第38話 人類の希望が消えた日

【中間 めぐみ


 酒樽に直に口をつけ、んぐっんぐっ、と飲み干すと乱暴に放り投げた。ゴロゴロと酒樽が転がり、壁に激突してまた少し転がる。

 待ちきれずに開けてしまった樽はこれで3つになった。


 遅い。遅すぎる。

 勇者だかなんだか知らないけど、人をこんなに待たせてよく『勇気のある者』を名乗れるわね。

 なに? あれなの? 嫌われる勇気、的なことなの? 遅刻する勇気?


 そろそろ布団でも持って来させてふて寝でもしようかしら、と考えだしたときだった。

 魔法陣が光り出し、1回の瞬きの間に、突如として男女2人が出現した。

 2人とも船長オジサンの記憶にあった顔と一致する。多分お待ちかねの勇者だ。


 まだ何もしていないのに、女は、今死の淵にいます、と言わんばかりの顔でぺたんと床にへたり込み、男は血走った目で床を踏みつけ「クソォ!」と吠えた。魔法陣が描かれた床板が割れた。


「くそー、は私のセリフよ。くそー。いったい何時間待たせるのよ」私が声を掛けると、ようやく男女がこちらを向いた。かと、思えば女が「いやァァアア!」と悲鳴を上げて、尻をついたまま後ずさり、分厚い本が収まっている本棚にぶつかると、本を引き抜いて次々と私に投げてきた。


「何に怯えているのか分からないけど、到底『勇気ある者』には見えないわね」私は男の方に視線を移す。「となると、あなたが『勇者』かしら」

「……なんだお前は」


 男——勇者は鋭い眼光で私を睨みつける。その間にも女はわーわー泣き喚いて部屋を散らかし続けていた。


「あなたはちょっとうるさい」


 私は種を飛ばし、女の大きく開いた口に放り込んだ。

 すると、女は両手で喉を押さえて、カハカハと掠れた呼吸をし始めた。それから顔の皮膚のすぐ下に植物の根が走り、まるで憤怒に青筋が浮き出るように皮膚を盛り上げる。

 女が目を見開き、カパッと大きく口を天に向けてあけたかと思えば、口から樹が生えてきて、女の顔はコブのような幹に取り込まれた。

『樹術師』の『寄生植樹』だ。

 女はしばらく、重い頭にフラフラしながら、樹を引き抜こうと暴れていたが、やがてピタッと動きを止め、静かに直立し、部屋の隅まで歩いて行ってから三角座りで着座した。意識を樹に乗っ取られたのだろう。


「貴様ァァアア!」と勇者が剣を振り上げて接近してきた。

 激昂した勇者の太刀筋は力任せな上、遅い。ナイフを剣の腹に合わせると、勇者の剣は大袈裟に弾かれ、勇者もバランスを崩して1、2歩タタラを踏む。


「えー……? うっそ。弱すぎない? それで勇者?」

「ち、くしょォォオオ! くそがァアァア!」

 

 彼は吠えながら、果敢に何度も斬りかかってくるが、その全てがあくびが出るほどのろまな剣撃であり、せっかくコツコツ『剣士』を狩って覚えて来た剣士スキルを使う必要すらなかった。

 勇者の瞳孔が細くなり、白目に赤い雷のような筋が走る。どうやらブチ切れちゃったみたい。

 

「神気解放!」


 勇者がまた未知のスキルを使った。

 だけど、いいのかな? 『解放』シリーズは代償がえげつないことが多いのに。

 勇者は髪が白くなり、眼球は白目と黒目が反転して、眼孔が剥き出しになったかのように黒く見えた。

 彼はフシュゥ、と口から薄い煙を吐いて、ダラリと脱力した構えをとっていた。

 予備動作もなく、勇者が動いた。地を蹴った衝撃で床板が割れ、宙を舞う。


 勇者は確かに速かった。私は反応出来ず、だらりとぶら下げた腕にナイフを握っていた。受けには間に合わない。

 勇者の剣が振るわれる。

 勝利を確信した勇者は、歓喜に目を見開き、赤く細かい虫のような筋が這った目玉が私を捉える。貴様の死にざまを見逃すものか、とでも言うように、じっと私の目を凝視していた。

 勇者の剣は、ついに私の首に垂直に打ち込まれた。私の首が宙を舞うのを脳内で先に視たのだろうか。彼はにんまりと笑った。


 ——だが、宙を舞ったのは勇者の剣身だった。


『錬金術師』の固有魔法『細胞硬化』を施した私の首は、今は鉄より硬い。勇者の立派な剣が根本から折れて、回転して落下し、床を削りながら数メートル先で止まった。

 勇者は口を半開きにして固まる。現実を受け止めきれなかったのか、私の首を凝視して立ち尽くした。


「なんだよ……お前……何なんだよ!」

 

 ゲームに負けた子供が喚くように勇者が叫ぶ。

 

「私? 私はただの転移者だよ」

「テン……イ、シャ?」と勇者は反問した。それから、何か思い当たる節でもあったのか目を剥いて歯を食いしばり「コドク……ッ!」と唸るように言った。


 コドク、というのがどういう意味なのかは不明だが、その悔しそうな顔にはそそられた。

 なんだかその反応が面白くて私はもう少し遊びたくなった。差し詰め、理科の実験のようなものである。無知で脆弱な勇者に、知識と恐怖を与えるとどうなるのか。

 酒に酔っていたのもあって、私は一つ、勇者心理学の実験に興じてみたくなった。


「ねぇ、知ってる?」と私は問いかける。「『樹術師』は相手の生命力を糧に、基礎ステータスがアップする実が成る樹を作れるんだよ?」


 ほら、と部屋の隅の女を指さすと、丁度、黒いりんごのような形状の実を枝から落とした。命の一部を落とした、と言ってもいい。彼女は大事そうに落ちた黒いりんごをその手に抱えた。


「フィーリア……」と勇者が眉を八の字に寄せながら呟く。勇者くんの恋人だったのかしら? 彼の強靭な心のフレームが歪んでいくのが分かる。絶望はすぐそこまで来ている。

 

「ねぇ、知ってる? 『巫女』は殺した相手の記憶、思い出、感情を部分的に読み取れるんだよ」


 だから、キミの仲間との大切な思い出ももうすぐ私のものになるの。そう告げると勇者は憤怒を目に宿し、息を荒げだす。鼻から吐き出す吐息は今にも襲い掛かってきそうな殺気が伴っている。


「ねぇ、知ってる? 『召喚師』は相手の生命力を使って召喚体を呼び出せるの」


 あなたの生命力で怒れるバーサーカーを呼び出すのも楽しそう、と私は告げると、いよいよ勇者は怯えの色を見せた。

 だけど、内緒の話、実はまだ私は召喚術は使えない。召喚師には会ったことがないのだ。『召喚師』については女神が教えてくれたことだから間違いではないと思うけど。


「オレは」と勇者が口を開いた。


 さて、どんな反応を示すか。

 私は興味深く勇者を見つめた。

 

「オレは勇者だぞ!」


 勇者は切羽詰まった情けない顔で宣った。

 がっかりだった。

 ここからどう活路を見出すのか、そしてその活路さえも潰された時にどんな顔をするのか。それを楽しみにしていたのに。

 斬りかかるんでも、泣き叫ぶんでも良かったけど、肩書きにすがって相手を退けようとするとは。聞いているこちらが恥ずかしくなる。脳みそ詰まってるのだろうか。


「オレは勇者だ! オレに手を出して世界が黙っていないぞ!」

「世界て」と思わず失笑する。「いいや、もう」


 急速に勇者に対する興味が失せていく。

 だけど、ウルトラレアなジョブ『勇者』にはまだ価値があった。

 その最後の役割を果たしてもらおう。


「ねぇ、知ってる?」


 これ以上ないという程、口端が吊り上がる。だめだ。笑いがこみ上げてくる。抑えられない。無意識の内に、耳元まで口角が来ているのではないかと思える程の満面の笑みが顔に浮かび上がる。


「——禁術師は食べた相手のスキルや魔法の一部を使えるようになるの」


 勇者の顔が凍り付いた。今、彼の瞳にはこれから己が辿る慈悲なき運命が映し出されているのかもしれない。それを思うと一層食欲が湧いた。


「ねぇ……知ってる? あなたは私に食べられるために生まれてきたの。この世界に出生した時から、あなたは強者のつもりでいたのかもしれないけれど、実は捕食される側だった。あなたは生贄なの。私が生きるために死ななければならないの。分かる?」


 首を傾げると頬が髪に触れた。

 出来の悪い生徒に教え説くように話すが、勇者の反応はない。ただ、震えながら小刻みの呼吸を繰り返すだけだ。

 もう我慢できない。涎が落ちそう。私は両手を合わせた。


「命をありがとう。いただきます」


 十数分にわたり、勇者の怒りと絶望をはらんだ断末魔の叫びは続いた。生きたまま食われる末路を辿るくらいならば、あの女のように樹に意識を乗っ取られた方が勇者にとっては幸せだったかもしれない。


 この日、人類の希望の象徴——勇者が死んだ。

 勇者がついにこと切れたとき、私の脳裏に勇者の記憶が部分的に流れ込んだ。その記憶は結界を解く方法が分かったときをはるかに凌ぐ、最高の朗報だった。

 見えたのは勇者の手を取って握手する少年。少し癖のある茶髪。くっきりと彫り込まれた二重瞼の奥にのぞく眠そうな瞳。


 間違いない。あの頃から少し大きくなっているけれど、私があの子を間違えるはずがない。


 ——繋ちゃんだ!


 私の愛しい弟。もう一度会いたい。会って抱きしめて、キスをして、愛し合い、拘束し、監禁して、二度と私から離れないように管理したい。

 何度それを夢見たことか。もし、繋ちゃんが傍にいてくれるのなら元の世界に戻ることさえどうでもいい。私は繋ちゃんの元に戻るために魔王討伐を目指していたのだ。繋ちゃんがこの島にいると分かった今、もはや魔王を討伐する必要はない。魔王なんて放っておいて、繋ちゃんと一緒にこの島で生きていきたい。


 そうだ。それなら繋ちゃんにも『樹術師』の『世界樹の心植』を施さなきゃ。そうすれば、寿命も気にすることなく永遠に繋ちゃんと愛し合える。

 逆に魔王は討伐されないように見張っておかないと。元の世界に戻されては永遠の愛は望めない。


 持っていた勇者の手を放り投げ、口を拭う。鮮やかな赤が手の甲に伸びた。

 兎にも角にも、まずは繋ちゃんを確保しなくちゃ。

 私は甘い2人の未来に想いを馳せる。

 あは、あははは、あはははははは!


「最っ高! 待っててね……繋ちゃん!」

 



————————————————

【あとがき】

次話から第4章『重のダンジョンで』がはじまります。

ここまで、たくさんのフォロー、レビュー本当にありがとうございます!

物語はここから更に面白くなっていきますので、是非是非フォロー、レビューお願いします✨✨✨




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