重のダンジョンで

第39話 痕跡

【星野 しおり


 鬱蒼と生い茂った天然の樹木の天井は、晴れているときは光を遮断してうちらを憂鬱な気持ちにさせるくせに、ひとたびスコールが降り注ぐと、雨水はあっさりと葉の隙間を通過させた。

 大地に叩きつけられる雨音は、ひょうではないのかと思えるような強かな音で、絶え間なく打ち鳴らされる。緩い土がデコボコと形を変え、そこらかしこに湖のような水溜まりができたかと思えば小川のように流れていく。

 傘など持っているはずもなく——持っていたとしてもこのスコールに耐えうるかは怪しいが——うちらは3人とも、成す術なく雨に打たれながら、ひたすら歩を進めた。


 濡れた制服が肌に張り付く。身体が小刻みに凍えるのを制そうとするが無駄な努力だとすぐに諦め、途中からはなされるがまま震えていた。体温は徐々に奪われていき、加えて吸い込んだ水の分、重さを増し、疲れた身体により一層負担を強いてくる。

 うちらはいったい何日間、森を彷徨っているのだろうか。あの謎の教室から下界に落ちて以来、おそらくもう1か月程は経っていそうだ。

 雨水を啜り、動物を狩り、素人の処理のためか獣臭い肉を喰んで、なんとか命を維持してきた。セーラー服は泥で汚れ、ローファーの中の靴下は沼や雨水でぐちょぐちょに濡れて気持ち悪い。


「星野さ、どこ、雨宿り、る、こ…………」


 細田くんが両腕を抱き合わせて震えながら何か言うが、激しい雨音で断片的にしか聞こえない。もともと細田くんはぼそぼそと喋るから余計に聞き取りづらかった。だが、『雨宿り』というワードだけで、彼の主張はだいたい理解できた。


「うん。そうだね。ちょうどいい洞窟とかがあればいいんだけど」

「てか、細田、黙って歩きなよ。雨宿りできるところがないことなんて周りを見渡せば分かるでしょ!」


 天野さんは濡れた金髪を振りまわして細田くんに向き、苛立った声を上げた。


「スコールで周りなんて見渡せるわけないよ」と細田くんが反論する。反論の声は断片的ではなく、はっきりと聞き取れた。細田くんも苛酷な状況に苛立ちで声が昂っているのかもしれない。


「はぁ?! なら、しおりちゃんにも雨宿りできそうなところなんて見つけられないって分からない? 人に頼るのもいい加減にしなよ!」

「そっちだって、星野さんがいなければ、その辺で野垂れ死んでたじゃないか」

「は?! それを言ったらアンタの方が栞ちゃんの巫女スキル、無駄遣いさせてるじゃない!」

「無駄じゃない! 必要な——」


「待って待って待って。すとーっぷ!」


 うちが割り込むと、細田くんは口を閉じ、天野さんは「でも」と少し食い下がる。

「でもも、へちまも、ありません。ほら、そんなことより……見て。何かある」


 丁度見えた異質なソレは、2人の気を逸らせるのにはもちろん役に立ったのだが、それ以前に、延々と続いた代わり映えしない風景に終わりが訪れたことが素直に嬉しかった。うちは一人駆け出した。

 人工的な模様が掘られた石床はローファーで走ると、コツ、コツ、と音がして新鮮だった。実に前世界ぶりの固い床である。ちょっと嬉しくなって、雨の中、笑いながらタップダンスを踊っていると、後から細田くんと天野さんが歩いてきた。


「ほら、細田が頼り過ぎるから栞ちゃんが壊れちゃったじゃない」

「僕のせいだって言うのかい? 星野さんは元からちょっと不思議ちゃん属性があったと思うけどね」

「ちょっと2人とも。聞こえてるんだけど……?」


 じっと睨みつけるが、もちろん本気ではなく、内心では険悪な空気が霧散したことに胸をなでおろした。


「それより……ここ何なの?」天野さんが辺りを見回しながら更に奥へと歩いて行く。

「遺跡……っぽいな」


 細田くんの言う通り、うちにも古代文明の跡のように思えた。複雑な模様が掘られた柱は天辺までは残存しておらず、途中で折れている。つまり、建物自体はとうの昔に損壊していた。

 だが、柱はもとより、謎の台座や彫のある石床がここに人の営みがあったことを示している。


「人は……いなさそうだね。流石に」


 遺跡地帯は広大で、遥か彼方まで石床が続いているように見える。うちらは、警戒しながら歩いて行く。人はいなくても、あわよくば雨避けになりそうな建物でも残っていないだろうか。期待を胸にどんどん進んだ。


 まず歩を止めたのは天野さんだった。

 雨が打ち付けられる石床にじっと顔を近づけたと思えば、「ひっ」と引き攣った顔で身を引いた。


「どしたの?」

「これ……血……血、じゃない?」


 見ると、確かに床が薄っすらと赤黒く染みになっている。目地はもっと顕著に赤かった。


「うーん……だけど、ブルーベリーのような果物だと言われれば、そうとも見えるしなぁ。悪い方に考え過ぎかもしれないよ?」


 うちが天野さんを落ち着かせようと、あえて能天気に笑った。

 だけど、うちの努力を細田くんが台無しにした。


「いや、それは血だよ」


 うちは細田くんに抗議する思いで顔を上げる。しかし、細田くんはこちらを見ていなかった。見ているのは、数十メートル先。雨のカーテン越しにじっとソレを見つめていた。

 うちにも見えた。三つ目のバケモノだ。口は謎の金属で覆われているが呼吸孔が横長に開いている。バケモノの体表にはブツブツと気持ち悪い気泡ができていた。

 明らかに危険生物だと分かる風貌にうちらは、まるで野生の熊に出くわしたかのように動きを止めて、固唾をのんで様子を覗う。

 だが、バケモノは一向に動きを見せなかった。


「もう死んでんじゃない」と天野さんが動きを止めたまま小声で言う。

「あまり楽観視しない方がいいと思うけどね」と細田くん。


 うちは先のゴブリンとの戦闘で、ライフビューを会得したことを思い出し、ライフビューを使ってバケモノを見てみた。


「大丈夫。死んでる」とうちが告げると、2人はぷはぁ、と息を吐き出して、脱力した。

「なんだよ驚かせてくれるなぁ」細田くんがずかずかとバケモノに歩み寄って、蹴飛ばした。転がったそのバケモノは、よく見ると上半身しかなく、胸の辺りで何かにむしり取られたかのように千切れていた。

 ふと天野さんを見ると、彼女はまだびくびくとして青い顔をしていた。


「天野、キミびびり過ぎじゃないかい?」


 細田くんが笑う。

 いつもなら天野さんも細田くんを睨みつけて言い返すところだが、今回は少し様子が違った。

 ゆっくりと腕を上げ、ガタガタと照準が定まらないまま、更に十数メートル先を指さした。

 それを見てうちと細田くんも口を開けなくなった。


 死体だ。


 今度はどう言いつくろっても逃れられないほど、明らかにそれと分かる状態だった。

 とは言え、獣に食い荒らされたのか、一部は肉がこすげとられ、骨が見えており、顔や性別すら分からない。尋常じゃない数の蝿が赤黒い肉塊に群がっている。

 ただ人型をしていることだけは分かった。


「あの教室にいた人かな……?」


 うちは誰にともなく呟く。2人は返答できる精神状態になかったのか、沈黙が返ってきた。


「あれ……」と今度は細田くんが何かを見つける。

 これ以上まだ何かあるのか、とうちはそちらを見やった。

 大丈夫。魔物ではない。死体でも。

 それは石床の大地から少し盛り上がった『何か』だ。建造物のようにも見えるが、如何せん、ここからでは遠すぎて判断できない。


「とりま行ってみよ」


 努めて明るい声を上げてみる。


「……危なくない?」

「建物っぽいし、魔物ではないでしょ。もしかしたら雨宿りできるかもしれないよ?」


 冷たい雨に打ち付けられ続けるのに相当堪えていたのだろう。2人はそう間を置かず、ソレに近づいてみることに了承した。

 そして、改めてソレを観察し、地下建造物だと分かると、誰からともなく、自然と階段を降りはじめたのは状況的に致し方なかったのかもしれない。


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