2 求職活動

 フェリシアは、こじんまりとした応接室のソファに鎮座していた。ローテーブルを挟んで対面に座っているのは、フサフサの白髪を揺らした祖父のローゼル・バートレイ辺境伯だ。

 テーブルの上には、温かい蜂蜜入りのミルクが置いてある。


(……この家に来ると、いつも子供扱いされるわ)


 全く嫌ではない。


 バートレイ家はフェリシアの父ハインツの生家であり、数回程しか足を運んだことがない。孫としての不義理を果たすフェリシア、悪女兼偽聖女フェリシアをこうして歓迎してくれるのは、ローゼルの人となりだ。


 ローゼルは濃い紅茶を、フェリシアはホットミルクをそれぞれ飲むと、ほうと息を吐く。

 

「それにしても災難でしたね。婚約破棄をあれほど大々的に行われるなんて」

「いえ、本当に災難なのは国民ですから。私としては、本物の聖女が見つかって喜ばしい限りです。ステラ王女に押し付けた狡さも、多少は感じておりますが……」

「稀に稀が重なるのも、時の運でしょうか」

「運が巡ってきたのかもしれませんね」


 稀に稀──フェリシアの婚約破棄には、二つの稀が重なっていた。


 一つ目の稀は、代々神力を宿した子が生まれるアッシュベリーの娘でありながら、フェリシアがほとんどただの人間であったことだ。


(でも、これ自体はそこまで珍しいものでもないのよね。歴代のアッシュベリーの人間にも、聖女とそうでない人が半々だし。今のお母様も、神力を宿していないわ)


 二つ目の稀は、アッシュベリーに関わりのない人間ステラが、神力を宿していたことである。


(これは本当に珍しい。数百年に一度現れるかどうかと言われるけれど、運が良かったのね。この広い王国で、見つけられて良かった……)


 王家は、アッシュベリーの人間を王位継承者と結婚させることで、権威を高めて民の信頼を得る。その用途において、凡夫のフェリシアは無用だった。


(神力を持たないのは、もう仕方のないことだわ。その罪を補えはしないけれど、王家でできる精一杯の仕事はしたもの。しょうがない……)


 全てが丸く収まったのだ。

 ステラに任せる狡さに思い悩むフェリシアとは違う理由で、ローゼルもまた頭を悩ませていた。


「それで、こちらで働きたい、と」

「はい。叔母様から、辺境伯領は慢性的な人手不足だとお聞きしております。これだけ広い所領ですと、人員の管理もままならないのだとか」

「人手は常に足りないものですけどねえ。しかし折角ですから、お姫様を有効に使いたい……」

(……お姫様って、もう19なのに……)


 フェリシアはもう十九の淑女だと言うのに、ローゼルはいつまで経っても敬語をやめてくれない。

 自分より二回りも高齢で地位もある人間から敬語を使われるのは、随分居心地の悪いものだ。


「シュローレン公爵のお孫さんの、リーシュナ殿をご存知ですか?」

 

 ローゼルは補佐官のような男から紙を一枚受け取ると、妙案が閃いたのか上機嫌な声でそう尋ねた。

 ぼーっとしていたフェリシアは、その声にハッと意識を戻す。


「シュローレン……聞き及んだことがあります。古い名家で、大きな公爵領も持つのだとか」

(そのくらいしか知らないけど……。王国にいらっしゃることもあったのだろうけれど、私あんまり表に出ていないから、顔は見たことがないわ)


 唐突に始まったシュローレン公爵の話に首を傾げた。ローゼルは依然としてにこやかな笑みを浮かべている。


「はい。そのリーシュナ殿が近頃、離縁したようなのですよ。勝手に離縁したことで後継が生まれない、と隠居爺が憤っているらしく」

(隠居爺……)

「ご友人ですか?」

「まさか。私はシュローレンの次期当主……になるかもしれないリーシュナ殿に、恩を売りたいと考えているのです。恩とまではいかずとも、繋がりを持ちたいのですよ。あの王太子が王位に就けば、王国もいよいよ駄目かもしれませんから」

「なるほど。大きな領地を持つ方ですし、敵に回すよりも──」


 はた、と黙り込む。


(なぜこのタイミングで、この話題を選んだのか……)


 さっと顔を青くしたフェリシアに、ローゼルは相好を崩した。


「待ってください、わたくしは嫁ぎませんよ」

「おお! 次の妻として、帝国へ向かってくださると」

「申し上げておりません!」

「そうですか、助かります!」

「空想の私と話さないでいただけませんか!?」


 どうやらフェリシアの予想通り、ローゼルはリーシュナの新しい妻として、フェリシアを送り込もうとしているようだ。


(結婚は、暫くは必要ないの)


 拒絶の意を捲し立てるのだが、ローゼルは都合の良い返事をする全肯定なフェリシアと向き合うばかりである。


 フェリシアは、話を聞く気のない叔父にムーッと頰を膨らませた。


「ローゼル様。わたくし、やりたいことがあるのです。押しかけた上で身勝手な発言となりますが、別のお仕事を紹介していただけないでしょうか?」

「ふむ。そのやりたいことと言うのを、お聞かせ願えますかな?」


 その質問に、フェリシアは大きく息を吸うと、僅かに頬を赤らめて言い放った。


「今度こそ、素敵なお相手と恋をすることです!」


 婚約破棄が成立した今、フェリシアのこの欲望を阻害するものは何もない。

 その宣言に、ローゼルが目を丸くして呆気にとられている。


「……そ……その素敵なお相手の方、というのは?」

「子供の頃一度出会った、強い麗人です! 女性同士ではありますが、想うことだけは許されるでしょう。わたくし、残りの人生全てを賭けて彼女を探し出し、一言お声を頂きたいのです!」


 頬を赤らめてそう宣言する少女に、ローゼルが盛大な笑い声を上げた。


「はっはっは! 憧憬の念ですか」

「情愛と同じでしょう」

「そうですかねえ。それでは、その女性を探すお手伝いを致しましょうか?」

「いえ、自力で探し出したいのです。そうした方が、出会えた時の感動も一入でしょう?」

「しかしこの広い大陸で、どうやって見つけるのです? 何か特徴などはなかったのですか。私も、あなたが漸く見つけた夢のために、微力ながら手を貸したい」


 漸く見つけた夢などと大層なことように言われたが、その実は初恋もまだの少女の、小さな思い出である。


(……ちょっとだけなら、手伝ってもらってもいいかしら?)

「実は一度だけ、王宮で見かけたことがあるのです! 細やかな細工の施された耳飾り、質の良い革靴、王国では珍しい長く美しい銀髪、胸の数ある勲章……。おそらく、帝国からいらした証でしょう!」 


 十数年前に、森の中で出会った美少女。長い銀髪を高い位置で一つにまとめ、暗い灰色の胡乱な瞳を向けられた。腰には剣を携え、耳には赤と黒の文様が刻まれた耳飾り。

 成長したその少女が、一度だけ王宮の顔を出したことがあった。フェリシアは遠くから見つけるだけだったが、その時の映像が頭の裏にこびりついている。


(あの、私に微塵の興味も示さない瞳に、もう一度私を映してほしい……)

 

 恋に落ちたのだと思い込ませているだけであることには目を瞑る。

 その熱のこもった眼差しに、ローゼルも可笑しそうに笑い声をあげた。


「その麗人というのは、銀髪を一つに括った騎士の格好の……」

「ご存知なのですか!?」

「ははは、いえ、知りませんねえ」


 ローゼルはひとしきり笑うと、先程補佐官から手渡されていた紙にもう一度視線をやった。何が書いてあるのか、しきりに笑っている。


「……申し訳ございません。ご公務のお邪魔ですよね」

「ああいえ、これは私の息子から届いた報告書ですよ。ちょうど、貴方の次の働き口を紹介されたところでして」

「お父様から?」

(厄介払いかしら)

「帝国でのお仕事ですし、ちょうど良いのではないですか」


 ローゼルから、赤い封蝋の押された白い封筒と、地図を渡された。


「こちらの封筒は、次の雇用主殿に渡してください。家同士の契約ですので、即刻解雇にならないように」

「承知いたしました」


 封筒と地図を恭しく受取り、帝国への足がかりをぎゅっと握りしめる。


「馬車を貸しましょう」

「いえ! 行商人の方に同行致します。お気遣いありがとうございます」

「……そうですか? 暇な時にでも、またいらしてくださいね」


 ニコ……と微笑んでおく。


 馬車を貸すと言ってくれたけれど、王国とは縁を切るために行商の人たちに同行することにした。


(一週間もあれば帝国のお屋敷に着きそうね)


 そうして、フェリシアの新たな働き口が帝国の何処かに決まった。

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