第41話 重のダンジョン
【中間 繫】
連日続いた雨で、森の土は柔らかくなり、少し歩きづらかった。
ローファーのままだったら大変だっただろう。出口を求めて森を彷徨っていたときのことを思い出し、少し懐かしい気持ちになった。
エルフの貸してくれた靴は防水性に優れ、水溜まりや湿った土も気にせず歩くことができた。衣服もエルフ仕様のチュニックとどこかエスニックなゆとりのある長ズボンだ。流石に制服でダンジョン攻略に挑むわけにはいかないので助かった。エルフ様様である。
アミはオーバーサイズのチュニックをワンピースのように着ているが、どうしても視線が健康的で柔らかそうな脚に流れそうになる。ふとした拍子に中が見えてしまいそうで僕の方が、気が気じゃなかった。
「お、あったぞ」
先頭を歩いていた優馬くんが声をあげた。
優馬くんに遅れて僕にも遺跡地帯が見えてきた。遠目に遺跡地帯を見て「すごい……」と呟くペトラの声が隣から聞こえた。
「現地のエルフでもこの遺跡の存在は知らないんだ?」
「はい。私たちはここらの森を『帰らずの森』と呼んでいます。入れば最後。誰一人として戻って来られないので、立ち入りを禁止していたんです」
「あー……ダンジョンのギミックでループしたから出られなかったんだな。可哀想に」
優馬くんが過去のエルフの犠牲を痛んで顔をしかめた。
黒い腐葉土から、人工的な石床に移るとき、脳裏に嫌な記憶が走った。赤いランプのような怪しく光る三つ目がフラッシュバックして、頬が引き攣る。無意識に視線を振って、あの殺戮人形がいないか確かめてしまう。
「ゴーレムかぁ。あの時は紙一重だったよなぁ」
優馬くんは良い思い出でも振り返る調子で何度も頷きながらしみじみと言った。しみじみする思い出では決してない。前から思っていたけど、優馬くんはメンタルお化けである。彼の心が折れることは多分未来永劫、訪れない。
「あーなんだか懐かしい。あたしのおかげで勝てたんだよね。あたしのおかげで」
自分の功績を執拗にアピールしてくるアミを「はいはい、えらいねー」といなしながら歩いていると、例のダンジョン入口が見えてきた。
直径20メートル程のぽっかりと開いた円形の穴は、巨人の唸り声のような風の音を絶え間なくに発していた。
僕は落ちないように気をつけながら、改めて中を覗き込んでみた。
底から生暖かい風が吹き上げて来て、まるでダンジョンの内部へ僕らを
円形の縁に沿って、大きならせん状に石造りの階段が添えられていた。
「すごく……深そうです」
「落ちたらひとたまりもないね」
「……てか、この階段壊れないだろうな」
せっかく考えないようにしていたのに、優馬くんがあっさりと懸念を口にした。
すると、何を思ったのかアミが唐突に魔法を行使しだした。
「ラヴァロック」
ぎゅっとアミが手を固く握ると、上空の何もなかった空間に、突如、高温でオレンジ色に発光した岩が出現した。
岩は重力に従い落下してきて、らせん状の階段に衝突した。
耳をつんざく派手な破壊音が穴の中に反響する。
僕は無意識に顔をしかめた。岩は穴の中央の方に弾かれ、そのまま辺りを照らしながら落下したが、その際、階段の縁をこそげ取るように破壊して持って行った。
ややあってから、ドドォン、とまた遠くの方から複数の衝撃音が重なって響いてきた。底に到達したようだ。
「壊れはするみたいね」
「壊れはするみたいね、じゃないから」とアミの頭にチョップするとアミは「ひぎっ」を呻いて頭を押さえた。
「何不必要に壊してんだよ」優馬くんもアミをじとっと睨みつける。
「アンタが壊れないか心配してるから、試してあげたんじゃない!」
「誰も壊してくれなんて言ってねーよ」
ペトラが穴の底を覗き込んで「あ、でも」と明るい声を上げる。
「底が見えましたよ」
僕ももう一度覗き込んで見た。
アミの魔法で出現した高温の岩の明かりで、確かに底が見えた。煙突のような造りなのか、穴は地下フロアの天井に繋がっているようだ。
底には部屋が広がっているように見えるが、どの程度の広さなのかは降りてみないと分からない。
「あーあ。どうすんだよコレ」
優馬くんの呆れた声に僕は穴から顔を上げた。
階段は2メートルにわたって大きく欠損していた。円の壁側はかろうじて繋がっているが、僅か20センチ程の幅だ。
張り付いて横向きに移動するよりも、ジャンプで飛び越えた方がまだ安全なようにも思える。だが、僕やアミ、優馬くんはともかくとして、ペトラはまだ低レベルなのだ。大丈夫だろうか。
「お、落ちないですかね」やはり若干ペトラは及び腰だった。
「ま、落ちても浮けるし」
「それアミだけじゃん」
「繋だけなら引っ張り上げたげるよ」
「おいこら、俺らも助けろや」
優馬くんはアミに文句を垂れつつも、先頭を切った。悠々と欠損部を跳び越える。
「よし。次いいぞ」
次いで僕もおっかなびっくり跳んだ。
難なく着地して、振り返ると、青い顔のペトラが頬を引き攣らせて、しきりに瞬きを繰り返していた。
ペトラは深呼吸を繰り返してたっぷり空気を取り入れ、「よし」と胸の前で拳を握った。それから少し助走をつけて、えい、と跳ぶ。
見事こちら岸に着地するが、「あれ、と、とっとっと」とバランスを崩して前のめりに倒れかけた。
僕は咄嗟に手を広げた。どん、と胸に衝撃が伝わると同時に、理性をくすぐる甘い匂いがする。ペトラの金糸のような柔らかい金髪が僕の頬をくすぐった。
「大丈夫? ペトラ」
「あ、ありがとうございます」
彼女は慌てて僕から離れた。彼女は頬を染めながら手櫛で髪を整える。
ペトラが離れると同時に、向こう岸から石ころが飛んできた。咄嗟にキャッチして、僕は犯人に目を向ける。
「なんだよ。危ないだろ」
アミは口を一文字に結んでひたすら僕を睨んでいた。何故か言葉は発しない。
「なんで黙ってんだよ」と再度僕が言うが、やっぱり返答はない。
「嫉妬だろ」優馬くんが笑った。
僕は優馬くんに向けた視線をもう一度、アミに移し、「え、そうなの?」と訊ねる。
「は、はぁ?! ち違いますー! ただ繋がムカつく顔してただけですー!」
なんだそれ。生まれついての顔を罵倒されるとは。僕は常にアミからの投石を警戒して生きねばならないのか。
「なんでもいいから早くこっち来いよ」
「分かってるっつーの! うるさいなぁ!」
アミの足元に薄い魔法陣が描かれる。魔法陣は大きさ、濃さ、紋の複雑さ、などで魔法の強弱や質が変わるらしい。浮遊魔法は然程難しい魔法ではないから、魔法陣は薄っすらと見えるだけだった。
アミは慣れた動作で、ぴょん、と階段の途切れ目から飛び降りるように跳んだ。そのまま、浮いてこっちに来るつもりだったのだろう。
——だが、
「あれ……え?!」
頬を引き攣らせたアミが階段から落ちた。何故かアミは浮くことなく、そのまま落下する。
咄嗟に僕も階段から跳んだ。水泳の蹴伸びの要領で階段の下面を蹴って自由落下するアミに追いついた。だが、まだ落下は続いている。
このままでは2人とも底に叩きつけられる。いくら高レベルと言えど、只では済まないだろう。アミは引き攣った表情のまま僕にしがみついた。
階段はらせん状にぐるぐると下方向に巻かれている。ならば、一周回ってきた1つ下段の
タイミングを見て腕を伸ばす。ガクン、と肘に衝撃が加わり、メキメキメキと嫌な音が体内を伝って聞こえた。片腕で階段にぶら下がったまま、僕らはしばらく、ぶらぶらと揺れた。
「……止まった?」
「なんとか——うわ!」
捕まっていた階段の縁が衝撃に耐えられず、小さく崩れた。再び僕らの落下がはじまる。
だが、同じ要領で更にすぐ下の段の階段に掴まると、今度こそ落下が止まった。
アミを抱えたまま、片腕で縁の上まで頭を出すと、抱えていたアミをまず階段の上に放った。それから自由になった腕も使い、両手で僕も上がる。筋力ステータスが高いからできる芸当である。前世界の僕ならば絶対にできない。
僕らが階段によじ登った頃に、優馬くんとペトラが階段を駆け下りてきた。
「大丈夫ですか!」
ペトラが慌てて僕らの前に膝をついて、ケガがないか身体をチェックする。
「今のはかなりヤバかったな」と優馬くんは笑っていた。
「アミ、大丈夫だった?」
アミは返事をせず、僕のチュニックに顔を押し付けていた。アミ? と再度訊ねると小さく頷いた。顔を押し付けられているところが、じんわりと温かく濡れる。よっぽど怖かったのだろうか。
僕はそっとアミの頭に手を添えた。
「でも、どうして浮遊できなかったんでしょう」
「里に行くまでの河では普通に飛べてたのにな」と優馬くんが過去を思い返すように瞳を右上に寄せる。
「このダンジョンのギミック、とか?」と僕が呟くと、優馬くんは無言で僕に指を指してから、いそいそとバッグを漁りだした。
何すんの、と訊ねると優馬くんはいたずらな笑みを浮かべる。
「鑑定。してみようぜ」
そう言って取り出したのは、里長の屋敷で見た赤黒い石——鑑定石だった。
僕らの最終目標は、里長を回復させるアイテムを手に入れることだ。だが、ダンジョンで未知のアイテムを手に入れる度に里に戻るのでは時間がかかり過ぎてしまう。だから、無理を言って鑑定石を借りてきたのだ。
「鑑定石ってアイテムを鑑定する物でしょ? ダンジョンのギミックまで鑑定できるの?」
僕と優馬くんの視線がペトラに向く。
「ど、どうでしょう。里ではアイテムしか鑑定したことがないので……」
「ま、兎にも角にもやってみようぜ」
優馬くんが鑑定石をそっと床に置いて手を添える。
そして、鋭い視線で鑑定石を見据えた。それから吠える。
「はァァァァ!」
僕とペトラは黙って見ていた。なんだ、この茶番。
やがて優馬くんが無念そうにかぶりを振った。
「ダメだ。俺には魔力がないらしい」
「だろうね。当たり前だよ優馬くん。キミ剣士なんだから」
ただの優馬くんのおふざけなのに、ペトラは人好きのする笑みで「ちょっとコツがいるんです。代わりますね」とフォローする。できたエルフである。
ペトラが鑑定石に触れると、血と墨を混ぜたような赤黒い鑑定石が鮮やかな赤色に発光しだした。ペトラは目を少しだけ細める。
「『
「ダンジョン(重)……」とオウムのように繰り返す。
ペトラは続けて口を開いた。
「ここでは、どうやら移動系魔法、移動系スキルは使用できないみたいです。だから、アミ様の浮遊魔法も発動しなかったのだと思います」
移動系魔法が使えない。それがこのダンジョンのギミックか。そもそも移動系魔法という分類が良く分からないのだが、浮遊魔法は確かに明らかに『移動系』に該当するだろう。
僕が思考に耽っていると、隣から「うおっ! マジだ!」と優馬くんの声が上がった。
「マジで移動系スキルが使えねぇ!」
「優馬くん移動系スキルなんて持ってたの?」
「ああ。縮地ってスキルだ。一瞬で2、3メートル位置がずれる。超短距離の瞬間移動みたいなものだな」
あっさりと優馬くんは暴露したが、何気にとんでもないスキルな気がする。優馬くんに襲い掛かったと思えば、いつの間にか背後を取られ、背中から斬りつけられる。『縮地』を使えばそんなこともありえるだろう。奇襲やカウンターで真価を発揮する激ヤバスキルだ。ずるい。
「そういえば、あのグレイとかいう勇者が使ってた魔法も瞬間移動系だったよ」と僕の胸から復帰したアミが、何事もなかったかのように会話に混ざった。
「なら、ここでグレイと戦えばもう逃げられることもないな」
優馬くんは未だ勇者に未練たらたらな様子だった。あの戦いの後、事あるごとに「あーあ。勇者倒しておけばよかったなぁ」と呟くほどだ。
「もう勇者は放っておこうよ。里の若エルフの大半は牢にいるわけだし、これ以上悪さできないんだから」
「それはそうだが。てか、あの若造エルフ共も同族を殺しておいて牢屋に入るだけなんてちょっと甘くないか?」
今や若エルフの半数以上が牢屋で懲役にかされている。処刑された若エルフは1人もいない。こちら側には命を落としたエルフは複数名いたのに、暴動を起こした側の死者は0だ。優馬くんがこの処分を『甘い』というのも理解できた。
「ですが、エルフは少数民族ですので、若者が半分もいなくなっては衰退していってしまいます」
「そうだよ。それに懲役2000年だよ? ある意味死ぬよりきつい気がするけど」
僕がペトラに同調すると、優馬くんも「少なくとも俺が生きている間はずっと牢屋か」と苦笑した。
なんにせよ、このダンジョンから脱出するには進んだ道のりを引き返して階段を登るしかない、ということか。
鑑定石で判明した情報を整理すると以下のとおりだ。
1 このダンジョンは『重』という分類であること。
2 このダンジョンでは移動系魔法、移動系スキルは使用できないこと。
1については、『重力』が関係している気がする。
ゴーレムが放つレーザー光線のような魔法は当たった箇所が地に沈んでいた。あれは重力が強まり、そうなったのではないだろうか。それに最後に見せたデバフ魔法も僕らの身体にかかった重力を強めるものだった、と考えれば筋は通る。
2については、移動系魔法を僕は持っていないので、あまり関係ないが、アミと優馬くんは戦闘の際に少し不便を被るかもしれない。つい、いつものように戦おうとして、失敗し、敵の攻撃を回避し損ねる、なんてことも考えられる。
以上のことを僕らはそれぞれ共有して、再び慎重に階段を下った。
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