第43話 スライム

 ペトラが、ぺたんと床に沈み込んだ。

 そして、沈む勢いそのままに、黒い大理石の床に背中をつける。

 かと思えば、へそだけを反らすように浮かすなどして身もだえた。


「んぅっ、ぁ、あ、ああああああ」


 眉を寄せて苦しそうな顔なのに、染まりあがった頬はその快感を受け入れていることを表していた。

 甘い嬌声に、ごくり、と誰かが唾を呑み下す音が聞こえた。僕のかもしれないし、優馬くんのかもしれない。

 ペトラから視線を逸らすべきなのに、気付いたらまた視線が吸い寄せられる。悶絶するペトラからとろけるチーズケーキのような甘い芳香を感じられるのは、僕の脳が視覚情報から好き勝手に生み出した幻臭であるに違いなかったが、それに気がついたからといって、もはや僕にはどうしようもなかった。男のさがとも言える。

 それを中断できたのは、不意に背中に強い衝撃を加えられたからだ。僕は前のめりに倒れ、両手両ひざをついた。振り返ってようやく蹴られたことに気が付いた。

 

「何ガン見してんのよ! 変態が! 男子どもはあっち向いてろ! 死ね!」

 アミは有無言わさず、僕らに回れ右を強要した。

「おい、なんでだよ! 別にレベルアップはやましいことじゃないだろ!」

「そうだよ! もしかしたら、未知の状態異常とかかもしれな——」

「うるさい黙れ死ね!」


 僕と優馬くんが阿吽の呼吸で繰り出した連携抗議も、目を吊り上げたアミによって、にべもなく跳ね除けられた。

 それにしたって「死ね」はないだろう。仲間を想って言っているのに。決して下心なんかではないのに。断じて。

 じきにペトラは落ち着きを取り戻した。彼女は半身を起こすと、両手のひらに視線を落とした。


「これが……レベルアップ」

「一気に100くらい上がったんじゃないか?」

 優馬くんが勝手に身を翻した。僕もそれに倣い、おそるおそる振り返る。アミの蹴りは跳んでこなかった。もうエクスタシータイムは終了したようだ。

「僕らがゴーレム倒したときも、めちゃくちゃ上がったもんね」

 ペトラはそっと目を瞑ってステータスを確認する。「あ、85レベルになってます」


 たった1度の戦闘で1レベルから84レベルも上がってしまった。しかも、攻撃を防いだだけで、直接倒してはいないのに、である。

 おそらく貢献度合いを見て経験値が割り振られているのだろう。ペトラが危険な攻撃を全て防いでくれたおかげで、あんなにもあっさりと倒すことができたのだ。即死攻撃を気にせず攻められるのはアタッカーとしては、これ以上にないアドヴァンテージだろう。だから、ペトラにも多く経験値が流れた。


「たくさん魔法覚えました!」

 花のように清純な笑みを咲かす嬉しそうなペトラを見て、僕まで頬が緩んでくる。

「頼りにしてるぜ、ペトラ」と優馬くんが言った。

「ま、結界なんて張る前にあたしが全部燃やすけどね」

 アミは何故にペトラに対抗意識を燃やしているのか。魔人の考えることは僕にはよく分からない。


 ペトラのレベルアップがひと段落したところで、「とりあえずこの部屋を探索しようぜ」と言うが早いか、優馬くんが歩き出した。僕は慌てて制止する。

「待って、優馬くん。まだ、何がいるか分からないんだから、慎重に、皆で固まって行こう」


 僕らは4人固まって、動いた。

 僕と優馬くんが前列で前方を、ペトラとアミが後列で後方をそれぞれ警戒しながら、部屋を壁沿いにぐるりと回っていく。

 前方からの奇襲は、僕が召喚体で足止めして、ペトラが結界を展開するまでの時間を稼ぎ、後方からの奇襲もまずペトラが対応する手筈となっている。

 即死攻撃があり得る以上、ディフェンダーであるペトラの役割が最も重要だ。ヒーラーがいない僕らのパーティは、ペトラが負傷することはすなわちパーティの崩壊を意味する。つまり、最も低レベルなペトラが、このパーティのかなめなのだ。


 部屋は、途轍もなく広かった。一辺が200メートル以上はあろうか。

 このダンジョンに侵入して来た大穴の開いた部屋を、外から改めて見ると、まるで立方体キューブのような建物だったことに気が付いた。立方体の側面には紋様が刻まれた石や金属があしらわれ、それ自体が1つの祭壇のような厳かな雰囲気をまとっている。


 大部屋の中にキューブが4つ内包されているような構造であり、均等に配置されたキューブと大部屋の壁の淡い発光のおかげで、室内がまったくの暗闇となる事態は免れている。薄闇のとばりがかかってはいるが辛うじて視界は開けていた。


「他に魔物はいないようだな」

 大部屋に出たときは、突然の奇襲に心胆を寒からしめられたが、第2陣はないようだ。優馬くんの宣言にホッと胸をなでおろす。

「てか、上の番人戦の直後にダンジョン潜ってたら、詰んでただろ、コレ」


 優馬くんは含みのある視線をアミに向ける。確かに魔力を使い切ったあのへとへとの状態でもう一度ゴーレムと戦うのは無理だっただろう。想像するだけでも泣きたくなる。


「ね? あたしの言う通り、一回立て直して良かったでしょ?」


 アミの頭の中では記憶が改ざんされているようだったが、すぐに穴を探索すると言い出したのは紛れもなくアミである。にもかかわらず彼女は「ほら、見たことか」という目を僕に向けていた。きっと彼女の中では僕が言ったということになっているのだろう。都合の良い頭である。



 僕らは部屋を一周する過程で、東と南——と言っても正確な方角までは分からないので仮に決めたものだが——の壁にそれぞれくすんだ金属枠にはめ込まれた両開き扉を見つけた。

 が、そのどちらともが施錠されていた。

 とりあえず、いつでも撤退できるように入ってきたキューブ部屋の前まで戻って来る。


「大部屋から出ることは今のところは出来なさそうだな」

「あんなボロッちい扉、ぶち壊して行けばいいじゃない」

「やめときなよ。あれは多分、何かの仕掛けで開くんだよ。ずるして開けると……」僕は想像して顔をしかめる。

「碌なことにならないのはお約束だよな」と優馬くんが笑った。

「でも、そうするとどうやって開けるのでしょう? どこかにカギが落ちているのでしょうか?」

 残念ながら、と僕はかぶりを振った。

「それはないと思う。だって、あの扉どこにも鍵穴がなかったから」

「となると、やっぱり仕掛けか。どこかにスイッチがあって重たい謎の石を乗っけて押しっぱにするんだな」

「そんなゲームみたいな仕掛け存在するのかなぁ」

 苦笑する僕に優馬くんは「ま、とりあえずまだ扉はあるわけだし、行けるとこから行ってみようぜ」と緩い笑みを浮かべた。なんでこの人、若干楽しそうなのだろう。僕は恐怖しかないというのに。心が鋼過ぎる。



 僕らは再び2列の陣形で、入口のキューブの正面方向に進んだ。入口のキューブが北西だとしたら、目指すのは南西のキューブである。

 罠も魔物もなく、無事に南西キューブに到着した。

 見たところ、扉らしきものはあるが、取手も窪みもなく、引き戸なのか開き戸なのかすら不明だ。

 扉は石にメッキでもしてあるのか鈍い黄土色で、幾何学的模様が掘り込まれいる。


 どうやって開けるんだろう、と言いかけたところで、それよりも速くアミが扉を蹴飛ばした。

 魔法職とはいえ、アミのレベルは200を超えている。普通の石なら容易く砕けたはずだ。だから、砕けなかったこの扉はやはり普通ではない、ということなのだろう。


「て、何やってんだよ、アミ! さっきの話聞いてた?!」

「聞いてたけど?」とアミが得意げに顎を上げた。

「聞いてた奴の行動じゃねぇな」

「ごめんだけど、なんかかったるいな、って思って。ごめんだけど」

 アミは片手で手刀を切って、ウインクした。

「いや、ほんと『ごめん』だよソレは。もっと真剣に謝ってほしいくらいだよ」


 てへ、と舌をチロリと出すアミに若干本気でムカついた。無駄に可愛いのが余計に腹が立つ。


「よし。ここはあかん! 次や!」


 関西弁の『あかん』と開かないという意味の『開かん』を掛けて、優馬くんはとっとと次のキューブに目標を切り替えた。

 そのまま東に進み、南東キューブに辿り着く。


「はい、あかーん!」とアミがまた跳び蹴りを放った。こいつら若干ふざけ始めている。なんだか先が不安になる軽佻さであった。

「次! 残るは北東キューブだ!」

「次がダメなら八方塞がりですね」


 ペトラが眉尻を下げて心配そうにつぶやく。だが、行動力の塊である優馬くんは「とりあえず行ってみようぜ」とあまり憂慮の跡も見えず、笑顔で進みだした。

 しかし、結果として、ペトラの懸念は杞憂に終わる。


 僕らが北東のキューブに近づくと、黄土色の扉はガラガラと石を擦る音を立てて、自動で上にあがっていき、進路が開けた。


「開いた!」と優馬くんとアミの嬉しそうな声が重なった。

 中は真っ暗で扉の外からでは何も見えなかった。中に入って闇に目が慣れてしまえば多少はマシになるだろうが、慣れるまでに何が起こるか分からないのだから、迂闊には飛び込めない。


「俺、暗視スキルあるからちょっくら行って来るわ」

 今まさに迂闊に飛び込もうとしている優馬くんの首根っこを頑張って背伸びして掴み、引き戻す。

「待って。まずは召喚体を行かせよう」


 僕は魔力を行使する。念じると、目の前に鎧を着たアーミーゴブリンが5体現れた。

 続けて『視覚共有』を発動する。脳内に5つ、若干角度が異なる僕の顔が映し出された。アーミーゴブリン達の視点だろう。5匹は一様にじーっと僕を見上げていた。

 これで視野が広がると思ったのだが、どうやら考えが甘かったようだ。

 自分の視野を含めた6つの視野を同時に把握するのは、困難を極めた。例えるならば、目の前に6つのモニターを並べられて、その内のメインのモニターから目を離さないようにしながら、他のモニターを確認するようなものである。複数視野があると、逆に集中できない。

 使いこなせないのでは意味がないので、全員との視覚共有は諦めて、先頭のゴブリンとのみ繋げ直した。


 ゴブリンたちは5匹で全方位を警戒しながら、1歩ずつキューブに入っていった。

 僕は自分の視界をある程度、おざなりにして、ゴブリンの視界に集中する。ゴブリンは暗視能力があるのか、暗闇でもよく室内が見渡せた。見たところ、敵影はない。入口キューブ部屋と同様に何もない20メートル四方の空間がそこには広がっていた。


「どうだ?」

 優馬くんの声が背後でするが、視界は部屋の中を映している。不思議な感覚だった。

「何もないよ」

「何も? お宝は?」

 今度はアミの声がした。

「お宝もカギもない」

「はぁ? なにそれ。ゼロ意味」


 丁度アミがそう吐き捨てたときだった。

 突如として視界が歪み、緑掛みどりがかった。ゴブリンがもがいているのか、激しく視野が揺れる。

 緑色の半透明のフィルターを通して、視界に映る物全てが屈折して見えていることから察するに液状の何かが顔に張り付いているようだ。

 僕は咄嗟に後方のゴブリンに視界共有を使い、視覚リンク先を切り替えた。後方ゴブリンが視た光景は、やはり予想どおりのものだった。


「魔物が出た! スライムだ!」


 はっきりと断言してしまったが、本当によかったのだろうか、と後になってどうでもいいことが気にかかった。だけど、緑色の粘度の高い液体じみた生物はどこからどう見ても『スライム』としか言いようがない。

 貼り付かれたアーミーゴブリンは鼻孔や口腔、耳孔など穴と言う穴からスライムの液体が侵入し、泡を吹いて絶命した。


「かかれ!」と存命のゴブリンに僕が命令すると、「その掛け声、なんか悪役っぽいね」とアミが後ろからおちょくってくる。ふざけている場合ではないので、無視した。

 アーミーゴブリンが、正面からスイカでもかち割るかのようにサーベルを振り下ろす。サーベルはいとも簡単にスライムを通過して、床に打ち付けられて鉄の音を響かせる。スライムは呆気なく一刀両断された。

 が、それはスライムにとっては痛くも痒くもないらしく、2分割されたスライムは、どういう原理なのか不明だが、それぞれ風船のようにふくらみ元の大きさに戻ると膨張が止まった。

 つまり、スライムが2体に増えた。


「な……ッ?! 増えた!」

「あー……斬ったら増えるパティーンか」

 無駄に発音よく優馬くんが言う。

「しかもサイズは2分の1じゃなくて元のサイズ」と僕が捕捉すると、優馬くんは「それは新しいパティーンだな」と尚も宣う。


 アーミーゴブリンは優秀だ。言われたまま行動するだけでなく、ちゃんと自分たちで考える。ゴブリン達は斬撃は効かないとみると、早々に剣を捨て、盾で押しつぶしにかかった。

 だが、それでも尚、スライムの方が上手だった。

 盾を緑の液状の身体で包み込み、そのままゴブリン達の手首まですっぽりと呑み込んだ。ゴブリンの呻き声がキューブ入口から聞こえてくる。熱い鉄板に肉を落としたような、焼ける音も。

 後方ゴブリンの視界に映るゴブリンたちは全員手首から先がなかった。溶かされた、とみていい。


「あのスライム、めちゃくちゃ危険だよ。盾で殴ろうとしたゴブリンの腕が溶かされた」

「まじかよ。斬撃は効かない。打撃もダメ。……となれば、魔法しかないか?」

 優馬くんが口にすると、よく検討することもなく、アミが咄嗟に僕の前に出た。

「オッケー! 魔法なら任せて!」

 止める間もなく、アミは魔法陣を展開し、「どーん」と口にしながら指を鳴らした。

 僕は『あ……』と口をあんぐり開けたまま、キューブ内に目を向ける。暗闇の中心が瞬く星のように音もなく煌めいた。

 次の瞬間、轟音と共に、炎がキューブ部屋を埋め尽くし、それでは暴れ足りないとばかりに大蛇のような炎がキューブから噴き出した。炎は真っ直ぐに地を這って迫って来る。

 先頭に立っていたアミが炎に呑み込まれる寸前、炎は二股に分かれて逆Y字のように左右に広がった。

 だが、炎の氾濫はそれに留まらない。息をつく間もなく、今度は耳をつんざく破裂音と共に、人の頭よりも一回りも二回りも大きな石の塊が飛来した。キューブ部屋が弾け飛んだのだ。

 僕らの方に跳んできた石塊は、またもアミの面前で弾かれて砕け、床に転がった。


 大爆発からしばらくは、耳鳴りが止まなかったが、やがてそれもおさまり、部屋に静寂が戻った。

 どこからか、壁または天井が欠損して砂礫されきが落下する音だけがパラパラと聞こえる。

 目の前のアミに大事はなさそうだ。

 僕はおそるおそる振り返る。優馬くんは呆れた顔でただただアミを睨みつけていた。こちらもどうやらケガはなさそう。

 ペトラは前に突き出していた腕を下ろして、ふぅ、と吐息をついた。彼女も無傷だ。

 ペトラの結界が僕らを守ってくれたようだった。炎に関しては僕とアミには無効だが、飛んで来る石塊は別だ。結界がなければただではすまなかったかもしれない。


「ありがとう。ペトラ。助かった」


 僕は先にアホを一喝するか、ペトラに礼を言うか迷って、後者を取った。アホは一喝しようがしまいが、変わらずアホなのだ。それよりも今はファインプレーの仲間を称えたい。


「いえ。皆さんが無事でよかったです」と微笑むペトラが天使に見えた。

「なんでよ! スライム倒したのはあたしなんですけど!」とアミが図々しくも宣う。優馬くんとは違った意味で鋼のハートである。こいつの辞書に「反省」という言葉はないのかもしれない。

「しかし、よくあの一瞬で結界を展開できたな」

 

 優馬くんがアミを無視して、驚嘆する。確かにペトラの一連の行動は目を見張るものがあった。アミが魔法を発動してからコンマ数秒の間に必要な結界を瞬時に判断して、物理結界、魔法結界を張ったのだから、とんでもない神業である。

 結界の強度もさることながら、その反射神経と判断力は明らかに常軌を逸している。ペトラにかかれば、どんな敵の攻撃でも跳ねのけてくれることだろう。


「えへ、結界術だけは昔から鍛えてますから」

 褒められ慣れていないのか、ペトラはもじもじしながら、はにかんだ。

「ねぇ! 繋ぅ! 無視しないでよぉ! 繋ぅ!」とゆさゆさとアミに揺らされながら、僕らはしばらく「いやぁ、大したもんだ」「いや素晴らしい」とペトラを称賛し続けた。

 

 

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