第31話 占拠


 屋敷に向かう途中、エルフ達は右往左往して逃げまどっていた。

 防壁の方へ逃げるエルフもいれば、僕と同じように燃えた屋敷に向かっているエルフもいる。戦うのか、逃げるのか、逃げるとしたらどちらへ逃げるのか。意志が全く統一されておらず、エルフたちは途方に暮れていた。

 無理もない。本来であれば、こういった緊急時は里長が方針を決める。だが、今はその里長の屋敷が燃えているのだ。里長の安否も所在も分かっていない。

 

 次の角を曲がれば屋敷の入口に出る。

 だが、角を曲がる直前、僕は唐突に民家の敷地内に引っ張り込まれた。

 抵抗しようとした時、聞きなれた声が耳元で「しっ」と囁いた。

 民家の門扉の影で、僕は押さえ込まれたまま息を殺す。

 直後、数人の足音が近づいて来た。

 

「おい! 聞いたか? コドクらがいないらしいぞ」

「ペトラもだ! コドクはどうでもいいが、ペトラは絶対に見つけろ! 里長の一族は生かしておくな」

「分かってる。だが、ちょっと同情しちまうぜ。里長の娘であるばっかりに殺されるなんてよ」

「仕方ない。これからのまつりごとは俺ら若い世代が担っていくんだ。里長の娘なんざ生きていたらまた争いの種になるだろうが」

「だから分かってるって。ただ少し可哀想だって思っただけだ」

 

 声からは全く判別がつかないが、内容からして若いエルフの集団のようだ。そして、この事態を巻き起こした側のエルフだということもほぼ確定だろう。

 彼らは話しながら遠ざかっていった。

 

「もう大丈夫だろ? 離してくれよ、ヤン坊」と僕が振り向いて言うと、ヤン坊は僕を解放してくれた。

つなぐ、屋敷は危険だ。逃げた方がいい」ヤン坊は険しい表情で燃え上がる屋敷を見上げた。

 僕はそれには答えず「ペトラがこっちに来たはずなんだ。見なかったか?」と訊ねた。

 

 ヤン坊は一瞬目を見開いてから、すぐに苦虫を噛み潰したように顔を歪める。

 

「ペトラはインビシブルベールが使える。姿が透明になる皮膜結界だ。おそらくそれを使って屋敷に忍び込んだんだろう」


 その口振りからヤン坊はペトラが結界師であることを知っているようだった。

 僕の視線に気付き、ヤン坊は苦笑する。


「ボクとペトラは幼馴染なんだ。繋たちもペトラのジョブを聞いたんだろ?」

「うん。じゃあヤン坊も」

「ああ。ペトラに、コドク様方にはちゃんと真実を伝えた方が良いと助言したのは、何を隠そうこのボクだ」


 ヤン坊はにやりと笑って言下げんかに答えた。

 

「ペトラを助けないと。ヤン坊、協力してくれ」

「そうだな。こうなったらボクも覚悟を決めなきゃな。エルフってのは、みんな肝が据わってるんだ。やるとなれば大胆にいくのさ」

 

 そのせいで、こんな大胆な犯行に及んだのでは、と思ったが黙っておいた。

 

「で、作戦は?」とヤン坊が訊く。

「作戦? そんなもの考えてる時間がもったいないよ」


 僕がそう言うと、ヤン坊は「は?」と、ぴんと来ていない様子だった。

 だから、僕は分かりやすくヤン坊の手首を掴み、今度は僕が引っ張る形で最後の角を曲がった。

 ヤン坊の顔から血の気が引いて行く。エルフ肝が据わっている説は今瓦解した。

 

「強行突破だ」

 

 僕は屋敷入口に固まっているエルフ集団を見据えながらヤン坊に告げた。


「いたぞ!」「コドクだ!」「捕えろ!」と口々にエルフ達が騒ぎ立て、その次には横殴りの矢の雨が降って来た。

 僕はヤン坊を引っ張ってまた角に隠れ、矢をやり過ごした。

 再び角から顔を出すと、エルフ軍団が弓につがえる矢が全て僕に向いているのが見えた。

 的確に僕の顔に向け1本、矢が射られる。僕は顔を引っ込めて矢を躱した。

 

「なんで飛び出す! バカなのか、繋は!」

「あんなにいきなり撃って来るとは思わなかったんだよ」と弁明するが、「バカだ、繁は!」と今度は断定された。

 

 立てこもる犯人に告げるかのように、エルフの代表者がよく通る声で呼びかけて来た。


「無駄な抵抗は止めろ。大人しく出てくれば、里からの追放程度で済むかもしれんぞ」


 僕はヤン坊に顔を向ける。ヤン坊は「嘘だろうね」と呟いた。

 

「じきに里長も始末できる。そうなれば、お前らの後ろ盾となる者はもはや皆無だろう。お前らを守ろうとするやつから順に処刑台に送られるのだからな。誰もお前らを助けようとはしない」

「なんでエルフ同士で殺し合うんだよ。キミ達は何千年も苦楽を共にした仲間なんじゃないのか」


 僕は角に隠れながらも叫び返した。

 

「ふん。俺らは皆まだ1000年も生きてない若いエルフだ。だが、これからは俺らのような若い者の時代なのさ。古いしきたりや儀礼などクソの役にも立たん。エルフだけで、エルフのための政治を行うんだよ。お前らコドクはもはやエルフ族には不要だ」


 聞く耳持たず。もはや説得に費やす時間は無駄だと言えた。

 

「キミ達も不満があったのは分かったが——」僕は体内の魔力を動かしはじめる。自分の中に溜池のような膨大な魔力の源があり、そこから全身に魔力を巡らせる。「——だけど、キミ達はやり過ぎた」

 

 僕らを追い出そうというならそれは構わない。もともと僕らはよそ者で、邪魔者だ。追い出されても仕方がない。

 だが、里長やペトラを殺そうっていうのなら、僕だって黙って見ている訳にはいかない。

 里長やペトラは、よそ者の僕らを優しく迎え入れ、助けてくれた。大きな恩がある。

 

「ハッ、言ってろ。どうせお前には何もできない。見ろ、この人数を。この正門だけで軽く30人は超えている。お前 1 人がどうあがいたところで無駄なのさ。戦いにもなりゃしない」

 

 エルフのこちらを侮る声を聞いて、僕は唐突に胸が疼きだした。こめかみ辺りがドクドク、と脈動するのを感じる。僕の意思とは別に血が沸騰するように騒ぐ。

 

「たった1人、だって?」


 口角が吊り上がるのを押さえられなかった。僕が魔力を解放したら、いったい彼らはどんな顔をするのだろう、と考えるとワクワクした。いつから僕はこんなに好戦的になってしまったのか。

 きっとアミのせいだな。そう結論づけてから、僕は全身に巡らせた膨大な魔力を行使する。


「来い、アーミーゴブリン!」

 

 光の粒子がそこらかしこで召喚体を形成しはじめる。それは初め僕の周囲で起こっていたが、次第にスペースが足りなくなり、角の向こうにもあふれるように形作られていった。

 鎧をまとった大柄のゴブリン達が大量に召喚された。10体、20体ではない。軽く100体を越える。

 隣を見ると、ヤン坊が口をあんぐり開けて固まっていた。

 

「な……ッ!? なんで魔物がこんなところに!」


 驚愕の声と共に、アーミーゴブリンに向けて矢の雨が襲い掛かる。

 だが、アーミーゴブリンは人間よりも皮膚が固いのか、あるいは全ての矢が剣や盾で弾かれたのか、1本もゴブリン達に刺さらなかった。

 

『総司令官、ご命令ください』

 

 1体のアーミーゴブリンがキビキビした動きで僕に敬礼してから指示を求めてきた。


 ——皆殺し

 

 というアミの声が脳裏に響く。

 奴らは里長とペトラを殺そうとしたんだ。人を殺そうとする奴らは自分が殺されたって文句は言えまい。いい。殺ってしまおう。こんな奴らを生かしておいたって、後々、復讐を企むに決まっている。

 僕が口を開きかけた時、ヤン坊が「繋!」と声を上げた。

 僕は口を閉じ、視線をヤン坊に向けた。

 

「頼む。奴らを殺さないでくれ」必死な形相でヤン坊が懇願する。

「……だけど、あいつらは里長やペトラを殺そうとしてるんだよ?」

「ああ。だが、まだ殺してはいない。こんな奴らでも里の一員なんだ。こんな大勢の若者が一度に死んだら里は衰退してしまう! 頼む。必ず里長やペトラは助けるから、こいつらを生かしておいてくれ!」

 

 ヤン坊の必死な声で、スッと僕は冷静になった。

 なんで、僕はエルフたちを殺そうとしていたのだろう。

さっきまでの自分の考えが、僕は理解できず、よくわからぬままに人を——エルフを——殺そうとしていたことに、ぞっとした。

 

『どうしますか、総司令官』

 

 再びアーミーゴブリンは命令を催促する。

 僕は目を閉じて、スッと息を吸い、ふぅー、と頬を膨らましながら吐いて心を落ち着かせた。

 それからアーミーゴブリンに向け、声を張り上げる。

 

「全員戦闘不能にしろ。ただし、殺すな」

『イエッサー!』


 アーミーゴブリンは列を成して、エルフたちに突撃しに行った。

 もはや軍隊である。

 

「お、恐れるな! 数はいてもたかがゴブリンだ! 皆殺しにしてしまえ!」


 そう叫ぶエルフの代表は目が血走り邪悪に歪み、人の命を奪うことを何とも思わない黒い思考に支配されていた。


 ——まるで魔物。

 

 そう思うと同時にさっきまでの自分を見ているような錯覚に陥り、嫌な汗が粒になって額に浮いた。

 僕はいったい何に支配されていたのか。怒りか。力か。あるいはもっと他の何か。

 僕の動揺とは無関係に、アーミーゴブリン達は恐れや躊躇いなど微塵も感じている様子もなく、エルフたちに肉薄し、蹂躙しはじめる。

 

 巨人と虫けら程の力の差があった。

 アーミーゴブリンは元々の能力が普通のゴブリンよりも高いのに加え、10体につき3%筋力が上がる。今100体以上召喚しているから30%も筋力が上がっている計算だ。並みの相手ではアーミーゴブリン1体にすら勝てないだろう。

 エルフたちの叫び声やうめき声が同時多発的に聞こえてきた。

 この頃には、僕らも安心して角から出ることができた。


 「やめ、やめてくれぇ!」


 両足の骨をアーミーゴブリンに砕かれ泣き叫ぶエルフたちを眺めて、僕らはボーッと突っ立って待つ。全てが終わるのを。

 

「ありがとう」と不意にヤン坊が言った。「あんな奴らでも助けてくれて、ありがとう」


 ヤン坊は澄んだ瞳でじっと僕を見つめる。僕はその視線を正面から受けることができず、目を逸らした。

 ありがとう、は僕のセリフだった。僕を引き戻してくれてありがとう。

 だが、その想いは口にはせず、心の中に留めた。

 

「いや、でも、めっちゃ骨、折られてるけど」と僕が、阿鼻叫喚と転げまわるエルフたちを指さすと、ヤン坊は「あのくらい痛い目にあった方がいいんだ。あいつらは」と笑った。




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