第29話 結界師
日が暮れてからの訓練場は真っ暗で何も見えず、しかも辺りは静まり返っているために、まるで精神世界に放り出されたかのような錯覚におそわれる。
だが、ローファーの裏の草と砂利を踏む感触が、確かにここが訓練場であることを告げていた。
「なんで、あたしがこんな草ぼうぼうの場所に来なきゃならないわけ」
真横の闇から少し鼻にかかった幼い声があがった。アミだ。
「訓練場って割と広いけど、どこで待ってりゃいいんだ」
僕の前から優馬くんの声が聞こえた。優馬くんは暗闇を物ともせず、しっかりとした足取りで先頭を歩く。僕はその足音を追っているだけに過ぎない。多分、剣士スキルか何かで暗闇でも普通に見えているのだろう。
なんとなく人のスキルを訊ねるのはマナー違反なような気がして、あまり深くスキルについて聞かないから優馬くんがどんなスキルを保有しているのか、僕は知らない。
「まったく。こんな蚊だらけのところに呼び出してどういうつもりだし。あーもう! 繋! 蚊燃やしていい?!」
「やめときなよ。前にそれやって余計にたくさん虫が寄ってきただろ。てか、こんな場所に呼び出してるんだから、秘密裏に会いたいんでしょ、ペトラは。火なんか使ったら目立つじゃん」
「あぁぁああぁあ、痒いィイ!」
アミが騒ぐ中、唐突に優馬くんが「あれ?」と意外そうな声を漏らした。
「ペトラかな、アレ。さっきまでいなかったと思ったんだが……」
僕には全く見えなかったが、優馬くんが歩く音について行くと、確かにペトラがいた。
いつから待っていたのだろう。こんなところに立っていればたちまち体中を蚊に刺されてしまうだろうに。
だが、ペトラの腕や足に蚊が刺した痕は見られなかった。
「お呼び立てして申し訳ありません」ペトラは深々と頭を下げる。
「ほんとそれ。あたし忙しいんだけど? こんな蚊の巣窟に呼び出して——」
「——はいはいはい。分かったから。分かりましたから。どうどう」
僕がアミの口を押えると、アミはむがむが言いながら叩いてきた。仕方ないから解放してやるとアミは「触んな、変態!」と吠えて黙る。何故、これが変態になる。
「申し訳ありませんでした」とペトラは改めて深く頭を下げて謝罪した。「どうしても、皆様には内密にお伝えしておきたいことがあったのです」
「それならあたしの部屋とかでよかったじゃん」とまだアミがぶぅ垂れる。
「いえ。里には聴覚拡大スキルを持っている者もいます。屋敷内は安全とは言えません」
「へぇ、そんなスキルあるのか」優馬くんが大きく2度頷いた。
それならば確かに訓練場はうってつけだった。誰も夜中にこんなところまで降りてくる者はいないし、居たとしても見晴らしがよいから優馬くんのような夜目スキルを持っていればすぐに接近に気が付ける。
ペトラは一つ深呼吸をしてから、キュッと唇を結んだ。瞬きの頻度が多い。どうやら緊張しているようだ。彼女は胸に手を当てて、ゆっくりと話し出す。
「実は皆様に伝えたいこと、というのは私のジョブのことなのです」
「はぁ? ジョブ?」
意外な切り出しに、アミが眉を顰めた。ジョブは確かに重大な個人情報だが、ここまで機密にする程のことなのだろうか。
ペトラはアミの声に若干怯んだのか、泣きそうな顔で少しのけぞる。
不意にペトラと目があった。すがり付くような潤んだ瞳が僕に助けを求める。僕が小さく微笑んでから、「大丈夫」と思いを込めてゆっくりと1回頷くと、ペトラもそれに応じて頷いた。
「私、実は——結界師、なんです」
結界師。
一瞬の間を置いてから、僕は気が付く。優馬くんも目を見張って、口を半開きにして言葉に詰まっていた。
アミだけが事態を理解していないのか、「だから何よ」と白けた顔でペトラをジトっと睨んでいた。
「じゃ、じゃあ、魔王の住処を封印している、ってのは
——」
「はい。私です」ペトラは言下に答えた。「封印ではありませんけど。あくまで外から入り込むのを防ぐ結界です」
なんてことだ、と僕は頭を抱えた。ペトラが結界を張っているということは、場合によっては僕ら——転移者と対立関係になることだってあり得る。たとえば、ペトラがどうあっても結界を解いてくれない場合などがそうだ。
僕は別にそれでもかまわない。むしろ魔王に挑まない口実ができて、ありがたいくらいだ。
だけど、魔王討伐を目的とする優馬くんにとっては「はいそうですか」で済む話ではない。
拗れに拗れた場合、血生臭い争いに発展するかもしれない。
「……結界を解いてくれるってことはないのか」
優馬くんがいきなり核心を訊ねる。返答次第では僕らの関係にヒビが入る。皆の視線がペトラに集まった。
「コドク様方ならば、もちろん結界は解きます。もともと無駄な被害を出さないための結界ですから。ただ、私の一存では決められません。里長をはじめ、元老会の方々が合議をもって決定します」
「つまり、強けりゃいいってことか」
「端的に言えば、そうです」
優馬くんは、それだけ聞ければ問題ない、とばかりに不敵に笑い何度も首を縦に振る。
「なら良い。どのみち今すぐ挑むつもりはないしな」
「でも、いつまで経っても認めてもらえない可能性だってあるよ」と僕が口を挟むと、「その時はエルフ全員殺せば良いだけでしょ」とアミが答えた。
勇者グレイと話したときも同じようなことを言っていたが、多分アミは本気だ。冗談のつもりなど1ミリもなく、その時が来たら本当にエルフを皆殺しにするだろう。
邪魔する者は殺す。それが魔人のたった一つの行動原理なのかもしれない。
「いえ」とペトラが静かに首を左右にふる。「その時は私だけ殺せば事足ります。ほとんどのエルフは私が結界師だと知らないですし、結界は私一人の力で組まれていますので。どうか里には手出し無用でお願いします」
アミは、ふぅん、と僅かに口端を上げた。三日月型に歪められた眼から赤い瞳がのぞく。そしてペトラを試すように言った。
「何? なら、あんた一人なら殺しても良いってこと?」
だが、ペトラは全く動じなかった。「はい。どうしても許可が下りず、もはや待ちきれないとなれば、私を殺してくださって構いません」
アミは期待した反応と違ったのか、途端に興味をなくし、「りょ」と応じるなり、しゃがみ込んで「なんかちくちくする」と足元の草をぶちぶち引っこ抜き出した。
揺らめくような光が見えたのはその時だった。
月すらも雲に隠れ、薄っすらと互いの表情が見える程度の視界が、唐突に片側面から強烈な光に照らされる。ペトラとアミと優馬くん、全員の驚愕に歪む顔がはっきりと見えた。
皆、僕の方を——いや、僕のはるか後方を見ている。光を放つソレを。
僕はそれに振り返った。
屋敷が燃えていた。
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