第34話 守る戦い


【ペトラ・シャルル・ミユキ】


「まさかお前が結界師だったとはな。ペトラ」


 若者エルフの筆頭、ジェニファが言った。

 ぎり、と奥歯で音が鳴る。魔力の激しい消耗に歯を食いしばって耐える。

 対物結界、対魔結界、回復結界、止血結界。これらの結界を360度、ドーム状に重ねて張り巡らし、里長の部屋を守っていた。

 私は神に祈る思いで空を見上げる。赤い光が揺らめくように空を照らしていた。屋敷のあちこちで火が上がっているからそのせいだろう。

 なんにせよ空が見えたのだ。里長——パパの部屋から。


 パパの部屋の天井が吹き抜けになっているわけでも、火事で焼け落ちてしまったわけでもない。

 鉄塊砲撃や魔法攻撃で壁も天井も、全て破壊されたのだ。私とパパが無事なのは間一髪で結界が間に合ったからに他ならない。


パパの部屋があった場所にはもはや柱や梁の残骸が散らばるのみで、そこに私がドーム型の結界を展開し、さらにその結界を若いエルフ集団が四方八方取り囲んでいた。


「まったく忌々しい結界だな。魔法でも砲撃でも破壊できないなんて」


 ジェニファは舌打ちをして、顔を歪める。

 散々砲撃や魔法を叩き込んでも結界に傷一つ浸けられないことに苛立っているようだった。しかも、その結界を張ったのが私であるから、尚更気に食わないのだろう。

 

「ペトラのくせに生意気な」とジェニファが鼻を鳴らして嘲笑する。「野兎のうさぎ一羽ですらも仕留められないペトラが結界師!」


 ジェニファは、これは傑作だ、とでも言うかのように手を叩いて嗤った。

 かと思えば、引き笑いの後、少し間があってから、唐突に能面のような真顔になり、


「殺すぞ」


 ジェニファが大砲に設置された発動石に手を置くと、大砲が轟音と共に砲弾を吐き出した。黒い鉄の砲弾は途轍もない弾速で飛んで来て、私の目の前で弾かれ、ゴロゴロと転がり、一体いくつ目になるかも分からない散乱した砲弾の群れに加わった。

 今の攻撃を防いだことで、私の魔力はまたガクッと消費される。


「猪の1頭すらも倒せない。ゴブリンの1体すらも殺せない。そんなお前が、我らの聖戦にしゃしゃり出てきて良いと思っているのか?」

「何が聖戦ですか。こんなのただの人殺しです」


 ジェニファはにっこりと笑う。


「そうさ。我らエルフ族の繁栄のための尊い殺しだよ。生きるために鹿や猪を殺めるのと、似てるかもしれない。感謝して、糧にする。これでも里長には感謝してるんだ。ここまで育ててくれたことにね。だけど、エルフがエルフらしく、尊い生を全うするためには、里長には死んでもらうしかない」

「そんなことさせません。パパは私が守ります」


 横目にパパの様子を確認する。苦しそうに横たわり、片腹を押さえていた。押さえた手は赤く染まり、地面に赤黒い血だまりを作る。私が結界を張る前の砲撃で、パパは吹き飛ばされ、破壊された壁の残骸が腹に刺さっていた。

 一応回復結界と止血結界は張っているが、回復結界は体力をじわじわと微量に回復させ続けるものであり傷を治すものではないし、止血結界に至っては流血を止めるだけだ。応急処置程度にしかならない。

 早く魔療師に診てもらわないと、パパの命が危ない。だが、結界を解けばたちまち集中砲火を浴びることになる。

 結局私にできるのは結界を張り続けることだけだった。


「一体どうやって守るって言うんだ?」とジェニファは両腕を広げる。「お前にこの状況をどうにかできるのか? ご自慢の結界で。無理だろ。お前には僕らを倒すことなどできやしない」

「倒せなくても……守ることはできます!」


 ジェニファは仲間と顔を見合わせ、肩をすくめた。


「現状を見ろよ。ペトラ。お前、もうすぐ魔力尽きるんだろ?」


 心臓が凍る思いだった。隠していたことがバレている。

 どうやっても結界を破壊するのは不可能だとジェニファが判断して諦めてくれるのを私は待っていた。それだけが唯一、私とパパが助かる道だったのだ。だが、この鉄壁の守りも永久ではない、と看過されていた。


「その結界が切れた時がお前の人生が終わる時だ。お前はこの大砲で——」ジェニファは大砲を軽く叩く。「——お前の親父ごと、吹き飛ばされる。木っ端微塵にな。それもこれも、お前が弱いせいだ。お前が我らを退ける力がないからだ。違うか?」

「それは……」


 違う、とは言い切れなかった。

 ジェニファの言うことにも一理ある。私がもっと強ければ。ママや、他のコドク様方のように、戦う力、相手を打ち破る力を持っていれば、もしかしたらこの窮地を脱することができていたかもしれない。パパが怪我をしなくてすんだかもしれない。

 私が弱いばっかりに。私が戦えないばっかりに……。


 ——別に倒さなくていいんだよ。倒さなくたって、人は守れる


 不意に頭の中に、つなぐさんの声が反芻した。

 生じていた迷いを、握りつぶすように私は手を固く握る。

 そうだ。そうだった。戦う力がない私に、繋さんは誰も倒さなくていいって言ってくれたんだ。他の方法で戦えばいい、と言ってくれた。

 私は誰にバカにされたって構わない。兎すら狩れない出来損ないと言われたっていい。だけど、私が私を否定するのはダメだ。それは、私を認めてくれた繋さんを否定することだから。


「私は守る戦いをします! あなたなんかに絶対に負けない!」

「あっそ。あと何分もつか、見物だな」


 その後、絶え間なく砲弾や弓矢を受け続け、10分ともたず、私の魔力は枯渇し、結界が明滅して消えかかる。

 立っているのもやっとだった。かすれた自分の呼吸がうるさい。もうこれ以上、攻撃を防ぐのは不可能だ。

 次の砲撃で、全てが、終わる。


「ハハハハハ、結局そうなるよな! 口先だけ立派なことを言っても、実力が伴わなければ何の意味もない」


 ジェニファが嬉しそうに白い歯を見せる。

 焦らしに焦らされた肉食獣がようやくありつけた食事にかぶりつく寸前のような恍惚とした顔で、ジェニファは大砲を撫で、私に告げる。


「守る戦い、しかと見させてもらった。ご苦労様。だけど、お前がここまでしてきたことは結局全て無駄になったな」


 さよならペトラ、とジェニファが発動石に手を伸ばした。

 ここまでか。私は目を瞑って死に備えた。もはや私にできることは何一つない。

 結局守れなかった。ここまで何とか悪あがきしてみたけど、ジェニファの言う通り、全てが、無駄に——


「そうでもないよ」


 幻聴かと思った。

 声が聞こえた。私を奮い立たせる声。勇気をくれる声。私が今、何よりも求めていた声。

 だから、死の間際に無意識のうちに、ありもしない声を聞いて、どうにかこうにか希望を見出そうとしているのかと思った。

 だが、そうではなかった。


 どこからか跳躍して来たのか、彼は私の目の前に着地した。

 直後、雷が落ちるような轟音と共に大砲が反動に揺れ、途轍もない弾速で鉄の塊が飛んできた。


「繋さん! 危な——」


 私の声は繋さんに届くことはなかった。そもそもそんな心配は必要なかったのだ。

 繋さんは握った拳で、飛んできた砲弾を殴りつけ、地面に叩き落とした。芯の詰まった鈍い金属音がして、砲弾が地面に埋まる。砲弾の表面は繋さんの拳の形に凹んでいた。


「ペトラのおかげで間に合った」


 ジェニファを見据えながら、繋さんはそう言った。

 情けないことに私は安堵から腰が抜けてしまい、その場に崩れるように座り込んだ。


「繋、キミは魔法職じゃないのか?!」


 いつの間にかヤンがいた。口を金魚のようにぱくぱくさせていたかと思えば、繋さんに詰め寄ってそう訊いた。


「そうだけど」と事もなげに繋さんが答える。

「そうだけど、ってキミ。なんだい、今の有り得ないパンチ力は! 砲弾を殴りつける人をボクァ初めて見たよ!」

「ああ。それはね、アーミーゴブリンを100体召喚してるから筋力が30%増しになってて、で更にジェノサイドゴブリンもいるから乗算で20%——」

「——待て待て待て! 何言ってんのか分からん!」


 ヤンと話す繋さんを、ジェニファは忌々しそうに睨んでいた。


「コドクのガキか。貴様、それで勝ったつもりか? 我らの戦力はこの大砲だけじゃない」


 ジェニファが周りのエルフの同志を見回して、勝ち誇った顔を見せる。

 だけど、繋さんは全く動じない。ヤンは同情するような眼差しをジェニファに向けていた。


「仲間なら僕もいるんだ」と繋さんが言う。「もうすぐ着くと思うんだけど」


 ちょうど繋さんがそう言った時だった。

 ざっざっざっざ、と揃った足音が薄っすら聞こえて来たかと思えば、それは次第に大きくなっていき、やがて列を成した大量のゴブリンが行進しながらやってきた。

 そして1体のゴブリンがゲギャゲギャと何やら叫ぶと列を成していたゴブリン達が一斉に散って、ジェニファとその仲間を包囲した。

 ジェニファは目を剥いて、口を痙攣させるように開いて閉じてを繰り返していた。


「このゴブリン、行進しないと進めないのか」とヤンが呆れた顔で言う。

「多分命令すれば普通に走れるんだろうけど、基本移動は行進っぽいね」

「面倒な奴らだな!」


 私たちを取り囲むように円状に配置されている若いエルフ達を、ゴブリンは更に大きな円で包囲する。二重の円ができていた。エルフ達の弓は私たちではなく、外側のゴブリンに向けられている。皆警戒の色を強めていた。


「勝ったつもりか、って言うけどさ。別に僕は勝ってない——」


 繋さんは嬉しそうに、そして誇らしげにそう言った。

 この状況はどう見ても繋さんの勝ちだと思うのだが、繋さんはそれを否定する。

 不意に繋さんが私を一瞥した。


「——この勝負はペトラの勝ちさ」


 その言葉で、固まって放心していたジェニファが我に返り、目を剥いて叫んだ。


「我らがペトラ如きに負けるだと? ふざけるな! そんなことがあってたまるか!」

「ふざけてなんかいないよ。キミは十分に時間があったのに、ペトラを攻め落とせなかった。ペトラは里長を守り切ったんだ。紛れもなくペトラの勝利だ。負けたんだよキミは」


 繋さんはそれだけジェニファに告げると、座り込む私に振り返り、優しく笑った。


「よく頑張ったね。ペトラ」


 身体がじんわりと熱を帯び、心臓が喧しく高鳴りはじめる。繋さんを見ていると、一層顔が熱くなり、鼓動は加速する。

 私は慌てて視線を逸らした。安堵とか、歓喜とか、尊敬とか。そういうものももちろんあるけど、コレはそれだけじゃない。

 得体の知れぬ昂りに混乱する私を他所に、繋さんは「さて」と翻って私に背中を向けた。そしてジェニファに言う。


「大丈夫。殺しはしないよ。ヤン坊に感謝しな」


 繋さんがパチンと指を鳴らすと、ゴブリンが一斉にエルフ達に襲い掛かった。

 ゴブリンは恐ろしく強かった。あきらかに普通のゴブリンとは違う。多分もっと上位存在なのだろう。

 四方八方、どこを見てもゴブリンによる一方的な暴虐が繰り広げられていた。

 ゲギャゲギャと楽しそうに騒ぐゴブリンの声に重なって、骨が折れる痛ましい音も聞こえて来る。

 それからしばらくの間、エルフの悲痛の叫びが辺り一帯に響き続けた。

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