第33話 躊躇い
【町田優馬】
俺が剣を抜こうとした時、アミの隣から小さな赤い影が動いた。
ジェノサイドゴブリンだ。
ゴブリンはぴょん、と小さな身体をばねのようにして、壁から跳び下りた。かと思えば、その歩幅でよくもまぁ、と思えるような驚くべき速度で、敵軍に猛進しはじめる。
敵軍からはゴブリンを笑う声が上がった。今度の笑いは腹の底からの笑い——嘲笑だった。
「ぷっ、ゴブリンが1匹つっこんでくるぞ」
「なんだあいつ、ハハハハハ!」
「だはははは、勇敢なゴブリンだ! ご褒美やらなきゃな!」
「ばか、わら、笑ってやるな、ぶふぅ、敵さんの切り込み隊長なんだから!」
彼らは指をさして笑い、腹を押さえて涙をぬぐう。
ゴブリンを揶揄する声は、隣へ隣へと波及していき、あっという間に軍全体に広がった。もはや軍そのものが笑う怪物のように見えた。
まもなくジェノサイドゴブリンが戦線に到達する。
戦端は頑強な鎧をまとった敵兵だった。その口は三日月型に歪み、その目は獲物を見つけた獣のように獰猛にゴブリンを捉える。
兎をいたぶる獅子。彼は自分が獅子のつもりだったのだろう。敵兵は持っている剣を振り上げた。——振りあげたはずだった。
次の瞬間、その振りあげたはずの腕が大地にぼとり、と転がった。
熟れた果実が枝を離れ地に落ちるが如く、男の剣を持った腕は土の上に落下し、バランスを取るように少し揺れてから静止する。柄を握った指すらも、その瞬間を切り取ったかのように、力強く柄を包んで止まっている。しかし、その指が自らの意志で開くことはもう二度とない。
敵兵は痛みに叫びながら、腕を押さえて尻餅をついた。そのまま後ずさろうとしたが、片手ではバランスが取れずに無様に転げた。切断面から噴き出る血が男の顔と身体を濡らす。
ジェノサイドゴブリンはゆっくりと男の腕を拾い上げると、へたり込む男に差し出した。ゴブリンは、アヒャアヒャアヒャ、と恍惚の顔で何やら喋っている。ゴブリンの口から発せられる言葉は、俺には分からない。だが、笑っているであろうことだけは理解できた。
軍の中に、恐怖が波及した。堰を切ったように叫びや、怒号が重なって据壁まで聞こえて来た。
怒りに剣を振るう者、恐怖に動くことができない者、未だジェノサイドゴブリンの強さを認められず、何かの間違いだと思い込む者。多種多様な反応を示す敵兵たちは、しかし、結末は皆同じ。一様に首をはねられ死が与えられた。
ジェノサイドゴブリンは赤黒い肌を、更に鮮血で赤く染める。ゴブリン語で何かを喋りながら、楽しそうに人を狩る。もはやサイコパスな殺人鬼にしか見えなかった。
「なに、あいつ……いっちゃってんじゃん」
アミが頭の近くで指をくるくると回してから、ぱっと開いた。
アミの相手をしている余裕など俺にはなかった。無意識に舌打ちが漏れる。
(出遅れた……ッ!)
敵兵はイカつい見た目に反してかなり弱い。というか、少し弱すぎないか?
あのゴブリンが尋常じゃない強さであることを差し引いても、敵兵のあっけなさは想定外だった。
「ゴブリン如きに何やってる! 早くそのゴブリンを殺せ!」
勇者グレイが目を血走らせて唾を飛ばす。
それから奴が「
すると、明らかに他の兵士とは鎧の質が異なる男女4人組がゴブリンが暴れる戦線に向かおうと駆けだした。
おそらくとっておきの精鋭部隊なのだろう。これを逃す手はない。俺は据壁から下りて、剣神隊とやらの進行に割り込むために、大地をえぐる勢いで思い切り地を蹴って駆けた。風が髪の毛を押さえつける。空気抵抗からか体に強い圧を感じた。
後ろから聞こえる「はぁ?! ちょ、どこ行くのよ!」というアミの声を置き去りにして、俺は剣神隊の前に立ちはだかった。
こいつらは逃さない。俺の経験値だ。
剣神隊先頭の男が俺をその目に捉えると、間髪入れず斬りかかってきた。斬撃が迫る。型はしっかりしている。知らない型だが基本は押さえているようだ。
——だが、遅い。あまりにも遅すぎる。
俺1歩身を引くと男の剣先が面前を通過していく。余裕をもってそれを見送ってから、自分が描く斬撃のラインを頭でイメージして狙いをつける。
奴が遅いから考える時間は——戦闘の刹那とはいえど——十分あった。
だが、俺は考えるのをやめた。考えれば、剣が鈍る。
俺は慣れなければならない。人を斬る感触に。そいつの家族や恋人から、そいつを奪うという行為に。人を殺す、ということに。
考えれば、俺は迷う。だからもう考えない。
俺は、殺る。殺れる。
横一文字に振った剣は、首の皮に刃が食い込んだ瞬間に少し重くなり、骨に当たって更に衝撃が手に返ったが、それも一瞬。その後はすこん、と空を斬るように抜けた。剣の軌跡に沿って血が線を描く。
人を殺した。
俺は今、人を殺したんだ。
手に残る生々しい斬首の感触と、剣先からぽたぽたと滴る血の音が、今、自分が何をしたのかを改めて突きつけてくる。
俺は残った剣神隊3人に目を向けた。彼らは目を見開き、動揺を瞳に映している。おそらく俺も同じような顔をしているだろう。
「だが」と俺は自分に釈明する。
これは戦争だ。俺を殺しに来る奴らを俺が殺して何が悪い。
俺はエルフの里を守らなければならないし、魔王を倒して転移者の皆を元の世界に戻さなければならない。
そうだ。倒すんだ。殺すんじゃない。倒すんだ。
俺は守るために、敵を倒す。それが唯一の方法なんだ。この過酷な世界で俺たちが生き残るための。
俺を肯定するようにレベルアップの快感が身を包み、罪悪感や自責の念がすっかり塗りつぶされていく。
こいつは転移者ではない。それで、これ程の経験値量、か。俺は小さく笑みをこぼした。
「そんな……ばかな……ッ! 剣神隊の隊長が……一撃で」
「隊長ォ!」「隊長ォォオオオオ!」「嘘だ!嘘だって言ってください!」「貴様ァ! 卑怯な! 何をしたァ!」
余程、慕われていたのか、俺が倒した奴の周りの兵士たちが口々に騒ぎ出した。
「何をしたって——」
俺が彼らに振り返ると、それを機と見たのか、剣神隊のうちの1人——目から下を布で隠した女——が俺の背後を取って、剣を振りかぶる。
俺は闘気感知というパッシブスキルで大体の敵の位置は常に把握している。だから、一瞥もくれずに女を斬ることなど、朝飯前だった。
と思ったが、若干ずれていたようだ。俺は首を狙ったつもりだったが、息絶えた女を見ると、女の顔を隠す布が鼻と口の間辺りで真っ二つになっていた。当然、女の顔もそこで切れている。少し間があってから女は地に倒れた。水を地に叩きつけるような音がした。
「サラァァアア!」と女の名前らしき言葉を叫びながら、また別の剣神隊が突っ込んでくる。彼の目は憎しみに満ち、剣を単純な太刀筋で力任せに振り回す。その背後に息を殺すように気配を断って忍び寄る4人目の剣神隊員にも俺は気付いていた。
彼らの攻撃の隙を縫うように剣を這わす。斬り抜いた後、彼らが地に崩れる音を俺は背中で聞いた。
剣神隊はわずか数分の間に全滅した。
「——何をしたって? 俺はただ斬っただけだぜ」
再び莫大な経験値が入る。
もはや何故、斬ることを躊躇っていたのか分からなかった。連続するレベルアップの感覚が心地良い。自然と口元が緩んだ。もっと。もっと経験値を。
「来いよグレイ。勇者の実力、見せてみろ」
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