第44話 罠
「てか、あたし、あんな大爆発起こしてないし」
アミはもぐもぐと、咀嚼しながら、訳の分からない釈明を始めた。その真剣な顔に反して、両手には齧りかけのおにぎりが収まっている。
「あぁ……私の握ったおにぎり……」とペトラが項垂れた。そんなに自分の握ったおにぎりを楽しみにしていたのだろうか。僕は自分に割り振られた弁当箱からおにぎりを摘まんでペトラに差し出した。ペトラは「ふふ、ふふふふ……」と虚ろな目で力なく笑いながら、おにぎりを受け取った。僕の触ったおにぎりはそんなに嫌だったのだろうか……。再び僕の心は絶世の美女エルフによってえぐられた。
「起こしてないも何も、実際に起きてんじゃねーか」
優馬くんが甘辛いタレがたっぷりかかった唐揚げのような肉を箸で摘まみ、それをぶんぶん振ってアミを責め立てる。言い終わってから結局は口に収めた。作ってから2日以上経っているのにカリッといい音がなる。これが保存魔法のおかげなのか、ソケリおばさんの腕によるものなのかは定かではない。
「だァかァらァ、あたしじゃないんだってば!」
アミは両手におにぎりを持っているくせに、器用にお弁当箱からエビフライのようなおかずを摘まみ上げて、その小さな口に咥えた。というか、箸を使いなさい。箸を。
「あぁ……私の揚げたリトルファングフライ……」とペトラがまた項垂れる。そんなにリトルファングフライが食べたかったのだろうか。僕は『エビ』じゃなくて『リトルファング』だという事実を知り、逆に食欲が失せた。リトルファングが何かは知らないけども。僕のリトルファングフライをペトラの口元に持っていくと、ペトラは何故か悲しそうな顔で、んぐ、とリトルファングフライを咥えた。妙に色っぽい。
僕らが今朝、森の野宿場を出立してから、かなりの時間が経っていた。腹の減り具合から正午は回っていそうだった。
だから比較的安全そうなこの大部屋で昼食を摂ることにしたのだ。念のため、あのスライムを爆散させた場所から十分に距離を取って、壁際に座ってお弁当を広げていた。
「待って、優馬くん。確かにアミが責任を逃れたくて嘘を言っている可能性もあるけど——」
「ねーよ」とアミがすかさず口を挟む。
「——だけど、もし本当だとしたら……あのスライムはガソリンみたいな起爆性がある液体なのかもしれないよ。あるいは……」
「あるいは?」
「毒ガスを放つ性質がある、とか」
優馬くんはスライムが爆散した方を一瞥して、少しだけ距離を取って座り直した。毒ガスが充満しているとすれば尻半個分、座る位置をずらしたところで無意味だろうけど、気持ちの問題だろう。
「最初のゴブリンは、口とか鼻にスライムが侵入して、泡を吹いて絶命したけど、窒息死にしては早すぎると思うんだよね。だから、あれはもしかしたら即効性のある毒とかだったんじゃないかな」
優馬くんは箸を置いて、しかつめらしい顔を僕に向ける。
「もし俺らがあのキューブに入って、スライムが毒ガスを霧散させていたら、全滅してたかもな」
僕は無言で頷く。僕らにはヒーラーがいない。多少のケガならば、最悪、里に撤退すればいいだけだが、毒に侵されたら多分村までもたないだろう。草原ならばロアウルフで疾走もできるが、森ではそれもできない。少なく見積もっても1日以上はかかってしまう。実際僕らはここまで来るのに2日かかっている。
つまり状態異常……とりわけ『毒』については僕らにとっては『死』と同じだ。どんなにレベルが高かろうが、意味がないのだ。
「キューブごと爆散させてむしろ正解だったかもね」
「ほら! あたしが正しかったでしょ? あたしのおかげで全員助かったんだから」
アミはさっきまでキューブを爆散させたのは自分ではないと主張していたくせに、急に自分の手柄のようなことを言い出した。
「まぁ、なんにせよ、あのスライムは要注意だな」
「はい! 気を付けます」
「特にアミだよ。炎系魔法なんて使ったら、まじで優馬くんとペトラは死ぬからね?! 絶っっっ対ダメだよ!」
「ちょ、なんであたしにだけ、念を押す訳?! そこのアホ面の方がよっぽど迂闊に突っ込みそうじゃん!」
「誰がアホ面だ。俺の面がアホなら、お前は存在自体がアホだ」
「はぁ?! 良い度胸ね! 表出ろや!」
アミがそのちんちくりんの幼い顔を歪めて凄む。正直あまり怖くない。
「おー、やったろうじゃねーか」
優馬くんは怒っているというよりも面白そうだからという理由でアミを煽っている感じがする。厄介な性格をしている。アミも優馬くんも。
「お、お二人とも冷静になってください。らせん階段昇らなきゃなので、外に出るの大変ですよ?」
「ペトラ、冷静に考えるところそこ?」
結局、この後、激昂するアミをなだめるのに、僕とペトラは無駄な体力を消費することになった。
昼食後、僕らは早速探索を始めた。
あまりのんびりしているわけにはいかない。いつ里長の命の灯が消えてしまうか分からないのだ。それに加えて、食料事情も考えなければならない。僕らが運び込める食料はごく僅かだ。もしダンジョンが延々と続いており、しかも食料を自給自足できないようであれば、僕らは飢餓で動けなくなる前に地上に戻って、森で食料を調達しなければならない。途轍もないタイムロスである。
所持している弁当がまだ残っている内に、できるだけ先に進みたかった。
「北西、北東ときたら、次は南東だろう。時計回りだ」
優馬くんが提案する。特に反対意見もでなかったので、僕らはスライムが爆散したキューブ跡地から南にある第三キューブまで移動した。
先ほど来たときは、扉は確かに閉まっていた。だがダンジョンの状況は些細な事で変化する。
遠目からでも分かった。扉が開いている。
おそらくスライムを討伐することが解除条件だったのだろう。ゴーレムのときと同じだ。
「おい、なんかあるぞ」
遠視と暗視のスキル持ちである優馬くんがいち早く気が付いた。
開いた扉の両脇に台座があった。いや、台座自体は先ほど来た時もあった物だ。違っているのは台座の上だった。直径50センチメートル程の石球が左右に2つずつ、計4つ鎮座していた。つい1時間前までは何もなかったはずだ。
「このキューブ内の仕掛けと関係してんのかな」
「さぁな。入ってみれば分かるだろ」
相変わらずの無鉄砲さである。考察もくそもない。優馬くんはこと戦闘に関しては、緻密な作戦と的確な判断力を持つのに、何故それ以外だとこうも行き当たりばったりなのだろうか。陽キャ故の性質なのかもしれない。
入口から中を覗いて見ると、先ほどのスライム部屋とは違い、壁の発光で部屋全体を見渡せた。天井を含む部屋の隅々まで舐めるように視線を這わせ、敵がいないことを確認した。
「とりあえず魔物はいなさそうだね」
「あ、見て。スイッチ!」
アミが部屋の左側の壁付近の床に埋め込まれた四角いタイルのような物を指さした。
「まじだ!」と優馬くんが驚愕に目を見開く。まさか本当にテレビゲームみたいなスイッチがあろうとは。
「反対側にも同じスイッチがありますよ」
ペトラの声に、皆が右側の壁際に目を向ける。確かにスイッチがもう1つあった。
「同時に押す系か?」
「もし押しっぱなしにしないとダメなら、2人しか先に進めないね」
優馬くんは懲りずにまた勝手に部屋に足を踏み入れようとしたため、僕はまた彼を制止するはめになった。
「だから、待ってって。マズ、ゴブリン、イク。オーケー?」
「なんでカタコトなんだ?」
敵もいないことだし、今回は1匹で良さそうだ。
例によって視覚をリンクしたアーミーゴブリンを召喚し、キューブ内に入室させた。アーミーゴブリンはキューブ内に入るとキョロキョロと視線を振る。
「何も起こらないね」
アミが座り込んで、ゴブリンの様子を見ながら言う。緊張感の欠片もない。多分アミと優馬くんの2人だけだったら、即効でトラップに掛かって死亡するだろう。この人たちを絶対に2人にしてはいけない。
僕はゴブリンに指示を出して、片方のスイッチを押させた。カチッと小気味良い音がなるだけで、何も変化はない。反対側も同様だった。ゴブリンを2体に増やして同時に押させても、やっぱり何も起こらない。
「……もういいか?」と優馬くんが肩をすくめて僕に訊ねた。
僕は優馬くんに小さく頷いてから、ゴブリン達を戻って来させて、入口前で大部屋の方を警戒しておくよう指示を出した。
優馬くんが進みだすと、それに引っ張られるような形で僕と後列の2人もついて行く。
だが、内心、引っ掛かるものがあった。こんなに簡単でいいのだろうか。ただ同時にスイッチを押すだけだなんて、先のスライム部屋と比べると容易過ぎる。小学生だってクリアできるレベルだ。この鬼畜難度のダンジョンがそんなぬるいことをするだろうか。
一抹の不安を抱えながらも、今は熟考している暇はなく、考えすぎだと無理くりに結論付けて、僕は優馬くんに続いて扉をくぐった。
そして、懸念は現実のものとなった。
全員が部屋に入った瞬間、突如、石扉は獲物を引きちぎる猛獣の
優馬くんは素早く扉へ駆け寄り、固く握った拳を叩きつけた。扉を破壊して脱出しようという試みだった。流石は優馬くん。判断が早い。
だが、驚くべきことに扉はびくともしなかった。優馬くんの渾身の一撃は、危険を知らせるブザー音や振動音に呑み込まれる。まるで消音のテレビを見ているような奇妙な光景だった。
今度は僕が壁を殴った。アミの爆炎魔法で破壊できたのならば、僕の拳でも十分破壊できるはずだった。だが、やはり道は開かれない。外のゴブリンが扉にサーベルを打ち付ける音がかすかに聞こえた。優馬くんでも破壊できないのにゴブリンの力ではどうしようもない。
その間に優馬くんは扉に手をついて上に持ち上げて開けようとしていたが、それもやはり失敗に終わる。
「見てください!」とペトラの声をした。
弾かれるように振り向くとペトラはスイッチを指さしていた。
「色が変わってます!」
薄いグレーだったスイッチの色が今は赤く明滅している。『このままでは危険』と知らせているようだった。
「スイッチだ! スイッチを踏め! 両方だ!」
優馬くんの指示で、僕とアミが右側、優馬くんとペトラが左側のスイッチを踏みつける。だが、赤い明滅が赤い点灯に変わっただけで、ブザー音は一向に鳴り止まない。
「ダメだよ! ただ踏むだけじゃ多分ダメなんだよ!」
「ならどうしろってんだよ!」
『ブァー、ブァー、ブァー』と一定間隔に鳴り続いていたブザー音が、『ブァーーーー』と一繋がりの連続した音に変わった。間もなくやってくる『終わり』を知らせる音。
悪寒が背中に走り、僕らはおそるおそる天を見上げた。空など見えるはずもない。見えたのは人工的に平らに整えられた窮屈で息苦しい岩だった。冷たい天井は、ところどころ薄い染みができていた。元は赤かったのだろう、と思わせる古い染みだ。
無機質で重い天井は、慌てふためく僕らをじっと眺めるように静止していた。
次の瞬間。
音もなく落ちて来た。壊すことも、動かすこともできない天井が。
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