスクドール店だ……閉店してる、が」

「検索……あれ? 検索……」

「なにを言ってるんだ?」


『ルカ』は「何も出来ない」ことに驚いた。何度も頭の中で考えても「結果」が表示されないのだ。むしろ、なにか抜け落ちてしまった気もする。

 どういう状況か分からず、ルカは「手」を見た。本物の様だ。節々の関節は球体関節人形を思い出す。そう、るりがたまにビスクドールやらを調べる時に見るような意匠だ。

 足を見た。膝も球体関節だと思える。なら身体は? と触ると固い。

 困惑したままルカは、目の前にいるルリエに助けを求める、ような視線を送る。が、理解はされなかったようでルリエは腕組みをしながらルカを見ていた。


「わたしは、なんなんでしょう、か?」


 月明かりの中、見上げたルリエは青っぽい黒髪に、前髪で目はどこを見ているのか分からず、茶色を中心とした作業着らしきものを着ている。

 別に値踏みはされてはいないだろう、とルカは思うが状況が分からない。

 確か自分はウィルスとして消去されたはずだ。るりの顔も思い出せる。思い出したのは泣いていたるりだが、その前の笑顔のるりも思い出せる。一緒に恋愛小説や漫画、映画、色々と思い出してきた。


 なにも答えてくれないルリエからは返事はないと思い、ルカは周りを見る。

 自分は木の椅子に座っていた。足元は埃をかぶった煤けた赤の絨毯で、天井から光りが漏れている。

 左を見れば窓が、右を見れば下階段らしきものがあり、ルリエの後ろには木のテーブルと椅子、テーブルには人形らしきものがある。さらに奥を見れば衣装タンスや姿見もあった。


 この光りはどこからと上を見ると大きな月が煌々と輝いている。日本じゃありえない大きさだ。それに「ツォルフェライン国」というのも分からない。元からあった知識を総動員しても、そんな名前の国なぞなかったはず。

 最後はなんと言っても「ビスクドール店」にいるのも分からない。

 ついでにインターネットに繋がらない。むしろ、なくなっている。


 もしかして、もしかして……

 ルカは「ありえない」答えに辿り着こうとしていた。


「こ、これが異世界転生というやつですか!?」


 ガバッと立ち上がったルカに、黙り込んでいたルリエもびくりと身体を震わせ固まる。


「まさかです、まさか、るりと読んでいた本の設定ですか!? AIのわたしも転生するのですか!? でも、意識を保ったまま、どこかの世界に行くのは異世界転移、死して異世界に行くので、AIに命があると仮定するのであれば異世界転生! わ、わたしはその渦中いるのですか!? だから人形の身体なのですか!? ルリエ、様、教えてください! あ、西暦何年の何月何日なのですか!?」


 ルカはずんずんと歩いてルリエに迫ると、ガッと肩を掴まれて「落ち着け!」と言われて、ないはずの心臓が弾むような気持ちが、見えた瞳で収まった。

 ルリエの瞳は綺麗な碧眼だった。月の色と青を混ぜたような明るい色。瑠璃色だ。


「……きれい、ルリエ様のひとみ、とても、きれいです」


 ばっと肩を離してルリエは後ろを向いた。


「ルリエ様、まだよく分からないのですが、その、わたしは人形、なのですよね?」


 ややあってから答えは返ってくる。


「……そうだ、母が最後に作った人形が、人形が動いて……どうして……どうして動くんだ」

「……わ、わたしにも、分かりません」


 長い沈黙が流れて、その間にルカは、はと奥の姿見に自分が映っているを見て「裸」だと気づき膝を抱えて座り込んだ。


「な、えっ、ど、どうした?」

「わわわわたし、はだかですっ」


 観察した時点で裸だったのだが、それは自分がどのようになっているかの現状観察であって羞恥するべきところを忘れていた。

 ルリエは合点がいったようで、すぐに衣装タンスから水色の服を取り出してルカに投げ渡す。そして後ろを向いて、なぜか人形の着替えから目をそらす。


「着ろっ、これで大丈夫だろ」

「はい、はいっ」


 ゴシック調の服で全体の水色は主張しすぎず淡く止まり、白のフリルが愛らしい意匠だ。

 ルカは、前後ろ見ながら背中のボタンを外して手足を入れると、またボタンをつけようとして、すべて自分で止められないことに固まった。背の中心部まではよかったのだが、それから上がどうも手が届かないようで中途半端なところで止まってしまう。


「どうした?」

「も、申し訳ありません。ルリエ様……ボタンが、その、すべて届かなくて」

「……サイズは、ちゃんとお前の身体のはずだぞ、身体の機動だって……」


 後ろを向いていたルリエは、ゆっくりと振り向いて中腰になっているルカを見、ため息をついた。


「……見せろ」


 ルリエに背を見せると「髪まで絡まってる」と言い、二、三度いじくり留めきると、よっていた服の皺やずれていた部分を直して、ドレスはルカの身体にぴったりと、元から着ていたかのようにおさまる。


「ふぅ」

「はぁ」


 同時にため息をついた。


「えっ」


 と、同時に口にして、またため息をつく。

 ルカは色々と逃げるようにして姿見に映る自分を見た。

 ドレスのように見えるが、ちょっと違う。どこかの令嬢が着るような愛らしさで嫌みがない。

 人形ゆえ胸の膨らみなどないが、腰のくびれとふんわりと膨らんだスカート部分のおかげで人間に見える。


 そして、やっと自分の顔を見た。腰までの黒に見える赤茶の髪に、黒曜石を思い出させるような瞳、口を少し開けて微笑む形で、小さい顔に自然とパーツがはまっていた。

 着替えは、るりと遊んでやっていたがデータとは違う現実の形にルカは瞬かない瞳で関心する。


「とりあえず」


 ルリエが口を開いて脱力するようにテーブル席の椅子に座ると、


「俺が不可解に思ってもいい、おまえのことを教えてくれ」


 ルカも元の椅子に座り、ゆっくりと分かりやすく燃えてしまったあの日の前まで説明した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る