第45話 人数

 ゴ、と鈍い音がまず訪れた。

 不思議なことに痛覚は働いていなかった。いや、違う。先ほど壁を殴りつけた拳はズキズキと痛む。痛覚は機能している。だからこそおかしい。天井に潰されたら、痛みを感じる間もなく圧死するのか、あるいはそれ相応の苦痛を覚えるのか。僕には判断しようもなかった。

 ブザー音は止んでいた。

 僕はそっと瞼を開いた。

 立っていたのはペトラだけだった。他は地に伏せて目を固く閉ざしているか、ペトラの頭から1メートルほど上方で止まっている天井を凝視しているか、のどちらかだったが、ペトラだけは苦悶の表情で両手を掲げ、重い何かに耐えるように肘を曲げていた。ペトラの額に宝石のようや汗の粒が伝う。

 結界だ、と僕らは理解する。


「ナイスだペトラ!」優馬くんが片拳を握って、突き出した。

 だが、安堵する僕らとは反対にペトラの顔は青ざめていた。「だ、ダメ、です。長く、持ち、ません」

 歯を食いしばるように吐き出された言葉はまたパニックをもたらした。

「おい! マジかよ! 頑張れペトラ!」

 優馬くんは天井を押し上げようと立ち上がってペトラに加勢するが、状況は全く変わらない。

「ちょっと! こんなところで煎餅みたいにペッちゃんこになるなんてごめんなんだけど! なんとかしなさいよ!」

 アミも天井を押し上げようとするが、身長が足らず天井に届かなかった。ぴょんぴょんとジャンプして天井に触れる。

 僕はスイッチの上に座ったまま頭を回す。皆が同じアプローチをしても無駄だ。僕は僕にできることをしないと。幸い、頭は自分でも意外な程、冷静だった。

 

 スイッチは今は元のグレー色に戻っていた。反対側のスイッチにも目を向ける。同様にグレー色だ。ブザー音が鳴ってからそれぞれスイッチを押した時は赤に点灯していた。そして、その直後に天井が落ちてきたのだ。

 つまり『赤はアウト』ということだ。今はまさに『アウト』の真っ只中ではあるが、このギミックにとっては天井の落下はすなわち『排除完了』なのだろう。で、あればスイッチが初期状態のグレー色に戻ったことも理解できる。

 問題は、僕が今スイッチを押しているのにも関わらず、スイッチの色に変化がないことだ。思えば、はじめにゴブリンに押させた時もスイッチは反応しなかった。反応しなかったときと、赤く点灯したときとの違いはなんだ。


「人数、か」


 僕が呟くと、優馬くんがそれに気付いたのか、アミとペトラに何かを叫ぶ。なんて言ったのかは分からなかった。無音の中、優馬くんの口が動く様子だけが見えた。

 反対に、頭の中は摩擦熱でも発生しそうな程、激しく稼働し、目まぐるしく情報が処理されていく。


 赤く点灯したときは僕とアミ、優馬くんとペトラの2組2人ずつでスイッチを押した。結果は『両側ともアウト』だ。

 同数だと……アウト。

 それまで脳裏の濁るモヤの中でくすぶっていた光る何かが、弾けて閃光を放つような感覚に襲われた。

 僕は慌てて立ち上がり、ゴブリンを1体召喚して僕の押しているスイッチを一緒に押させた。すると、スイッチは赤く点灯し、反対側は青く点灯した。同時に、部屋を半分に割って向こう側——優馬くんとペトラの側の天井だけがゆっくりと上に引きあがっていった。


「はぁ?! なんで向こうだけ!」


 アミは僕の手を掴んで安全地帯と化した反対側に引っ張って行こうとする。が、僕は「ちょっと待って」と留まった。

 そして、もう5体ゴブリンを召喚してスイッチを踏ませてから、僕はおそるおそる足を離した。アミは、隣で明らかにそわそわと落ち着かない様子だったが、それでも律儀に僕を待ってくれていた。

 僕が足を離しても、優馬くん側の天井は上がったままだった。アミと一緒に優馬くんとぺトラの側——天井が上がった安全地帯——まで移動して、ペトラに「もういいよ」と合図した。


ペトラが結界を解いた瞬間、轟音と共に、さっきまで僕とアミがいた側の天井の平面は、床の平面と合わさった。当然スイッチの上にいたゴブリン6体はあっけなく潰されて、天井に新たな染みを作った。

 天井がゆっくりと上がり始めると同時に、唯一の出入口がガラガラと音をたてて開いた。僕らは、なだれ込むように扉から出て、膝から崩れて座り込んだ。

 全員が疲れ果てた顔をしていた。多分僕もだろう。


「なんなのよ! もぉ!」

「危うく死ぬとこだ!」


 今回もまたファインプレーだったペトラは、今になって恐怖が押し寄せたのか、口を一文字に結んで涙目で震えていた。


「繋、お前、どうやって扉を開けたんだ?」


 僕は息も絶え絶えに優馬くんに目を向ける。さほど息の上がっていない彼は、既に正常運転に戻っており、まさに機転を利かせ窮地を脱した冷静沈着なヒーローのようであった。ちょっと肝が据わり過ぎだと思う。


「少数決だよ」

「少数決?」と優馬くんが繰り返す。

「うん。多数決ってあるじゃん? あれの少ない方の意見を採用するバージョン、みたいなこと」

「つまり——どういうことよ?」

 上手くまとめようとして、何も言葉が出て来なかったアミは、早々にギブアップして訊いてきた。

 僕が口を開こうとしたとき、ペトラが「そうか」と声を上げた。

「スイッチを押した人数が多い方の天井が落ちるんですね?」

「そう。僕らは左右のスイッチに2人ずつで同数だったから、両方の天井が落ちたんだ。そして、このキューブのクリア条件はおそらく『天井を落とすこと』じゃないかな。今頃、南西のキューブのロックが解除されていると思うよ」

「いや、待てよ。それなら最初にゴブリンがスイッチを押したときに何故天井が落ちなかったんだ?」

「多分1人だけじゃ反応しないんだと思う。少なくとも2人でスイッチを押さないと反応しない。だから、普通なら最低でもここで2人の犠牲を払うことになる」

「うわ最低。ここ作った奴、性格悪すぎない?」


 アミは眉間に皺を寄せて、まだ見ぬダンジョン製作者に中指を立てた。

 だが、確かにアミの言う通りこのギミックは意地が悪い。3人パーティ、4人パーティならば最悪全滅、良くても1人ぼっちになってしまう。僕らはたまたま召喚術が使えたから全員が生き残れたが、普通パーティに召喚師がいることなど稀だろう。僕らの生還は奇跡としか言いようがない。


「またペトラに助けられたな」と優馬くんがペトラの背中をバシバシ叩くと、ペトロはケホケホと咳込んだ。

「ほんとだね。まさか優馬くんでも動かせない天井の落下を防ぐとは。凄いよペトラ」

 ペトラは俯いて「当然のことをしたまでです」と呟いた。照れているのか、頬が赤い。

 アミは舌打ちをしつつも、助けられた自覚はあるのか「この借りはいつか返す」と悪役みたいなセリフをペトラに浴びせかけていた。


 その場で僕らは少し休憩してから、いよいよ最後のキューブに向かった。

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