第37話 一筋の光

【中間 つなぐ


 つなぐちゃん、繋ちゃん、と淫らなキスをしながら姉は僕の名前をしきりに呼んだ。

 音声だけ聞けば愛に満ち溢れたセックスに聞こえたかもしれない。だけど、そうではないことは僕が一番分かっている。

 僕の手足は常に拘束されていた。もし仮に手足が拘束されていなくても当時10歳に満たない僕と16歳の姉とでは、力の差も歴然であり、大した抵抗はできなかったと思う。

 約1年間。姉弟の二人暮らしは、実質的には姉に管理された監禁生活だった。


 姉は何をしても完璧だった。勉強も、運動も、料理も、武道も、何をやらせても他の追随を許さぬ圧倒的な差をつけて、1番を勝ち取った。

 だから無理もないことなのだが、両親は常に姉の肩を持った。姉の言うことは基本的に正しい。何をやらせても凡庸な僕の口にする言葉よりも、姉の言葉は重かった。

 両親の転勤を機に、姉と僕の2人暮らしをすると姉が言い張ったときも、僕の反対は聞き流され、あっさりと姉の望む通りになった。

 僕と姉は、父と母とのお互いの連れ子で血のつながりがないから、万が一、恋仲になったとしても一向に構わない、という両親の考えも透けて見えていた。


 姉との暮らしは地獄の日々だった。僕に許されたのは学校に行くこと、それから姉と交わること。それだけだ。

 反抗すれば、食事は出してもらえず、トイレにも行かせてもらえない。垂れ流した排泄物を最も憎む者に処理される気持ちが分かるだろうか。

 そうして、僕は生きる希望もなくし、どうやって死ぬかを考えながらその1年を過ごした。


 僕を地獄の生活から救ったのはたった一台のトラックだ。居眠り運転だったらしい。歩道を渡る姉に猛進し、有無言わさず命を奪ったトラックは、世間的には最低最悪の過失運転致死傷犯だったが、少なくとも僕にとっては救世主だった。

 姉との異常な生活は約1年で終わりを迎えた。


 だけど、姉から与えられた恐怖は僕の心の深くに今も植え付けられたままだ。

 時折、不意に思い出す。

 僕を呼ぶ姉の甘ったるい声。自分本位の歪んだ愛に満ちた声。僕に絶望と恐怖を植え付けた憎むべき姉の、めぐみ姉さんの声。

 


 ——繋ちゃん。


 

 やめろ。


 

 ——繋ちゃん。

 


 やめてくれ。


 

 ——繋ちゃん。


 

 呼ばないでくれ!


 


「——繋!」


 ハッと目を開くと、僕を覗き込む優馬くんの顔が目に入った。

 何故か僕は横たわったまま息が上がっていて、額にはびっしりと汗が張り付いている。身動ぎすると脇に汗の嫌な冷たさを感じた。

 ゆっくりと身体を起こす。敷布団につく手は僅かに震えている。視界に見慣れた調度品たちが映り込んだ。

 ここは……屋敷の僕の部屋?


「大丈夫か?」と優馬くんが僕を気遣う。「お前うなされてたぞ?」

「……うん。大丈夫。……里長は?」


 優馬くんは無念そうにかぶりを振った。


「変わらずだ。里の魔療師が交代で回復魔法をかけ続けてる。それで何とか維持しているって感じらしい」


 再確認できたのは明るいニュースではなく、目を瞑り耳を塞ぎたくなるような気の滅入る内容だった。

 内臓が鉛になってしまったのではないか、と思える程、ずっしりと気持ちは沈み、吐き気すら催す。

 僕が立ち上がって、部屋を出ようとすると背中から「俺たちが行っても何の役にもたてないぜ?」と声をかけられた。

 

「分かってる。でも行きたいんだ」


 部屋を出ると、優馬くんが後ろからついてきた。僕を労るような視線を感じる。あの日から、僕はあまり寝られていない。何かできることはないか、と里長のところへ見舞って、結局何もできずに帰ってくる。そんな毎日を過ごしていた。

 里長はあの騒動で、辛うじて一命は取り留めたものの、未だ意識は回復していない。このままでは危険な状態らしいが、里の魔療師が総出で魔法をかけ続けてもジリ貧なのだ。そう長くは保たないかもしれない。

 

 もっとしっかりと休んでほしいという優馬くんの想いを背中に受けながらも、僕は足を進めた。

 里に並ぶ民家の中には、軒先で舞を舞うエルフが時折見られた。彼女らは赤く腫らした目で、洗練された動きを黙々と行う。

 僕は目を伏せてその横をそそくさと通過した。胸が痛み、同時に怒りにこめかみがズキズキと脈動する。

 エルフは家族が亡くなると、戸口で遺族が三日三晩、鎮魂の舞を舞うのだ。

 戸口で舞うエルフは他にも何人かいた。

 

 若いエルフの暴動で、何名かのエルフ達が犠牲になり、命を落とした。彼らは必死に里長の屋敷を守り、散っていった勇敢なエルフ達だった。

 僕が屋敷にいれば助けられたかもしれない命だ。あるいは外出するにしてもゴブリンをおいて行くとか、そういったことだってできたはずだ。そう思うと罪悪感で遺族と目を合わすこともできなかった。

 

 一方で、防壁外の侵略者——島外の人間だったらしいが——から受けた被害は皆無である。優馬くんとアミ、それからジェノサイドゴブリンの3人が暴れまわり、敵軍はそう時間もかからずに半分以下に減り、撤退して行ったという。

 元凶の勇者と女神官は取り逃がした、とアミが悔しそうに言っていた。

 大男と女魔術師は優馬くんが仕留めたみたいだ。こればかりは仕方がない。相手が引かない以上は、たとえ人間であろうと、殺すしかない。

 なんにせよ、仲間の犠牲者を一人も出さなかった優馬くんとアミは流石だ。それに引き換え僕は……。


 里長の部屋に入ると、中は薄暗く、ベッドを3人のエルフが取り囲み、魔力を行使していた。

 魔療師による回復魔法だ。

 里長の様子は昨日と変わらない。肌は青白く、目の下に痣のような窪みができている。瞼は固く閉ざされ、ぴくりとも動かない。一見すれば死んでいるようにも見える程、容態はよくなかった。


「臓器が一部損傷してるらしい。この里のエルフでは魔法による完治はできないって話だ」


 背後で優馬くんがそう言った。

 里長の腹の傷跡は塞がっているように見えるが、やっぱり目は開かない。

 今里長に施されているのは延命治療だ。この里の次なる長が決まるまで、現里長には生きていてもらわなければならないという。


 僕は魔療師の後ろから里長の様子を見守った。

 だが、やがてそれすらも苦しくなり、結局部屋の戸口付近まで数歩下がる。

 ここでも僕は無力だった。

 里長を守ることに失敗したばかりか、僕は回復魔法すらも使えない。

 まただ。また、僕には何もできない。

 新里さんのときと同じだ。新里さんを消した時に、もう誰も失わない、と決めたはずなのに。それなのに、僕は——。


「あれじゃダメだよ。だって、あの魔療師、精々30レベくらいじゃん」


 後ろから少し舌足らずで鼻にかかった声がした。振り返ると、優馬くんの横に、いつの間にかアミが腕組みして立っていた。


「レベルが見えるのか?」優馬くんが訊く。

つなぐに召喚される前に、街で見た魔療師連中と同程度の回復魔法だから、だいたいそれぐらいかなって思っただけ。でも、そう外れてもいないと思うけど」

「30じゃゴーレムも倒せないぜ」


 別に魔療師がゴーレムを倒す必要はないと思うが、レベル30では魔法の出力が上がらないのは確かだ。

 僕の場合は召喚魔法だから、あまり関係ないが、普通の魔法の威力は『魔力』と『知力』のステータスに依存しているようだ。だからレベルが低いとステータスが上がらず、魔法の質も落ちるのだ。アミはエルフが魔法を行使する際の発光の具合から、魔法の質を感じ取ったのだろう。


「もうあのジジエルフ死ぬよ」


 アミがどうでも良さそうに言った。

 僕は咄嗟にアミを睨みつける。アミは少し意外だったのか、眉を上げてから、「なるほどね。ご主人たまの望みはジジエルフを救うことってわけ」と肩をすくめた。

「ご主人たま、て」と優馬くんが呟く。

 僕は一縷の望みをかけて訊ねる。「アミなら……里長を助けられるんじゃないのか?」


 アミなら、それもできる気がした。何かとっておきの秘策を隠しているような気配に僕は期待する。いつだって、窮地に陥った時はアミが突破するきっかけをくれた。今回だって、とそう思った。


 ——だが、


「あたしは回復魔法はてんでダメ。殺す専門だから」

「害にしかならん奴だな」と優馬くんがまた呟く。


 目を瞑り、顔を俯ける。最後の望みが断たれた。本当にもう成す術はない。里長の死は確約された。

 しかし、目を閉ざした暗闇の中で一筋の光が差した。その光はやはり、アミの声だった。アミが「ただ——」と口にする。


「ただ、助けられる可能性はあるけどね」

 僕は目を開き、勢いよくアミを向いて、言下に訊ねる。「どうしたらいい」


 アミはそんな僕の様子に、目を細めて楽しむように味わってから、ゆっくりと口を開いた。


「ダンジョンよ」

「ダンジョン?」と反問したのは優馬くんだった。

「うん。ダンジョンは未知のアイテムに満ちているの」

「未知が満ちてる、ってか?」


 優馬くんの親父ギャグを無視してアミが続ける。


「高難度のダンジョンでは、宝箱から回復アイテムが見つかることが多いし」

「なんでダンジョンに宝箱なんてあるんだよ。未踏の地だろ? おかしいだろ!」

「あたしに聞かないでよ。実際そうなんだからしょうがないじゃん。ダンジョンの客寄せシステムかなんかでしょ」


 納得がいかなそうな優馬くんは尚もアミに突っかかろうとしていたが、一旦僕が手で制した。


「待って優馬くん。今、ダンジョンの謎は一旦置いといて。それで……アミはダンジョンの回復アイテムで里長を治せる、とそう言いたいってこと?」

「そゆこと」アミが両手の人差し指を僕に向けた。

「そんな重症のケガも一瞬で治せるアイテムがあるのか?」と優馬くんがまた訊ねる。黙っていられないタチらしい。だが、重要な質問なので僕も耳を傾けた。


 しかし、アミはここにきて、「さぁ」と肩をすくめて曖昧な返答をした。

「さぁ、ってお前。テキトーかよ」

「だから、未知だって言ったでしょ。少なくともこの島の外では、そんな奇跡の薬、見たことない。でもこの島は明らかに異常じゃん。魔物の強さも、得られる経験値も、ダンジョンの難易度もあのゴーレムを見る限り島外とは比べ物にならないでしょうね。だから、アイテムだって相当なお宝が期待できると思っただけ」


 優馬くんが「そんなテキトーな推理あるか」とまたアミに突っかかると、「はぁ? 何の意見も出さない役立たずに言われたくありませんー」とアミが応戦する。


 僕はまた手を向けて2人を止めた。2人は同時に黙って僕の方を向いた。


「いや、優馬くん。これはひょっとしたらひょっとするかもしれないよ」


 僕がそう言うと、アミは勝ち誇った顔で優馬くんを見下す。


「おいおい、まじで言ってんのか? 根拠も何もないんだぜ?」

「うん。確かに根拠はないけど。でも、例のダンジョンシステムの目的が客寄せにあるのだとしたら、魔物から受けるダメージと回復アイテムの質は釣り合ってるはずじゃない?」


 大ダメージを与えうる魔物が跋扈ばっこしているのに、かすり傷しか回復できないアイテムでは客——ダンジョン挑戦者は寄って来ない。ならば、やはり回復アイテムもかなり効果の高いものであるはずだ。


「だが、あのゴーレムがいたダンジョンだぞ? 相当ヤバい感じがする」

「何ひよってんの? てか、そもそもダンジョンは準備ができたら挑むって話だったし」


 アミは口に手を当てて、ぷぷぷ、と優馬くんを嘲笑う。

 だが、優馬くんの言うことも分かる。このダンジョン攻略はかなり危険な道になるだろう。

 里長を救うために、仲間を失うなんてことは絶対にあってはならない。


「確かにあのダンジョンの攻略は相当な危険が伴う。だから、今回は僕一人で——」


 言い切らないうちに、バァン、とアミが扉を強く蹴飛ばした。さっきまで笑っていたのに、今はその深紅の瞳を、研ぎ澄まされた刃を突きつけるように、僕に向けている。


「ふざけたこと抜かさないで。繋が行くならあたしも行く」


 僕がソロで挑むと提案したことがよほど不快だったのか、眉間に不機嫌な皺を作ってアミはそう言った。優馬くんがそれに続く。


「そうだぜ、繋。お前が行くなら俺も行くに決まってんだろ。前も言ったがな俺たちゃ、ニコイチだろ」


 だからお前も魔王討伐に付き合え、と言われているような気もしたが、それでも今は優馬くんの言葉は心強かった。


「繋、良い機会だから言っておくけどね」とアミが口を開く。「もし繋に何かあったら、あたしエルフの里燃やすから」


 肌が粟立つ冷たい目でアミはそう告げた。冗談とは到底思えなかった。『だから、絶対に死ぬな』というアミのメッセージなのだろう。エルフの里はいわば『人質』なのだ。僕が無茶なことをしないための。

 僕に破滅願望があることを、どこかアミには見透かされていたのかもしれない。


「……分かった」と僕が告げると、アミは返事をせず、ぷい、と視線を逸らした。

「よし、そうと決まれば、この3人で遺跡のダンジョンを——」


「待ってください!」


 攻略だ、と優馬くんが言おうとして、彼の言葉は遮られた。

 部屋の戸口にペトラが立っていた。いつからそこにいたのだろう。まるで気配を感じなかった。

 ペトラは珍しく怒ったように眉を吊り上げて口をキュッと堅く結んでいた。

 彼女は一度、寂しげに里長を見つめてから、僕に視線を移す。


「そのダンジョン、私も行きます!」


 

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