1 偽聖女は断罪される

【一章】


「フェリシア・ヴィリデ・アッシュベリー! 女神アルテミスの名の下、貴殿との婚約を破棄する!」


 ウェルムバート王国、無駄に上に長いダンスホールにて。

 第一王子エルヴィン・アウルム・ウェルムバートの婚約者フェリシアは、貴族・重鎮・聖職者諸々の面前で、かかされるべき恥をかいていた。


 エルヴィンの足元に蹲り、金髪ボブの美少女ステラが血を吐いている。細く美しい白い手に真っ赤な血が溢れ、肉付きの良いふくよかな頬は血の気が引いて真っ青だ。

 それを見る面々からは、ステラに対する心配ではなく、フェリシアに対する憎悪が強く滲み出ている。


 この茶番に、そろそろ疲れてきた。


(……針の筵でもいいから、腰を下ろしたいわ)

 

 ステラの、麗しい金色の髪に夜空の星を集めたような輝きを放つ金の瞳は、すれ違うだけで誰もが虜になる。皆彼女を愛し、彼女も皆を愛した。さながら聖母のように。


 しかしフェリシアは、まだ一度もステラの顔を正面から見たことがない。否応なく憎悪を抱いてしまう自分と向き合いたくないからだ。


「理由をお尋ねしても、よろしいでしょうか!」


 ホール中に響く張りのある声で、大きくそう叫んだ。尋ねるのは、理由を知りたいからではない。その理由を、知らしめたいからだ。


(──強く、深く、悪の代名詞として、あの方の印象に残るように)


 エルヴィンはフェリシアを指差すと、堂々と臆することなく答えてくれた。


「君は、聖女の持つべき神力を持たないからだ!!」


 その叫びに、ホールのどよめきが一層大きくなる。


 エルヴィンの叫んだ事実は、正真正銘真実だ。フェリシアは自分がほとんど聖女でないと知っていながら、それを黙って第一王子の婚約者になったのである。

 神をも欺くこの嘘が、今盛大に公になってしまった。

 

「聖女であると偽って王宮に居座るなど、女神アルテミスに対する侮辱である!」

「ではステラ王女の神力は、如何なるものだと言うのでしょうか!?」

「彼女の神力は──」


 質問するのは、その理由を知らしめたいからだ。


「──神話に記される、治癒の能力である!」


 瞬間、喝采とも驚愕ともとれる声が、ホール中に響いた。


(神話に記される聖女って、『戦を治めし女神、数多の手疵を治し万病を癒す。萎びた草木も英気を養い、荒れ地も肥沃の地に変わる』だったかな。長いわ……)


 その真実は皆の心からフェリシアを抹消するのに十分なほど、これ以上ないくらいの衝撃を与えてくれる。

 

(神話に語られる稀代の聖女、実際にそんな人間がいるのなら誰だって縋りたいでしょう。ステラ王女は、その神力までも聖母のようだわ)


 ステラは、血筋以外は完璧な、まごうことなき聖女だ。


 ステラ王女──皆がそう呼ぶただのステラは、元々平民である。その美貌を見初められてどこかの伯爵家の養子となり、いつしかの夜会でエルヴィンと恋をし、そしてアッシュベリー公爵家の子以外には滅多に現れない聖女の力を有していることが発覚して、今に至る。

 平凡なフェリシアには、ステラのその波乱万丈な人生が眩しい。


(おそらく、ステラ王女は自分の力を皆に知らしめるために、この場を用意したのね。毒まで飲んで、苦しくはないのかしら。でも、本物の聖女がいて良かったわ。──これで私は、)


 フェリシアの心配など無用と言うように、ステラの吐血はすっと止まった。蒼白だった頬はバラ色に染まり、その変化に皆賞賛を浴びせる。

 ホールの中央で顔を上げた美しい少女は、その小さな体躯に一身に注目を集めていた。


 その場に、フェリシアなど最初から存在しなかったかのように。


(──これで私は、消えることができる)

「ステラに毒を盛ったのはフェリシア、お前だろう!」

「──はい!?」


 フェリシアは、ホールに入って初めて顔を蒼白にし、慌てて頭を振った。

 やっぱり、針の筵は嫌だ。


(濡れ衣だわ。そこまでの罪は求めていないのに)

「エルヴィン王太子殿下、私は王女に毒を持ってなど──」

「白々しい! 毒入りのワインを、ステラが飲むように仕向けたのは貴様だろう!」

「お待ちください! 私の罪はただ一つだけ──」

「お前の罪は二つだ! 追って沙汰する、早く出ていけ!」

「待っ──」


 はっ、と息を呑む。

 皆が自分を見ていた。憎悪だけならまだしも、好奇に歪んだ視線も感じる。

 縋りつく浅ましい姿を、これ以上晒してはいけない。


(……頑張るのよ! 相互の同意を認められるまでが、婚約破棄!)

「……エルヴィン王太子殿下! 今日この時をもって──」

「挨拶など無用だ。しばらく謹慎しておけ!」

「──失礼致します」


 最低限の淑女の礼節として深々と頭を下げると、どこにも焦点を合わせずにホールを出た。何か自分が汚物であるかのように、人の垣根が割れていく。

 俯きながら、足早に自室へと向かった。


(……思っていた結果と違う。聖女を偽った罪だけなら、修道院にでも送られるだけだと思っていたけれど。でも、あのか弱く美しい王太子妃に毒を盛ったとなると、首をはねられてもおかしくない)


 そう考えながら、小さな鞄に最低限の荷物を詰めていく。


(でも、半分は望み通りの結果だわ。上々ね。言われのない罪を着せられてしまったけれど、すぐに王国を出さえすれば、王国の法で裁かれることはないでしょう)


 それを考えると、この結果も悪くない。

 国内の修道院で祈祷をして一生を送るか、国外の小さなお針子の仕事でもしながら悠々と生活するか、位の違いだ。


(まず、次の仕事を探すことね)


 聖女という職を解雇された今、早急に職探しに出なければならない。


「夢を叶える時が来たのだわ!」


 フェリシアは鞄一つに荷物を詰め、一人元気よくそう呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る