第28話 それしか道がないのなら
最近、あの勇者見ないな。風呂上がりの優馬くんが、何の断りもなく僕の部屋に入って来て、そう言った。
あの勇者、とは当然グレイのことだろう。僕は、彼に何の用もなかったので、特段気に留めていなかったが、確かにこのところ彼を見かけないな、と今になって思い出す。
「勇者って言うんだから、強いんだろ? 稽古でもつけてもらおうかと思ったんだが」
「あー、あのユーシャとか言う連中なら、何日か前に島を出て行ったぞ」
同じく風呂上りだろうと思われるヤン坊がタオルで頭をガシガシしながら、僕の部屋に入室してきた。
「どうでもいいけど、なんでキミ達、僕の部屋に帰ってくるの……?」
自分の部屋に行きなさいよ。僕は仕方なしに、借りていた読みかけの本を脇に置いた。
「なんだと?! そんなに島と外と自由に出入りできるもんなのか?!」優馬くんは僕の苦情には取り合うつもりがないのか、無視を決め込んで、ヤン坊に応じる。
「そりゃそうさ。コドク様方以外は出るも入るも自由だよ」
「なんだそりゃ。それじゃまるで、この島まるごとが俺らの牢獄みてぇじゃねぇか」
牢獄。言い得て妙だ。事実、僕らはこの島の外の世界に干渉することはできない。動物園の中の造られた環境を生きる生物たちのように、僕らはこの島の中でのみ、生きることを許されている。
だが、何故僕は囚われているのか。魔王を閉じ込めておくなら分かるが、僕ら転移者を閉じ込める必要があるのだろうか。魔王を倒させるため? あるいは外の人間は僕ら転移者を快く思っていない?
いや待てよ、と脳裏に閃光が走った。
逆に考えてみれば、全く矛盾はないのではなかろうか。
つまり、魔王はもしかして——。
「——繫!」
ハッ、と気が付けば、僕は優馬くんに肩をゆすられていた。
「大丈夫か? ぼーっとして」
「あ、う、うん。大丈夫。何?」
「だからよ、俺のトレーニングに付き合ってくれないか、って話だよ」
うぇ、と意識せず呻きが漏れる。多分今僕の顔はグロテスクな昆虫でも見つけたような顔になっていることだろう。
「そんな顔すんなよ。お前だって、強くならなきゃ魔王に勝てねぇぞ」
「待って優馬くん。僕、魔王に挑むなんて一言も言ってない」
「何言ってんだよ。俺が挑むんだからお前も一緒に決まってんだろう? 俺らニコイチじゃん」
優馬くんが人好きのする笑みを浮かべて、肩を組んでくる。
「やだよ。誰か他の人が魔王たおしてくれるのを待ってた方が確実だって」
「そんなこと言って、繋。お前、エリー様に魔王の倒し方聞いてたじゃねぇか」
——プレイヤーキル
エリーの言葉が頭の中に反する。
思い出さないようにしていた事実が再び浮き膨りになった。
僕は優馬くんの顔を横目で見て、逡巡しながらも口を開いた。怖くてずっと聞けなかったが、いつまでも宙ぶらりんにしておくわけにもいかない。
「優馬くんは……魔王を、倒すんだよね?」
ああ、と躊躇いなく優馬くんが肯いた。
「なら、優馬くんは……」
その先の言葉が出てこなかった。口にしたら、取り返しのつかないことになるのではないか。そんな予感に僕の勇気はみるみるうちに萎んでいった。
だが、優馬くんは僕が言わんとしていることを察したのか、肩組をやめて、神妙な顔で答える。
「それしか道がないのなら……俺はやるぜ」
優馬くんの暖味な言葉は、しかし、確かな決意と覚悟を秘めているように聞こえた。
いったい何をやるの、と僕は聞くことができなかった。そんなことは分かり切っている。
——殺人
脳裏に浮かんだその言葉を、僕は直視できない。
優馬くんが誰か——人間を斬殺している姿が頭に浮かび、僕が斬られたかのように、胸に痛みが走った。
優馬くんはこのところ、レベルアップに焦っているように思えた。早く強くならなければ、早くレベルを上げなければ、早くプレイヤーを狩らなければ。
魔物と違いプレイヤーの数は限られている。しかもそれは時間が経てば経つほど、減っていく。
だから、優馬くんはいち早く強くなって、他のプレイヤーが力を得る前に、プレイヤー狩りを敢行しようとしているのではないか。
嫌な想像ばかりが先立った。
「トレーニングならボクが付き合ってあげようか」とヤン坊が声を上げた。
「いいのか?」
「ああ。エルフってのはね、人との付き合いを大事にするんだ」例のごとくヤン坊はエルフを語る。「それに丁度、若手エルフの戦闘訓練も今は中止になってるからね。要は暇なんだよ」
若手エルフの戦闘訓練、とは先日ペトラが参加していたアレのことだろう。あれから1度も模擬戦闘を見学したことはなかったが、中止になっていたのか。
「なんで中止になったの?」と僕が訊ねると、優馬くんが「雨天中止だろ。それか学級閉鎖」と何かを思い出すよう言った。
「遠足じゃないんだから。てか、普通に今日晴れてるし」
優馬くんは冗談で言ったつもりのようだったが、ヤン坊は真顔で「それだよ」と答えた。
「え?」
「だから、それだって。学級閉鎖だ。学級ではないが。若手エルフのほとんどが訓練に出なくなったのさ」
「学級閉鎖というよりはサボタージュだな、それは」優馬くんが苦笑する。
「いや、サボりならまだ良いさ。だが、来なくなった奴らの多くは家にも帰ってない。商店街で見かけたとか、近隣の林で見たとか、そういった話も聞くが、誰もまともに話をしようとしないらしい」
「グレた?」と僕が訊くと、「エルフってのはね、グレないんだよ」とヤン坊がまたエルフを語った。
いや、種族特性としてグレない、ってことはないと思うのだが。
しかし、ヤン坊は自信満々に「グレないんだ、エルフは」と繰り返した。
木製の引戸の向こうから「
僕が「どうぞ」という前に、ヤン坊が勝手に引き戸をあける。ここ僕の部屋なんですけど。
ペトラはヤン坊を見るなり、眉を吊り上げて口を、むっ、と固く結んだ。
「あ、やっぱりここにいた!」とヤン坊を睨みつけてから、今度は僕に顔を向け、「すみません、繋さん。ヤンに用事があって、繁さんのところにいるのかも、と思いまして」と弁解調で述べた。
「ヤンではない。ヤン坊と呼べ」
ヤン坊が尊大に言う。なんで『坊』を付けさせたいのか。むしろ、子供扱いしているようで『侮り』の性質を持ったワードのように思えるのだが。
ペトラは慣れているのか、ヤン坊のわがままを無視して要件を話し出す。
「ヤン、すぐ来て。今、蔵の方が大変なの」
「何かあったのか」ヤン坊が訊く。
「うん、倉庫が爆発しちゃったんだよ」
えぇ?! と声を上げたのは僕だった。全員が僕に顔を向けるので、なんだか恥ずかしくなって、俯いて黙った。
ヤン坊は意外にも冷静で、「なんで倉庫が爆発するんだよ」とペトラに訊ねた。
「さぁ。今、元老会のおじいさま方が原因を探ってるけど、まだ何も分かってないって」
「ふぅん。まぁ分かった。すぐ行くよ。で、どこの倉庫だ?」
「第三武具倉庫よ」
ヤン坊は、「分かった」と肯くと、ペトラを置いて先に僕の部屋を出て行った。
ペトラも僕らに一礼してから部屋を出て行く。
——が、ペトラだけ、ぴょこっ、と戻って来て、申し訳なさそうに顔の前で両手を合わせた。
「すみません、コドク様方。申し訳ありませんが、今日の夜、20の刻に、お三方全員で訓練場までお越しいただけないでしょうか」
僕は優馬くんと顔を見合わせる。優馬くんは無言で何度か頷いたので、僕が代表してペトラに応えた。
「分かった。アミにも伝えておくよ。でも、そんなところで何の用なの?」
「それはまた後ほどお伝えします。では、失礼します」
ペトラが出て行ったあとは、熱れたフルーツのような甘い匂いが微かに残った。
合コンの誘いかな、と呟く優馬くんのおふざけを僕は、聞こえない振りをして無視した。
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